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――その日から、私は変わった。お洒落の楽しさを知り、人との交流に前向きになった。ドッペルゲンガーに出会った人々が以前と変わって見えるのは、本来の自分を取り戻したからなのかもしれない。
「最近、雰囲気変わりましたよね」
給湯室で先日の同僚に声を掛けられる。
「前も格好良かったですけど、今の感じも素敵です!」
最近知った事だが、彼女達は私をつまらない地味女として避けていたのではなく、ミステリアスな王子様扱いして遠巻きに眺めていたらしい。世界は思っていたよりずっと優しかった。
「もしかして恋ですか?」
「そ、そんなんじゃないですよ!」
同僚の言葉に、颯の顔が思い浮かんでしまう。つい先日のカフェでの出来事も思い出された。
『ちゃんとしたデート、しませんか』と差し出された水族館のチケット。戸惑う私の手にそれを握らせ『次の日曜十三時に、駅前広場で!』と返事も聞かずカフェを飛び出してしまった彼。
……彼に惹かれているのは事実だ。だが素直に嬉しいとは喜べない。自分に恋愛が出来るとは思えないのだ。男は悪だと刷り込まれ続け、異性との関わりを断たれた少女時代を過ごした私には、恋愛が分からない。デートなんて無理だ。優しい彼に、これ以上気を持たせてはいけない。でも、でも……と悩んでいる内に、あっという間に日曜日はやって来た。
待ち合わせ時間の三十分も前から物陰に潜み、それより前に来ていた彼を覗き見る。出ていく勇気が出ない。出て行って、どうしよう。やっぱり今日は行けないとチケットを突き返す? こんなにめかし込んだ格好で?
もうじき約束の時間になる。私は深呼吸し、小さな一歩を踏み出し……かけて、慌てて引っ込めた。颯の元に駆け寄る女の姿を見つけたからだ。サッと全身から血の気が引いていく。
また、私のドッペルゲンガーだ。
「颯くん、見て下さい! このイルカのぬいぐるみ可愛い!」
「も、もしよかったらプレゼントしますよ!」
「本当? やったー!」
お土産ショップで、カップルが仲睦まじげにしている。両手を胸の前で組み、小首を傾げて彼を見上げる女の、わざとらしく媚びる視線に吐き気がする。恋愛脳で、男に依存する、下品な女! と私の中の母が彼女を罵った。……分かっている。これはただの嫉妬だ。
二人の体が触れ合う度、息が出来なくなる。彼と水族館を巡り、初デートの思い出を作っていくあの女。許せない。これ以上勝手はさせない。
「ちょっとお手洗いに行ってきます」と彼の傍から離れた女の腕を掴み、力任せに非常階段に連れ込んだ。暴れられたり悲鳴を上げられては面倒だと思ったが、女は全て予想していたかのように大人しい。
「もう何よ。折角のデートだったのに」
「それはこっちの台詞! あなた何なの!?」
「ヤダ、もう知ってるでしょ? 私はあなたよ。ドッペル二号ちゃん」
「一体何人居るのよ……」
私は頭が痛くなった。
「私はあなたの“諦めた恋”の形。ねえ、邪魔しないで? 私が居れば彼は幸せだし、私も彼が好きだもん。あなたは恋なんてしたくないんでしょ?」
「それは、」
「今日はどこまでいけるかな? 颯くんは奥手そうだから、私からキスしちゃおっかな」
「まだ手も繋いでないのに!?」
「恋は夜にかけて加速するのよ」
ルンルンと軽快なステップで戻ろうとする彼女を、私は慌てて羽交い絞めにする。
「待って! 分かった、分かったから! 私が行くから!」
ドッペル二号は私を揶揄うものの、彼女からも一号と同様に悪意を感じない。彼女達の視線は優しさに満ちているのだ。きっと二号も私の為にやって来たのだろう。
私と同じ顔はちょっと残念そうに唇を尖らせて「ちゃんと素直になりなさいよね」と言い残し、私の中に帰っていった。
「……お待たせしました」
「お帰りなさい。あれ? さっきと服装違いませんか?」
「ええっと。お手洗いの帰りにアシカショーに巻き込まれて、びしょ濡れになって、着替えたんです」
「そ、そんなことが!? 大変でしたね」
彼が悪い人に騙されないか心配だ。ぬいぐるみを吟味する彼の隣に、私はぎこちなく並ぶ。
「イルカのぬいぐるみ、サイズが色々ありますよ。どうしますか?」
「えっと……やっぱり、サメにしても良いですか?」
「あ、サメも可愛いですね!」
ニコニコと一番大きなサメを抱える颯。この笑顔を向けられたのが自分で良かった、と思った。
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