夜想2-⑻

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夜想2-⑻

「わあああっ」  温室の湿った空気をびりりと裂くような叫びが流介たちの耳に届いたのは、有馬と大楠が温室の奥に消えてから少し経った時だった。 「どっ、どうかしましたかっ」  駆け付けた流介たちが目にしたのは、椰子の木の真下にうつぶせで倒れている白石の姿だった。 「これは……」 「白石君っ、しっかりしたまえっ」  有馬が必死で呼びかけ、大楠は倒れている白石の手首を触り始めた。脈を調べているのだろう。 「だめだ、息をしていない」 「……残念ですが脈もないようです」  大楠の言葉に有馬は「なんてことだ」と天を仰いだ。よく見ると白石の頭の後ろには血で染まった部分があり、何かで頭を打ったことが事が倒れた原因と思われた。 「なんと、これは痛ましい」 「とにかく人を呼びましょう」  あわてふためく流介を尻目に、天馬が落ちついた口調で言った。 「んっ……これは?」  白石の身体の脇を見つめていた弥右がふいに屈みこむと、何か小さなものを拾いあげた。 「玄関の鍵のようですね。ポケットから落ちたのでしょう」 「玄関と言うと、温室の?」 「はい。これがここにあって中から鍵がかけられていたということは、白石君が自分で内側から施錠したということを意味します」 「わざわざ鍵をかけてまで一体、何をしていたんでしょうね」 「さあ……いずれにせよ一刻も早く医者と警察を呼ばねばなりません」 「近くにお医者さんはいるのですか?」 「それが……一番近い診療所でも走って片道四半刻ほどかかります」 「私が先生を呼んできます。その間白石さんの亡き……いえお身体をどなたか見ていて下さい」  大楠が言うと、蒼ざめた顔で現場を見つめていた亜蘭が「じゃあ私、兄を呼んできます」と有馬に申し出た。 「お兄さん?」 「巡査なんです」  亜蘭は短く返すとくるりと身を翻し、小走りにその場を立ち去った。  天馬は白井の傍らに屈みこむと、何やら頭の周りをあらため始めた。 「天馬君、何をやっているんだい」 「身体の右か左に血のついた石が無いか探しているんです」  天馬は地上を見終ると今度は天井を仰ぎ、腑に落ちないとでも言いたげに首を傾げた。 「どうしたんだい?」 「なんでもありません」 「とりあえず僕らはいったん引き上げよう。後は兵吉さんたちがやってくれるはず」  流介は弥右の方を見て言うと、もう少し建物の内部を調べたいという天馬を残し外に出た。 「やれやれ湯治に来てとんでもないことになったなあ」 「どうするんです、このあと」 「腹も減ってきたことだし、いったん宿に戻ろう。女将に頼めは握り飯くらいは作ってくれるだろう」  流介が力のない提案を口にすると、隣を歩いていた弥右がふいに「あっ、飛田さん。あそこに飯屋か蕎麦屋のような店がありますよ。もし当たりだったらあそこで腹ごしらえをして行きませんか」と言った。指さした方向に目を遣ると、確かにそれらしき建物があった。 「うん、そのように見えるな。行ってみようか」  流介は頷くと、帰り道からほんの少しだけそれた場所にある日本家屋を目指した。
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