生態観察(二)

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生態観察(二)

 翌朝、開店と同時に店の電話が鳴った。「ありがとうございます!アクアリウム菰田です!」「おはようございます。あの、中山ですけど、ベタを購入した。」「ありがとうございます。どうかされましたか?」「買う時にオスかメスか、聞いてなくて…。」「あ、オスですよ!」「本読んだんですけど、餌ってどれ位あげれば?あと、水換えとか、カルキ抜きとか、一晩置いた水道水?ペットボトルの水とかは?」「あ、朝からすいません!伺いますから、教えてください。忙しいのにすいません!」かなり慌てているのが口調からわかる。 「すいません!」も口癖になっているようだ。何となく優柔不断で依存心が強そうに思える。   自信があることには行動力があるが、自信が無いことには人一倍不安感を持ちやすい。長年営業職をやっていると、色々と敏感になる。二回も会って、数分話せば相手の性格はある程度把握出来るようになる。洞察力というか、人は言葉以上に体が表現するものが多い。目、口元、髪型、手、姿勢、膝、足先、これらの動きから性格と精神状態の分析が出来る。また癖も性格と精神状態を表現する。  沙莉は、SNSの中で「陰キャ」と自分の性格について述べている。明るく誰にでも距離が近いように見えるが、ちょっと無理をしているらしい。番組後に忘れ物を取りに来て、ベタを購入した時、最初は視線を合わそうとしなかったが、段々と私を見て話せるようになった。 「すいません」という言葉が多いのは、相手に気遣う気持ちが強い。よく髪と耳を触るのは自分への理解を求めている心の表れだ。無防備な部屋着でかなり年上の男性を部屋に入れるのは、警戒心が薄いのと性的にまだ未成熟なのだろう。熟れた女性が放つ色気は感じない。 「おはようございまーす!朝からすいません!お魚も観たくて!」「おはようございます!」ベタの飼い方についての話が始まった。確かに小冊子には、餌の量も水換えのコツも書いていない。ベタは闘魚と言われ強いイメージの魚だが、実は非常に繊細で水換えもストレスをかけないように行わないといけない。コップでそっと四分の一ほどの水を取り、一晩置いた水道水またはペットボトルの水を入れる。この時、2度以上の水温差があると大きなストレスになる。水換え後は、糞をしやすくなるので、長いスポイトで糞を取る。汚れには非常に強いので、水換えは夏場は週一、冬場は二週間に一回位で大丈夫だ。一日の餌の量は、頭の大きさ位が目安だが、個体差があるので調整する。夏場の活発な時期はやや多めで良い。  飼い方のアドバイスに大学の講義でも受けているかのように、真剣な眼差しでメモを取っている。真面目で、ちょっと堅物なところもあるようだ。「あー、良かった!助かります!」「パー君、夜になるまで餌食べてくれなくて、餌が下に落ちたままで水が濁りそうで、心配だったんです。」「パー君?」思わず吹き出してしまった。「えー、変ですか?」「いや、いいと思いますよ!」「でも、パー君なんです!」名前の理由は体色が中心部が青く、鰭にかけて赤くなっているかららしい。「でも、パー君って!」何故かツボに入ってまた笑ってしまった。「もー、だって色々考えたんですよ!ブルーとかレッドとか、でも色合わせたらパープルだし…。」口を尖らせてちょっと拗ねた顔もまたいい。少しばかり虐めてみたくなる。 「スポイトが要りますね。こちらに沢山あるんで。」レジの右側のグッズコーナーへと案内する。スポイトだけで色とサイズ別に10種類ほどある。「餌はこちらのあたり、小型魚はこちらです。下の棚が生餌になっています。たまに生餌もいいですよ!ミジンコとかイトミミズとか。」 「えー、どうしよう決めきれない。」他の来店客の案内と買付け業者からの電話に対応している時間、30分位だろうか、ずっとグッズコーナーをウロウロとしている。こちらで、決めてあげないといけないようだ。来店客がメダカを購入して帰って行った。  グッズコーナーに行くと「すいません!迷っちゃって!」「青と赤、どちらが好きですか?」「どっちも好きだけど、どちらかといえば青かなぁ。」「じゃ、青にしましょう。ちょっと高いけど、長いほうが使いやすいので。」「生餌はこちらとか。」「わっ、気持ち悪ーい!これ、触れないです!」イトミミズは苦手なようだ。「じゃ、乾燥餌にしましょう。たまにあげるといいですよ!」乾燥ミジンコのケースと中身を見せた。「これなら大丈夫です!パー君、喜ぶかな?」 「コーヒー飲んで行きます?」「じゃ、少しだけ。」二杯分のコーヒーを淹れて、カップをテーブルに置いた。彼女は手にした熱帯魚の雑誌をパラパラと捲っている。「これ、すっごいきれい!」ディスカスの写真を食い入るように見ている。「あっ、ディスカスですね。沢山居ますよ!」「えっ、この前観た時は居なかったですよ。」「ストレスに弱いんで、裏に置いてるんですよ!すっごくきれいですよ!」  ディスカスの大きな水槽二つは、グッズコーナーの裏側に置いている。ディスカスの飼育はやや難しい。ストレスに敏感で、孤独死もあるし、密集してもダメだ。水質のキープの為に、濾過器もグレードの高い物、ライトとヒーターも欠かせない。 「こんにちはー!」家族連れが入ってきた。水棲昆虫がご希望のようだ。最近、人気が出てきてよく売れるが、餌代が高いのが頭の痛いところだ。国内産は無理だが、タイ産のタガメやゲンゴロウ、ミズカマキリまで7〜8種類は置いてある。小学生三年生の男の子があれもこれもと悩んだ結果、一番高級なタガメを買って帰った。  ディスカスの水槽へ戻る。「今日は、忙しいですね!すいません、ほんと。」「まぁ、たまには忙しくないとね。」「このディスカスって、家で飼えますか?」「設備が必要だし、世話が難しいから、あまりオススメ出来ないかなあ。水槽も大きいのが要るし。」残念そうな顔をしている。「じゃ、こういうのは?」彼女のコーヒーカップと二尺のアルミ脚立を持って来た。「はい、即席ディスカスカフェ!」脚立に腰掛けた彼女にディスカスの色の種類や生態の話をする。夢中で水槽のディスカスを追う眼差しがまるで少女のように煌めいている。水槽のディスカスより美しいほどに。
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