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「優雅君!」 「……おつかれ」 「優雅君も、お疲れ様!」  俺はアイスコーヒーを片手に、優雅君の待つ「いつもの所」へ向かった。  そこは、元、金平亭の裏手にある外階段の下のスペース。そこが、俺と優雅君が共に過ごす場所だ。 「大丈夫?スーツだと暑いよね」 「ま、少しね」 「ごめんね、店が混んでるせいで」 「別に、店が満席なのはアンタのせいじゃないでしょ。企業努力の賜物なんだから、思いあがった罪悪感覚えなくていいよ」 「はは」  ピシャリと事実を口にする彼の言葉に、俺は苦笑しながら彼の隣に腰かけた。  確かにその通りだ。最近、ブルームでも「青山さん」と、名前を覚えてくれるお客さんが増えたし、店長からも「青山君のお陰で新しい常連さんが増えた気がするわ」なんて言ってもらえるせいで、またしても勘違いするところだった。 「……あ、いや。まぁ、席が空いてたって俺はここの方がいいし」 「そうなの?」 「そうだよ」  少し焦った様子で言葉を続ける彼に、俺は改めて自分の恋人の姿をコッソリと見つめた。しっかり目を合わせるなんて、今では難易度の高い芸当だ。だから、今はこうやって隠れてチラチラ見る事しか出来ない。 「あの店、ざわざわしてて落ち着かねーんだよ。あんな所でコーヒーなんか飲めるかよ」 「……確かに」 「だろ?」  店に入っただけで女子高生から歓声を頂く彼だ。そう言いたくなるのも分かる。  大学生の頃から、その見た目は洗練されていたが、社会人となってスーツを身に纏うようになって、その魅力は更に増した。ありていに言えば、「物凄く格好良い大人」になってしまったのだ。  優雅君がモテるのは今更だろう。でも、恋人になったのだから今更もなにもない。あまり、他の人にジロジロ見られたりするのは嫌だ。 「俺も優雅君とはここで二人の方が嬉しいから、ブルームが混んでて良かった」 「……っふー」 「あ、暑いよね。スーツ脱ぐ?」 「……いい」  優雅君の呼吸音が聞こえる。むしろ、それ以外は何も聞こえない。うん、ブルームが人気店で良かった。だからこそ、俺はここで優雅君と二人の時間を過ごせる。 「優雅君。最近、仕事はどう?」 「別に、大した事はなんもないけど」 「そっか……えっと、じゃあ」 「それより、今日のはどんな豆を使ったコーヒーなの」 「っあ、あの!今日の豆はね!」  落ち着いた照明の中、静寂と暗がりが交じり合う中で行われる一時の安らげる時間。  今や金平亭ではなくなったそこは、それでもやっぱり俺にとっては金平亭に変わりなかった。視界の端に映る古びた石段は使用感が伺え、周囲を取り囲む壁には古い塗り替え跡や苔が薄く生えている。  うん、ここは昔から変わらない。俺の自由な城だ。 「へぇ、だから今日のヤツはサッパリしてたんだ」 「そう。わざと浅煎りにしてあるから、飲み口がスッキリしてるんだよ。ほら、今って梅雨だし出来るだけ爽やかな方がいいかなって」 「そうだね」  肩を寄せ合う、階段の下部は暗く、光が届かずに視界の端で影が漂っているようにも見える。つい先ほどまで、雨が降っていた事もあり湿気がこもり、足元には水たまりが溜まっている。 「……っはぁ、あついね」 「もうすぐ七月だもんな。……やっぱ脱ぐわ」 「ん、そうしな」  そんな湿った空気の中、俺達はわざわざ肩がぶつかるほど近くに身を寄せ合っている。ぶつかる二の腕は、互いに汗が滲んでしっとりと吸い付いている。汗同士が絡む生ぬるい肌の温もりなんて、正直気持ち悪いだけだろうに、その温もりは、俺を酷く期待させる。 「……」 「……」  ふと、沈黙が流れる。  カタリと、隣からコーヒーの紙カップが置かれる音がした。あと、休憩時間も少ししかない。やっとか、と心臓が破れるほど激しく鳴り響く。
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