保護

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 僕が高校生となった今では、爺ちゃんの病気が、完全に日常へと組み込まれていた。  最初は、雨戸を朝だろうと昼だろうと勝手に閉めることから始まり、物忘れが増えたり、予定をすっぽかす等のミスから徐々に事が大きくなっていった。普段の爺ちゃんだったら、予定をすっぽかすなんてこと絶対にしなかったから、両親と祖母は心配した。僕はというと、心配なんかしないなんていう態度を取りながらも、あの雨戸の時の爺ちゃんらしくない様子が頭に離れない。  でも、ただの疲れなのだろうと思って、見逃していた。よくあるだろ? 本調子じゃなさそうな相手に、疲れているから休みなって言うやつ。それで、病院に行ったら、もう手遅れなパターン。まるっきり、同じ道を辿ってしまった。僕の爺ちゃんは、脳に穴が開くタイプの認知症だ。初期段階で病院の診察を受け、認知症だと診断が降りたら、薬の治療で治るパターンもある。  そのチャンスを、僕たち家族はみすみす逃してしまったんだ……。  ある日、爺ちゃんの部屋を見ると、本が散らかっていた。その部屋の中心に爺ちゃんはボーッと座り込み、此方を見つめている。何の感情もこもっていない虚無な目をした爺ちゃんに、この世から隔離された未確認生命体に見えた。 「おい、ジジイ、なんでこんな……」  当時まだ反抗期が残っていた僕は、爺ちゃんにはまだ尖った言葉を発していた。でも、爺ちゃんらしくない行動に怖気づいた僕は、段々と尻すぼみになった。チリ一つ落ちていなかった爺ちゃんの部屋に、本が散らばっている。掃除の途中という感じでもなかった。一冊一冊の本が、開きっぱなしのままだったり、閉じていたり、まばらな状態で置かれていた。  明らかに、片付けではない。  僕は目を丸くしたまま固まり、次の言葉が出てこなかった。なんて言ったらいいのかも分からないし、そもそもこれは触れてもいいのだろうか……。身近にいると思っていた爺ちゃんが、遠くに行ってしまった感覚に生唾を飲み込んだ。  ふと、爺ちゃんが僕の方に、ゆっくりと頭を動かした。虚無な瞳から、かすかに光が灯り、爺ちゃんは穏やかにほほ笑む。  紛れもなく、普段通りの爺ちゃんだ。  僕は、今までの不気味な感覚が、嘘のように収まった。  何だ、驚かすなよ。お前がまるで別人だ、なんてさ。そんなバカげたこと考えたじゃないか。本当に最近無駄な心配かけさせてんじゃねえよ。  安堵から、爺ちゃんに毒吐こうと思った、その束の間。 「聡、どうかしたのか?」    僕は苦く、汚い言葉を爺ちゃんに向けることなく、喉に染みついていく。じりじりと焼けつくような痛みが、呼吸も声も侵害してくる。それに連なるかのように全身の身体の力が、徐々に抜けていくような奇妙な感覚に苛まれた。  何、だよ。  何、言ってんだよ、爺ちゃん。  僕の頭は、誰かの手で蹂躙されるかのようにかき混ぜられ、思わず息を吐いた。    それは、僕の父さんの名前、だ。  僕の名前は、雄介、だろ……。    
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