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「え?」  波の音がする。打ち寄せる波が空気を巻き込み、泡となって砂浜に消えてゆく。潮風が吹き、奏音の髪が鳥のようになびいた。 「海だーっ!」  呆然とする俺を置いて、奏音は駆け出した。小さな背中が遠ざかり、あっという間に波に飲み込まれる。 「馬鹿、死ぬぞ!」  俺は急いで奏音を抱き上げた。くるぶしまで海水に浸り、足がとられそうになる。砂に混じった小石や貝殻が足裏に食い込んだ。 「あっち、いいにおいがするよ!」 「おい、勝手に行くなって!」  腕をすり抜けた奏音を必死で追いかけると、少し先の小屋からソースの香りが漂ってきた。『氷』と書かれたのぼり旗が手招きをするようにはためいている。外には簡素な椅子と机が設置され、浮き輪が積み上がっていた。 「すみませーん……」    店内を覗くと、ビールを掲げる知らない女優のポスターと目が合った。 「だれもいないね!」  奏音の笑い声が波の音に紛れ、俺たちはようやく世界に二人きりであることに気づいた。
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