不運な男

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不運な男

 カレンダーが二月に入り一週間、街はバレンタインデー商戦の最終盤に突入していた。  アクセサリーやバッグに時計、高級チョコレート……。イベントごとに繰り広げられる販促キャンペーンだが、行事の趣旨などそっちのけの無節操さはあきれるほど逞しい。 「しかしこうやって見ると、格差社会を感じるな」  サイレンと赤色灯を鳴動させたパトカーを飛ばし、応援要請の現場に向かっているとは思えない気だるさで、助手席の(はやし)が悪態をついた。下番間近の応援要請で、お互い様とわかってはいても不機嫌になる。 「何すかそれ?」  馴れ馴れしい口調は、県警第二方面隊自動車警邏隊、通称自ら隊の巡査部長、山井(やまい)。上司に当たる林は、昨年警部に昇進したばかりだ。 「この時期はモテない男には最悪だろう。彼女がいないのを公言するようで、俺は好きなチョコも買えなかったぞ」 「でも今はきれいな奥さんがいるじゃないですか」 「だがな、うちは二五歳で結婚して今年で二十年目だが、結婚記念日を一緒に過ごせたことは一度もない。それに比べてこいつらは……」  仲睦まじそうな夫婦に、林は毒づいた。 「今年の記念日を休めば良いじゃないですか」  独身の山井は他人事だ。 「無理だ」 「どうしてです?」 「今日だからさ」 「あちゃあ」  昨日から当務に就いている林と山井は、本来なら今日の朝には勤務交代し、書類を仕上げて昼前には勤務終了、今日は非番で明日は公休のはずだった。  昨日の出勤前には、妻にも嫌みたっぷりに釘を刺されている。 「わかっていると思うけど、明日は二十年目の結婚記念日だよね。節目の時くらい一緒に過ごせないかな」  なるべく休めるよう調整はするのだが、結婚記念日を休みたいとは言いにくいのが警察社会だ。今までも、たまに休めそうなときは当直勤務になったり、事件で本部に招集されたりで、一度も休めたことはなかった。  今日こそはと思っていたが、ケチがついたのが午前一時。片方のストップランプが切れた軽自動車に停止を求めたところ逃走され、ようやく停止させたが所持品検査に一切応じなかった。どう見ても薬物中毒の兆候があり照会をかけたところ、覚醒剤取締法の使用と譲り受けで前科五犯。応援の機動捜査隊や自ら隊とともに説得しながら、捜索差押許可状請求書や身体検査令状請求書などを取り、パケに入った結晶状の粉末から覚醒剤の陽性反応が出たことで逮捕にこぎ着けたのが午前六時だった。  方面隊に戻り書類を書き上げ、下番まであと十分というところで入った応援要請。飲んでいたコーヒーのプラカップをゴミ箱に投げ捨てると、林と山井は再びパトカーの乗員となり現場に向かっていた。 
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