夜想2-⑼

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夜想2-⑼

「いらっしゃいまし。何をお出ししましょうか」  暖簾をくぐり中に入った流介は、出迎えた女将らしき女性を見た瞬間「おや」と思った。  ――誰かに似ているな……  女将は四十歳くらいで、女性には珍しく今流行りの眼鏡をかけていた。 「ええと、蕎麦か握り飯のような、簡単で腹持ちのよい物を……」  流介が品書きも見ずに注文を口にした、その時だった。 「おお、あそこにいるのは飛田君ではありませんか」と、女将の背後から聞き覚えのある声が飛んできた。はっとしておかみの背後に目をやった流介は、馴染みのある顔が並んでいるのを見て思わず目を瞠った。 「住職……女将……それにウィルソンさん」 「よくお会いしますね、飛田さん」  着流し風の和装でにこにこしながらそう言ったのは貿易会社の社長、ウィルソンだった。 「どうしてみなさん……」 「ウメさんの妹さんが湯の川で飯処を始めたというので、湯治がてら訪ねて来たのです」 「ははあ、そういうことでしたか」 「ここは二階が宿になっていて私と住職が昨夜から使わせてもらっています。ウメさんは妹さんと母屋に泊まっている……と、こういうわけです」 「おやお客さん、ひょっとして姉さんたちのお知り合いですか」  眼鏡の奥の目を丸くした女将に問われ、流介は「ええ、まあ」と苦笑いと共に返した。 「ちょうど妹がもう二、三品食事を増やしたいと言っていたので、『梁泉』でお出ししている物のこしらえ方をいくつか紙に書いて持ってきたのです」  ウメがよく似た妹の顔を見つつ、訪問の理由を述べた。 「そうだったんですか。……ええとはじめまして、『匣館新聞』で記者をやっている飛田と申します。隣にいるのは見習い記者で……」 「瑠々田と申します。どうぞよろしく」 「はじめまして記者さん。私は浅賀千夜(あさがちよ)と申します」  女将は口許をわずかにほころばせると、恭しく一礼した。 「ところで飛田君、なんだか顔色がさえないようだが」  三人の中で一人だけ眉をひそめながらそう尋ねてきたのは実業寺の住職、日笠だった。 「実は……」  流介がさきほど『水晶宮』で出くわした事件を口ごもりながら話すと、日笠は「なんと恐ろしい。もう少し詳しく聞かせてもらえるかな」と言った。 「それは構いませんが……みなさん、お食事中では?」 「食事はこれから摂るところだったのだ。……そうだ、話は後に回すとして千夜さん、何かか頂けるかな。腹がくちくなって、なおかつ頭の回転が速くなるような物を」 「そうですね……ではちょっと姉と一緒に厨房で何かあつらえてまいります。皆さんは奥の座敷でお待ちください」  千夜がそう言うとウメは袂から小物入れを取り出し「では、そういたしますか。手を動かしながら事件について考えた方が、頭もよく回りますので」と言って妹と同じ眼鏡をかけた。
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