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夜想3-⑹
「これはある果実の「皮」です」
「果実の皮?」
天馬は頷くと、新聞紙の中から黒ずみ始めた黄色い物体を取り出した。
「それは……」
「何人たりとも許さぬ掟無用の黄色い悪魔……そう、このバナナの皮こそが下手人なのです」
「なんと……」
「外国の商人が、僕にこんな話を聞かせてくれたことがあります。ある人が、南国から取り寄せたバナナを歩きながら食べていたそうです。その人が食べ終えたバナナの皮を無造作に放り投げたところ、後ろからやってきた別の人がその皮を踏んづけたそうです。バナナの皮はとてもよく滑るので、踏んだ人は喜劇のようにその場でひっくり返ったそうです」
「まさか、白石氏がそいつを踏んだとでもいうのかい?」
「そうです。そしてバナナの皮をささいな悪戯心から舗道に置いたのは……有馬氏です」
「有馬氏が?」
「両者はバナナの植え場所をめぐって対立していました。有馬氏は、硝子の様子を見にやってきた白石氏がうまい具合にバナナの皮で転ぶことを期待したのです。……そう、熱帯の密林で白石氏を待ち受けていたのは、まさしく死に至る罠だったのです」
「たかがバナナの植え場所くらいで……」
「白石氏は、ある人のためにバナナの栽培を安定させたかったのです」
「ある人?……あっ」
流介の頭に浮かんだのは『水華堂』の女将だった。
「ひょっとしたら有馬氏も同じ人に懸想していたのかもしれません。しかし白石氏はその人のために硝子の食事処をこしらえる計画を立てるなど、有馬氏の一歩先を行っていました。この上、バナナの実を簡単に成らせてしまってはいけない、有馬氏はそう思っていたのではないでしょうか」
「だからって、皮を使って転ばせるなんて……」
「そんな子どもじみた警告をせざるを得ないほど、焦っていたのでしょう。バナナの実が成るには、植えてから二年くらいが必要なのだそうです。陽当たりのよいところに植えたらもっと早まってしまうかもしれない。それで皮を使った嫌がらせで「意地でもバナナは作らせないぞ」という姿勢を示したのでしょう」
「しかし殺してしまっては警告にも何にもならないのでは」
「だから事故なのです。白石氏は手前から椰子の木の方に歩いてきてバナナの皮を踏んだのではなく、逆の方向からぐるりと回る形で「奥から」木の方に来たのです。そして継ぎ目にあった皮を踏んで前に滑り、ちょうどごつごつした面に頭が当たる形で倒れたのです」
「逆向き……」
「その際、前に出た脚と一緒に滑ったバナナの痕が、「のり」が乾いたような痕となって残ったというわけです」
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