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「もう行かないと」 「……は?」  腕時計を見ると、ちょうど休憩時間の終わる数分前だった。やっぱりだ。俺の体内時計は、快楽の中にあってもブレる事はないらしい。 「ちょっ……」 「優雅君、ありがとう。俺、戻るね」 「あ、いや……」 「どうしたの?あ、ゴミ貰っていこうか?」 「まじ、かよ」  何やら信じられないと言った様子で目を見開く彼の姿に、俺はどうしたのだろうと目を瞬かせるしかなかった。ただ、あまり優雅君の様子に構ってはいられない。ちょうどお客さんが増え始める時間帯だ。遅れるワケにはいかない。 「あの、優雅君……俺、そろそろ」 「あーー、分かった。分かってる」 「それ、持って行こうか?」  地面に置かれたカップのゴミを指さし、再び優雅君に尋ねる。すると、優雅君は深いため息のあと、そのまま自分の膝に頭を抱え込んでしまった。 「あの、ゆうが…」 「まだ残ってるから、いい」 「そ、そう?」 「俺は、もう少しここに居るから……戻れば?時間なんでしょ」  そう、どこかぶっきらぼうに口にされる言葉が気になったが、確かに時間は目の前まで迫っている。今や顔が完全に腕の中に隠されているせいで、彼がどんな表情を浮かべているのかすら分からない。 「あ、あの。優雅君……明日もお店、来る?」 「……」 「来てくれる?」  俺は今はスマホすら持っていない。そのせいで、彼と連絡を取るにも、実際にこうして会うのも、優雅君の厚意に頼るしかないのだ。だから、いくら怒らせてしまってもこの確認だけは取っておきたい。 「優雅君、あの……」 「来る来る来る来る、来るからっ!いいから早く行けって!」  そう言って隠されていた顔を上げた優雅君は、決して怒ってはいなかった。ただ、顔は真っ赤に染まり、額には凄まじい汗が滲んでいた。どうやら、暑かっただけらしい。俺と違って彼はスーツだ。確かに熱が籠りやすかったかもしれない。 「優雅君、俺戻るけど水が欲しかったらいつでもおいで。今日はちょっと暑かったね」 「ハイハイハイハイ。ソウシマス」  優雅君は眉間に皺を寄せながら、俺に向かってシッシッと手を振った。 「遅刻するよ。早く行きなって」 「わっ、ほんとだ!」  俺はそのまま急いで金平亭の裏から駆け出すと、そのまま急いでブルームまで戻った。ただ、先ほどまで肌に感じていた優雅君の残り香がジワリと鼻孔をくすぐる。 「っはーー、やっぱモテる子は色々すごいなぁ」  先ほどのキスを思い出してジワリと頬が熱くなるのを感じながら、俺は風を切って走った。早くコーヒーの匂いを嗅いで落ち着かないと。まだまだ俺は働かなければならないのだから。 「ふふ、明日も来てくれるって」  その約束があれば、俺は深夜バイトも頑張れる。俺は、今日も恋人から〝やりがい〟を貰い、いつかの自分の夢の城の為、今日もまた働くのだった。 ◇◆◇  その頃、金平亭の裏では。 「なんで、あの人。あんだけノリノリな癖に……途中であんなにぶった切れるんだよ」  一人残されたスーツの男が、猛る下半身の熱を納めるように恋人の淹れたコーヒーを飲んでいた。恋人と口づけを交わした後、三十分近くここで呆然とする。  これもまた、彼の日課の一つである。 おわり -------- ≪あとがき≫ 次は、二人のハジメテでも書きたい所存。 インテリチャラ男の癖に、完全に「童貞攻め」なくつろぎ君なので、多分楽しい。
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