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久斗は顔も悪くないし、完全なる陰キャラではないけれど、女の子と話すことにはそれほど慣れていない。まだ汚れていない、誰もスプーンを入れていないカップアイス。誰かが気づく前にかすめとらないといけない存在。棚の一番奥にひとつだけ残った限定品。あと一枚あれば特典が手に入るのに……という瞬間の、レシートの隙間にこっそり挟まっていたサービス券。試験終了七秒前に導き出した最後の問題の答え。一目惚れの相手。その相手がわたしでもなんとか勝てそうな人で本当に良かった……と思っていたけれど、果たして本当にそうだろうか。
久斗はわたしに悪印象を持っていない、というのはなんとなく態度でわかる。しかしそれはわたしにだけ特別に向けられた態度ではなく、誰にでも同じ態度で接しているのだとすれば、話は変わってくる。
その事実が明らかになった瞬間、わたしはただ自分が特別視されていると勘違いしているバカ女に成り下がる。同時に、今のように熱くもなければ冷たくもない、心地よく温い温度の関係も即座に変容するに違いない。そのことをわたしは受け入れられるだろうか。
わずかに逡巡した。
――いや、やるんだ、やらねばならない。
ただでさえ今のままだと、久斗の中のわたしは「謝ってんのに視線のひとつもよこさなかった嫌味な女」の域を脱しきれていない。でも、それはあくまでバネの力を最大限に発揮するため、無理やりぎゅっと縮めている過程にすぎず、わたしは彼が途中で帰ってしまったことへの文句なんか何ひとつない。なんならその場にいてもろくに作業をしない他のメンバーの耳の穴に、色とりどりの割り箸を片っ端から突き刺してやりたい気持ちでいっぱいだった。実際、久斗のいない作業時間はひどく退屈で、潤いのない、冷たい時間でしかなかった。
やっぱり、わたしには久斗が必要だ。
でも、手の届く場所まで、まだあと一歩遠い。彼が動かないならわたしから動いて、無理矢理にでもこの手におさめるしかない。
銃弾やミサイルこそ飛び交わないが、これは戦争だ。
欲しいものを手に入れるため、わたしは傷つくことを顧みず、戦わなければならない。
意を決して、胸ポケットからスマートフォンを取り出し、画面を指でなぞる。
「あしたの土曜日。学校で作業しようよ。二人だけで」
勢いに任せてそれだけ打つと、読み返しもせず送信ボタンに指を置く。
きっと久斗は断れない。事情があったにせよ、きょう久斗が準備の途中で帰った事実は覆らず、かつ久斗はそのことに対して何らの罪悪感もおぼえないほど鈍感でもないはずだ。
だからチャンスは今しかなかった。きっと彼はたとえ気が進まなくても「わかった」と言ってくれる。そして二人きりの学校という絶好のシチュエーションの中、わたしはこの気持ちを唇にのせる。
姑息だろうとなんだろうと構わない。これはわたしの想いを実らせるため、また、わたしがわたしであることを護るための戦いなのだ。部外者は画面の向こうで黙ってお茶でも飲んでいてもらいたい。
そしてこの恋が実ろうが散ろうが、最後は全員、わたしの勇気を讃えるべきだ。
「既読」はすぐについた。
それは、他人に聞こえないように繰り出したささやき声がいま、彼の耳に届いたことを告げている。
落ち着きを失い、叫びだしてしまいそうで、温いスマートフォンをまたポケットに叩き込んだ。
次にこのポケットが震えたとき、落ち着いてメッセージを読むことができるだろうか。
わたしは、バネを押さえつけるみたいに強く、ぎゅっと目をつむった。
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