夜想3-⑽

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夜想3-⑽

「ああ飛田さん、それに天馬さんまで……こんなに早くからどうしたんです?」  『水晶宮』から十間ほど離れた場所で流介たちが出くわしたのは、兵吉と有馬だった。 「兵吉さん、有馬さん。事件は解決しました」  天馬がいきなりそう告げると、二人はほぼ同時に「えっ」と叫んで顔を見あわせた。 「白石さんの死の謎がもう解けたというのですか」 「はい。白石さんの死は一言で言うと「事故」です。不可解な状況になってしまったのは、いくつかの偶然が重なったせいです。下手人がいたわけではありません」 「……信じられない。飛田さん、あなたも天馬さんと同じ意見ですか」 「はい。確固たる証拠があるわけではありませんが、天馬君の出した答えが最も多くの人に納得してもらえる答えだと思います」 「多くの人が……」  天馬の受け売りのような言葉を聞かされた兵吉が小首を傾げた、その時だった。 「ああっ、火がっ」  突然、有馬が一点を指さして叫び、視線を追った流介は思いもよらぬ眺めに絶句した。『水晶宮』の有馬が示したあたりの樹木が、外からでもわかるほど炎に包まれていたのだ。 「本当だ。しかしなぜ火が……」  あまりのことに流介がその場に固まっていると、天馬が「みなさん、近づいては駄目ですす。おそらく硝子の中に厚みが均一でない物が混じっていたのでしょう」と言った。 「どういうことです?」 「白石さんによると、この建物を造るにあたって質の良いガラスを調達するのに大変骨が折れたそうです。ひょっとすると天井近くの硝子に表面が少し凹んだものがあったのかもしれません」 「凹んでいるとどうなるんだい。天馬君」 「水が溜まると下向きのレンズのようになり、陽の光を集めてしまう可能性があります」 「レンズ?光を集める?」  流介たちが戸惑っている間にも、火は温室の中で炎の枝を四方八方に伸ばしていた。 「集められて細い針のようになった光が枯れ葉か何かの上に落ちると、高熱によって燃え始める可能性があるのです」 「……まさか、白石さんがわざと歪んだ硝子を?」 「それはないでしょう。おそらくは不幸な偶然が重なった結果です」  天馬が痛ましげな口調で言うと、有馬が「私の『水晶宮』が!」と叫んで温室の方に身を乗り出した。 「――危ない、行っては駄目です!」  天馬がそう叫んだ瞬間硝子の一枚が「ばん」と音を立てて割れ、続いて別の硝子も同じように割れた。二つの硝子が割れることで風が温室の中に吹き込み、あちこちから炎が吹き出した。 「こうなるともう、手のつけようがありませんね」  呆然と立ち尽くす兵吉の傍らで、有馬がうずくまったまま「ああ、なんということだ」と嗚咽を漏らした。 「……飛田さん、僕らは行きましょう」 「えっ」 「もしかしたら無念の死を遂げた白石さんが、手掛けた建物を自分のいる所に連れ去ろうとしているのかもしれません」 「まさか……」  ――この機械のように緻密な思考をする男が、そのような因縁風の解釈を口にするとは。  流介は驚きながらも「わかった、行こう」と言った。 「もし有馬さんに別の設計者を探す気力が残っていれば、いつか『水晶宮』は復元されるでしょう。僕らにできることはもう何もありません」  天馬はそう言うと、来た道を振り返ることなく引き返し始めた。
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