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夜想2-⑺
流介と弥右、それに亜蘭の三人は、とりあえず『水晶宮』を見ようと浜の方へ足を向けた。
「あれっ、先輩。あそこに立っているのは『水晶宮』のご主人と学者の大楠さんではないでしょうか」
ふいに弥右が声を上げ、流介はつられるように前方の『水晶宮』を見遣った。すると建物の主――有馬豪太と大楠寿範らしき人影が玄関の前で天を仰いでいるのが見えた。
「どうしたのです?」
流介が近づいて尋ねると、有馬は「温室の鍵が開かないのです」と答えた。
「鍵が開かない?この温室の主は有馬さんではないのですか?」
「そうなのですが昨夜、白石君が僕に温室の鍵を貸してほしいとやってきまして……」
「鍵を?」
「ええ。上の方にはまっている硝子の一部に、歪んで枠にぴたりとはまっていない物があるとか言いまして、急に気になって確かめたいとのことでした」
「合鍵は?」
「鍵は一つしかないのです。玄関の鍵は外国製の物で、錠前屋でも合鍵を作るのは難しいようです」
「でも白石さんは設計者ですよね?建物を造る時、出入りがままならないのでは仕事にならないでしょう。通用口のような物はないのですか?」
「あったのですが完成した時、潰してしまいました。通用口の鍵もその時に捨てました」
「なるほど、では早く白石さんと会って鍵を返してもらわないと不用心で困りますね」
「その通りです。このように鍵が開かないとなると、何が何でも彼を見つけなければならなくなります」
「鍵をかけてどこかに行ったのではなく、まだ中にいるのではないですか?」
「中から鍵をかけて一晩中、この中に?まさか」
「……確かに、硝子を調べるだけなら鍵をかけて閉じこもる必要はありませんね。ううむ」
流介が腕組みをして唸っていると突然、背後から「やあ、飛田さんじゃありませんか。ひょっとして『水晶宮』を見に来たのですか?」と声がした。
「……天馬君」
流介たちの背後に立っていたのは浮世離れした頭脳を持つ青年、天馬だった。
「ああ天馬君、せっかく来たところに水を差すようだが、実はこの温室の設計者が行方不明で中に入ることができないのだ」
「えっ、本当ですか。それは悔しいなあ」
流介がいきさつを手短に説明すると、天馬が「よし、では試しに僕の『錠前崩し』を試してみよう。中を覗くだけなら温室の主も許してくれるに違いない」ととんでもない提案を口にした。
「ちょっと待ってくれ天馬君、主以外の人間が扉を開けてしまったら鍵を変えなくちゃならなくなるし、開けた人間もお巡りにしょっ引かれるぞ」
「中を見るために開けるだけです。中をあらため終わったら、また元のように鍵かけておきますよ」
「いや、そういうことを言ってるんじゃないよ。たとえ盗みを働かないにしてもだね……」
流介が軽はずみな行動を止めさせるべく言葉を探しているうちに、天馬は耳かきを思わせる金属の棒で温室の鍵を瞬く間に開けてしまっていた。
――ああ、ついにやってしまった。
「さあ、これで中に設計者の方がいなかったら、今日は見物を止めてその方の行方を探すことにしましょう」
天馬が流介たちの方を振り返って言うと、大楠が「まずは私が見てまいります。音沙汰がなかったら探しに来て下さい」と言い置き足早に温室に入っていった。
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