幕間3

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幕間3

  ◇ 「お、友梨佳じゃねぇか。てか珍しくないか? 帰り道一人なんて」  高校三年のある日の帰り道。夕陽の滲む丘の道を一人歩いていると、偶然にも虹太と鉢合わせてしまった。案の定というか、すぐさま心配の眼差しを向けられる。 「もしかして、紗友里と喧嘩した?」 「だったらもっと号泣してるわ。紗友里は先生と二者面談。進路の最終調整も兼ねてるから話長くなるかもって」 「なるほど、納得。あいつ将来有望なんだけど、ちょっと我が強いところがあるからな」  肩を竦めながら虹太は言う。その笑顔には呆れの意味も含んでいるんだろうけど、それ以上に強い敬意や羨望を表す光が両目に灯っているのが見ずとも理解できた。  ほんの少しだけ寂しい気持ちになった。当然と言えば当然だけど、虹太も紗友里に対してしっかりと特別な感情を抱いている。 「良いの? 止めなくて」  ふと気になって訊いてみると、隣を歩き始めた虹太は「おうよ」とさも当然のように強く頷いた。 「結局、紗友里の人生なんだから、赤の他人が止めるのも野暮ってもんだろ。てかあいつはマグロみたいなヤツだからな。多分挑戦を辞めたらそこで廃人になっちまう。だったら俺達はあいつの背中を強く押してやるのが一番だろ」 「そう、なんだろうけど」 「まあ、でも友梨佳は辛いだろうな。お前、紗友里にゾッコンなところあるし。まあ、そこは紗友里も同じか」 「あんたらは私を何だと思ってるのさ。……吹部の時は迷惑かけてごめん。別に送り出す時はちゃんと送り出せるから」  言葉を紡いだ途端、舌の裏で苦味がじんわりと滲む。炎で炙られた透明の刃が深々と心臓に突き刺さり、見ている景色が徐々に遠くへと離れていく。  間違ったことは何も言ってない。  そのはずなのに、この火傷にも似た喉の痛みは一体何なのだろう。 「そういえば、虹太は進路もう決めたの? 前に就職組に入ろうかなとか話してたけど」  気を紛らわせたい一心でそう問いかけると、虹太は「ああ、まあな」と頬を掻く。普段ははっきりと物を言う彼にしては珍しく曖昧な返答だった。 「まだ誰にも話してないんだけどさ……もちろん紗友里にも話してない」 「なに勿体ぶってるのさ。言いたくないなら別に良いんだけど」 「いや、別に隠したいわけじゃないんだ。だけど、長年お前らにも秘密にしてたことだからさ。中々言い出せなかった」  神妙な眼差しが、真っ直ぐと私を射抜く。  どういうわけか、聞くべきではないという焦燥感で脳が満たされる。 「実は俺、自衛隊に入ろうかと思ってるんだ」  えっ、と呟いた自分の声すら耳から遠退いていく。  無音の世界の中心で私は思わず立ち止まった。住宅街の奥から流れてくる豆腐屋の喇叭の音が静寂を劈いて、ようやく自分の呼吸を実感する。 「どうしちゃったのさ。藪から棒に」 「一家がみんな関係者でさ、ほぼ不可抗力でそうなった。最初は当然嫌だったんだ。何で家族の意見で俺の将来を決められなきゃならないんだって」  私と同様に立ち止まった虹太が、夕陽で滲む空を見上げながら言葉を連ねる。 「そんな中で宇宙人との交信が成功して、紗友里が宇宙で働きたいって言い出して。それで考えちゃったんだ。あいつが何か危険な目に遭う前に、俺が護ってやらないとって。紗友里もそうだし、友梨佳だってそうだ」 「それは良い話なのかもしれない……でも、何でよりによって」  強引に笑顔を表面に張り付けるものの、頭の中ではつい先日見たニュースの内容が明瞭に映し出されて心が乱れそうになる。 「虹太も知ってるでしょう? 最近、政府は宇宙人襲来のシナリオを想定して軍事力の増強を検討してる。いま自衛隊に入れば当然虹太もその手駒にされる。ただでさえ危険を伴う職業なのに、今まで以上に命を投げ出す可能性が増えるんだよ? それなのに──」 「しょうがねえだろ。決めちまったモンは決めちまったんだから」  白い歯の見える虹太の笑顔が、この胸の奥をぎゅっと握りしめる。 「大丈夫だよ。よく言うだろ? 自分すら大事に出来ないヤツに誰かを守ることなんて決して出来やしない、って。少なくとも命を自ら捨てるような行為はしないって」  違う。そんなこと、私に言ってもしょうがない。  両方の拳を強く握りしめる。私に弁解してほしいわけじゃない。紗友里に直接話してほしいのに。あの子の本当の想いをちゃんと知らないくせに勝手なこと言って。  お願いだから、あの子とちゃんと向き合ってよ。  じゃないと私が嫉妬で呪い殺しそうになる。  こんな無責任な男を一途に愛する、紗友里のことを。 「だからさ、友梨佳。ここから話すことは戯言だと思って聞いてほしいんだけど──」  それ故に耐え切れなかった。次いで虹太の口から紡がれた彼の願いを耳にして。耐え切れなくて、その恨めしい顔面を衝動に任せてはたいてしまった。 「もし、仮に俺が何処かで死ぬようなことがあったらさ──」
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