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夜想4-⑵
「うわあー。思った通りの素敵な書斎だ。海が……海が窓いっぱいに見える!」
天馬の家である『幻洋館』の二階に通された弥右は、まるでお城に上がった平民かなにかのようにうっとりした表情で言った。
「小さな館を無理やり船の上に乗せただけですよ。遠くの海までは行けません」
「あっ……あのっ、事件の真相を推理する時はいつもここでされるんですか?」
弥右が興奮した口調で尋ねると、天馬は「そうです。たとえ船が港から動いていなくとも、僕の頭はここから遠い異国を旅して手がかりを探すのです」とお馴染みの答を返した。
「いいなあ、僕もいつかはこんな館を持ってみたいなあ」
「まだ若いあなたなら、僕なんかよりもっといい家を手に入れられますよ」
「そうでしょうか」
弥右が不安げに問うと天馬は微笑みながら「もちろんです」と返した。
「今、世界はとんでもない速さで目覚めようとしています。世界を一周する者、宇宙や未来に思いをはせる者、人々の幸福を願い道を説く者……そして蒸気や電気、機械や鉄道といった新しい技術がそれらの夢を後押ししています。そう遠くない将来、田舎のでこぼこ道にも電気軌道車が走ることでしょう」
「電気軌道車……ああ、もしこの匣館にそんな物が走るようになったら、僕は毎日端から端まで乗って奇譚記事の元になる噂を探しますよ」
「おいおい瑠々田君、そいつはまだずっと先の話だよ」
流介がたしなめると、弥右は「うふふ、先輩、のんびりしていると僕に追い越されてしまいますよ」と言った。
「まだ取材のいろはも身についていないくせに、生意気なことを言うなあ」
「へへっ、失礼しました。……そうだ、天馬さんに弟子入りして二代目船頭探偵を目指すっていうのも素敵かもしれないな、うん」
「面白いですね。そのくらいならすぐなれますよ、きっと」
「天馬君、あまり無責任なことを言わないでくれよ」
流介が苦言を呈すると、天馬は悪戯っぽい笑みを口元に浮かべ「じゃあ今日は、これを回して行くというのはどうでしょう」と言って書斎の中心にある舵輪を目で示した。
「えっ、いいんですか?」
「構いませんよ。わざわざ訪ねて頂いた記念です」
「やった、嬉しいなあ」
「おい瑠々太君、あまり調子に乗るんじゃないよ」
弥右は流介の制止を無視して舵輪の前に立つと、勧められるまま舵を握った。
「ええと……出発進行!」
――瑠々田君、それは汽車だ。
流介は目を輝かせている弥右と暖かく見守る天馬とを交互に見遣ると、探偵の前にまずは新聞記者としてのいろはを教えこまねばと自分に言い聞かせた。
〈了〉
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