ひめごと。

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ひめごと。

 ほんの雨宿り、のはずだった。  部屋の中は雨の匂いがこもっていた。障子越しの弱い光が、うっすらと畳を照らしている。窓の向こうは盛りの(はす)が咲き乱れる絶景だが、この雨では障子を開けることもできない。  三畳だけの狭い部屋に、せわしない息づかいが響く。佐一はわずかに上体を起こして、自分が抱いている相手を見下ろした。  布団も枕もない畳の上に、千隼が横たわっていた。単衣(ひとえ)の着物は着たままで、裾を大きく割り開いている。付け根までのぞく白い腿が、佐一の腰を挟みつける。そのまま、ねだるように腰を揺らされて、身体の芯がずくりと疼いた。 「どうしたの、めずらしいね」  千隼から誘ってくるなんて。そう言って、汗で張りついた前髪を梳いてやると、千隼がふっと目を開けた。少しだけばつが悪そうに、こちらを睨んでくる。 「……悪いかよ」 「ううん、嬉しい。でも、どうして?」  千隼は困ったように目を泳がせる。やがて小さな声で、 「ここなら声、気にしなくていいだろ」  と言った。 「ああ、確かにね」  各務池(かがみのいけ)で蓮の花を見た帰り道、にわかに空が翳ってきた。二人で夕立を避けて駆け込んだのは、そのあたり一帯に立ちならぶ出合茶屋の一軒だった。  ほんの雨宿り、のはずだった。狭苦しい部屋に通されて「せっかくだから、する?」と囁いたのは、冗談のつもりだったのだ。それが思いがけず、千隼の方から手を伸ばしてきた。誘われるまま唇を重ねて、あとは息もつかせず貪りあった。  薄い壁を隔てた両隣から、あたりはばからぬ嬌声や、甘ったるい睦言が聞こえてくる。隣で誰が何をしているか、なんて誰も気にしない。そのための場所なのだからあたりまえだ。 「いつもは窮屈だった? ごめんね」  長屋の寮で抱き合うときは、どうしても周りを気にしてしまう。いつも手ぬぐいや浴衣を噛んで声を抑える千隼の姿は、どこか痛々しくて気がとがめていた。  千隼が首を振った。 「俺はいい。けど、おまえは手加減してるだろ、いつも」 「……知ってたの?」  佐一は驚く。声を出せない相手をあまり苛めては可哀想だから、いつも自分を抑えて、加減しながら抱いていた。まさか気づかれていたなんて。  千隼がうなずいた。 「ここなら大丈夫だから、おまえの好きにしろ。何をされても、俺は平気だから」  佐一は呆然と、そんな千隼を見下ろした。  何てことを言うんだろう、と思う。この小さな身体で受け入れるだけで苦しいだろうに、「好きにしろ」だなんて。狭苦しい出合茶屋の畳の上で、着物も脱がずに脚を開いて、そんなふうに自分を差し出さなければ、俺に悪いと思っているのだろうか。 「だめだよ、千隼。そんなこと言っちゃだめ」  佐一は言った。 「俺がいつも、もの足りないんじゃないかって思ってたの? そんなこと、気にしなくていいんだよ。もっと自分を大事にしなきゃ」  柔らかい亜麻色の髪を撫でながら、子どもにするように言い聞かせる。身勝手な欲望をぶつけたいわけじゃない。狭い身体にねじ込んで、好き放題に揺さぶって、そんなことがしたいわけじゃない。  大好きな人と肌を合わせて、そのぬくもりを感じたい。ただそれだけだ。 「千隼が嫌なら、しなくたっていいんだよ。雨が止むまで、ただ喋ってたっていい。ねえ、教えて? 千隼はどうしたい?」  千隼は大きな(とび)色の瞳で、じっとこちらを見上げてくる。やがてその表情が和らいで、ほっとしたように微笑んだ。 「……このまま、ゆっくり抱いてほしい」 「ん、わかった」  佐一は上体をかがめて、千隼の鼻先に口づけた。ふは、と小さく洩れた笑い声が可愛らしくて、もう一度、今度は頬っぺたに口づける。甘酸っぱい汗と、日向の匂いがした。  引きしまった腰に手を添えて、ゆっくりと千隼の中を行き来する。古びた畳の軋む音が響く。いちばん悦ぶところを撫でてやると、千隼が白い喉をさらしてのけぞった。普段はめったに聞くことのない、舌足らずなよがり声が洩れる。 「あぅ、あ、んん……いい……そこ、気持ちいい……」 「ここ、好き?」 「ん、すき……もっとして、佐一。もっと……」  柔らかい腿が腰にからみつく。千隼は自分から腰を揺らして、与えられる快楽を貪った。  障子越しに青白い光が閃いた。次いで腹の底を揺さぶるような雷鳴が、長く尾を引いて(とどろ)く。ますます強くなった雨が、二人だけのひめごとを小さな部屋に閉じ込める。  佐一は桃色に染まった耳たぶに唇をつけて囁いた。 「雨が止むまで、こうしていようね」
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