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ベッド以外何もないガランとした八畳一間。
二十年間、共に過ごしたこの部屋とも明日でお別れだ。
私が五歳の時に両親が新築した一戸建ての二階の南側。一面だけラベンダー色の壁は、当時私が好きだった色を取り入れてのこと。
私は、その壁にできた三センチほどの穴をぼんやりと眺めた。
この穴は、隣に住む幼馴染の睦月がつくった穴だ。
睦月は趣味で始めたエレキギターを私の部屋に持ち込んでいた。ギターを立てかけておくスタンドに睦月が足をぶつけて、バランスを崩したギターが壁にめり込んだのだ。
私が高校二年で、睦月が中三の時の事だった。
睦月はぶつけた足を抱えて悶絶し、私は壁にできた穴を見て絶叫した。
整った顔が苦痛に歪んだ。私は怒り任せに「ばかぁ~!」と睦月の腕をポカポカと叩いた。睦月は「ごめんごめん」と、しばらく大人しく叩かれてから、しつこく叩き続ける私の腕をつかんだ。それからジッと私の顔を見つめたかと思うと、意表をついてチュっと私の唇にキスをした。
それはあまりに一瞬の出来事で、私は何が起こったのか理解が追い付かなかった。それくらい素早くて不確かなキスだった。
睦月は顔を真っ赤にして「藍花、好きだ」と言って、私はそれに「うん」とだけ応えた。
姉弟のようだった私たちの関係は、この日を境に変わっていった。
ただの買い物がデートになって、並んで歩く時には手を繋いで、人目のつかないところでキスをした。
互いが互いの一部のような存在で、一緒にいるのが当たり前だった。
私はそんな甘酸っぱい記憶を思い出して、下唇を甘く噛んだ。
ベッドの横の窓を開けると、闇夜に三日月が引っかかっていた。
ひゅっと凍てつく空気が部屋に入り込んで、それは私の肌をチリチリと刺激する。その空気を吸い込むと、鼻の奥がツンと痛んだ。そしてじんわりと目に涙が滲んだ。ふぅと吐いた息が白く立ち上って消えていく。
ねぇ、睦月。
私は隣接する睦月の部屋に向かって、心の中で呟いた。
三年間、明かりのつくことのないその睦月の部屋を、私はこうして時々眺めていた。だけどそれも今日でおしまい。
ねぇ、睦月。私、明日お嫁に行くよ…
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