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 『メディア』の初日公演を観た客たちは一人残らず喝采の熱気に当てられ浴びせられ、未だ興奮の只中に在って、冬の始まりの寒さにやられる隙を与えなかった。観客の多くは貴族の他に銀行家や資産家、実業家といった富裕階級層で、帝立宮廷歌劇場の総支配人を勤めるザルンツ氏の夜会に招待された。彼は家の料理人にビュッフェ形式で一流の料理と酒、トルテを出させたが招待客の多くは気もそぞろ、その口は料理の為では無く、舞台の講評を話す為に動いていた。その上招待客の口から漏れるのは賛辞という名前の熱で有り、料理が残る心配よりも腐ってしまう心配をした方が良い有り様だ。  「素晴らしかったですね! 何というかメディアでしょう! 愛が狂気に変わり、(さっき)まで慈しんでいた子どもたちを刺し殺してしまったあの表情と来たら……!」  アイヒホルン子爵フランツも一緒に来ていた貴族たちと興奮を分かち合い熱弁する一人だった。彼は今日の舞台の素晴らしさに加え、遂に一人前の紳士になったことへの幸福に分かりやすく浴していた。今日初めて歌劇場に足を踏み入れたフランツは父を亡くし、五歳で爵位を継いで以来、遠縁で後見人のバルト子爵フリードリヒが実質的な権限を預かっていたが、今日十八歳になったことで名実共にアイヒホルン子爵となったのだ。  「流石はイタリアの歌劇場全てを虜にした歌姫コルネリア・イェンシェだ」とバルト子爵が同意する。ワインを飲む為の口も動かしている数少ない招待客だ。「素晴らしい歌声だろう。彼女は何でも演じるんだ。ベッリーニもヴェルディもワーグナーも! 北イタリアの修道院に預けられていたところをさる音楽家が引き取って養育したんだ。その音楽家は程なくしてこの世を去ったがサヴォイア家ゆかりの者がパトロンになると瞬く間にスカラ座のプリマドンナに躍り出たそうだ」  フランツは首を傾げる。「北イタリア? 彼女の顔はどう見てもゲルマン系の容貌でしたが。あのブロンド……」  「彼女は孤児なんだ。どこぞののご落胤とも言われているが詳しいことは誰も知らない。しかしあの美貌だから誰もがこぞって……」  「コルネリア・イェンシェ様!」  従僕が高々と告げた名前に場が一気に騒めき、終幕直後の熱気が蘇った。フランツたちが振り向くと大きなドアが開き、大広間に居た紳士の全ての手、全ての足、全ての口が止まり、全ての顔がドアに向けられた。淑女婦人たちも全てを止めざるを得なかった。少しでも動けばそれは俗的だ、美を無視すことだ、と批判非難される憂き目誹りを免れなかっただろう。  
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