辺境にて

1/2

21人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ

辺境にて

 巨大な灰色の影が、舐めるように地上を流れていく。麦わら帽子の庇を上げて空を仰ぎ見れば、西の山脈から千切れてきたと覚しき大きな雲が次々とこちらに向かってくる。  風向きが変わった……夜には、一荒れくるな。  夏の終わりを告げる嵐の予感に、俺は畑のトウモロコシの収穫を急ぐ。 「父さん、牛を集めて繫いでおく?」 「ああ、頼む!」  長男が丘に向かって駆けていく。まだ10歳になったばかりだが、後ろ姿が頼もしい。この俺の血を引くとは思えないほど、真面目な働き者に育ってくれている。 「こっちも急がないとな」  ザクザクと鎌を振り下ろし、紡錘形の実りを背中の籠に放り込んでいく。この分だと夕方までには、なんとか片付くだろう。  海辺の宿屋であおいくんを葬った日、俺は風呂敷だけを持って姿を消した。市井の徒に正体がバレないよう、風呂敷の裏面を自分で顔に被せて時間を進め、30代後半くらいの見た目に変えた。  その後も辺境の街を幾つか点々とした挙げ句、多民族が共生する交易の街に流れ着いた。あの風呂敷を使って修理屋を始めると、なんでも完璧に直すと評判になり、次々に依頼が舞い込んだ。俺は、あっという間に一財産築いた。  2年後、剣の修理が縁で知り合った鍛冶屋の親方に気に入られて、ひとり娘を譲り受けた。さして美人ではない平凡な顔立ちだが、家庭的で賢く、綺麗好きの優しい女だ。所帯を持ったことを切っ掛けに、俺達は街を離れた。田舎で、牛を飼い、畑で作物を育てる、自給自足のスローライフ。やがて、俺達夫婦は一男一女を授かった。“ヴィーノ・ヴィータ様”として人々の畏敬を集め、絶世の美女を抱き、贅沢三昧の暮らしを幾ら重ねても消すことの出来なかった心の渇きは癒え、俺は生まれて初めて充足することを知った。大切な家族のお陰で、くすぐったくなるほどに温かな「安らぎ」ってモノを味わわせてもらっている。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加