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あれからルシアナは、デュランに連れられて色々な場所へ出掛けた。
森や湖、そして広い草原に現れた温室群は壮観だった。ルシアナが知る温室とは、王宮の庭園に設えた珍しい花を鑑賞するためのガラス張りの部屋という認識だったが、ここにある温室は主に野菜を育てるためのものだった。
「この国のことをもっと知って欲しい」
デュランの願いは何でも叶えたいルシアナは、素直に頷いた。これまでの各所の訪問は、妃教育の一環でもあった。
「ストラミネアは、元はセクンダの伯爵領だったのは知ってる?」
視察後の帰りの馬車の中で、デュランが唐突に語り出した。初めて聞く話にルシアナは首を横に振った。
「かつてセクンダ王国が東西に分断したとき、中立派だったストラミネアは自治権を与えられたんだよ」
「本国はセクンダですよね?」
デュランは頷き話を続ける。
「僕は建前上ストラミネアの王太子を名乗ってはいるけど、実質は王族というより領主に近い…と思っている」
「………」
「領民と一緒に作物の新しい栽培方法を考えたり、新品種の開発を行ったり…生粋の王族である君には理解出来ないような事もたくさん出てくると思うんだ…」
「………」
「国といっても小国だから、軍事面ではセクンダを頼らなくてはならない。それで今回の婚姻ということになった訳だけど…」
デュランは迷いながらも、ルシアナに確認するように言った。
「こんな田舎への輿入れには、不安も不満もあったと思う。それでも…僕の支えになってもらえたなら、嬉しい…」
ルシアナはハッとした。
かつてルシアナが、デュランに対して吐いた暴言の数々。もしかしたら、あの頃のデュランもそれを自覚していたのかも知れない。
だからあの時、彼は笑っていたのだ。
自嘲という意味の笑顔。
いまのルシアナには、彼が非力で無能な人間には見えない。優しくて、先見の明を持った聡明な人だ。
あの時のルシアナは、王族らしからぬ彼を無能だと決めつけ、ストラミネアを格下の属国だと思い込み、多くの酷い言葉を投げ付けた。完全な八つ当たりだった。
それは全て自分の無知がゆえに…
ルシアナは馬車の向かい側に座るデュランの足元に跪き、彼の膝の上に置かれた右手を両手で包んだ。
『謝ってもらっても嬉しくないですよ』
脳裏にナナの言葉が甦る。
「デュラン様…」
謝罪はできない。しても意味がない。では何と言えば良いのか、彼女はそのあとの言葉に詰まってしまった。
「ルシアナ?…ドレスが汚れてしまう」
慌てたデュランが、ルシアナの肩を支えて立たせようとする。
ルシアナの隣に座っていたナナは、連日の視察の供で疲れてしまったのか、舟を漕いで眠っている。例の姫様専用のハンカチを借りることが出来ない。
「わたしは、無知で世間知らずな王女でした…どうしたらあなたの支えになれるのか、わからないのです…どうすれば良いのか、教えてください…」
ルシアナの瞳に涙のしずくが膨れ上がった。
「ルシアナ…」
ルシアナの涙が溢れるまえに、デュランが唇で受け止めた。もう片方の瞳から溢れた涙は頬を滑り落ちる。それをまた唇で追い、そしてそのままルシアナの唇を塞いだ。その優しい仕草にルシアナの涙腺は決壊した。
「……君は、僕の隣で笑ってくれたらいいんだ。それだけだよ」
騒ぎに気付いて目を覚ましたナナが、ハンカチをデュランに渡す。
「泣かないで。君がいてくれるだけでいいんだ」
「っ…はい、わかりましたわデュラン様。わたしずっとデュラン様のお側におります」
その言葉を聞いたデュランは、たまらずルシアナをぎゅっと抱きしめた。
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