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「今度、研究室の打ち上げをそこでやるそうなんすよ。俺が幹事を任されちゃったんですけど、だいたいのメニューを把握しときたいんですよね」
「でも、あそこ日替わりだよ。固定メニューもあるけど」
「そうなんすよね。だから、店の前に出てるイーゼルを撮って送ってくれませんか? それで料理の傾向を掴むんで」
「いいけど」
私はバイトの帰り道、例の居酒屋の前で立ち止まる。店の中からはニンニクの香ばしい匂いが漂ってきた。私は急に加速してきた空腹を堪えながら、スマホを取り出す。そして、びっしりと文字が書き込まれたイーゼルを撮影し、律に送信した。
その三十分後、律から通知が届く。私はちょうど少し早い夕食を取っているところだった。うどんを吸い上げながら画面を見れば、例の居酒屋の外観を撮って送れという依頼だった。
『先輩のアパートから撮った画像でいいです。出来れば周辺の建物が入る感じでお願いします。研究室のメンバーに転送するんで』
私は首を傾げながらも言う通りにする。スマホを片手に窓を開けてベランダに出た。
日が沈みかけた外は薄い群青に染まっていた。学生用のアパートやマンションが建ち並ぶ殺風景な通りの中で、唯一鮮やかな赤のオーニング。それが例の店だ。昼間はランチも出していていつも賑わっているが、私としては少しお値段が高く、これまで2回しか入ったことがない。
「羽振りがいい研究室なのねーうらやまー」
などと呟きながら、アスファルトに明かりを落とす店を目掛けてシャッターを押した。そのまま送信すれば、直ぐに返信が来る。
『あざす』
糸目で笑う顔が目に浮かんだ。
ベランダの手すりに靠れながら、これまでの律との日々を思い返す。諦めると決めたのに思いが募ってつらい。
律は院に進むと言っていた。意外にも真面目に研究に取り組んでいるらしく、粘り強く実験に食いつく態度が評価されているらしい。
飄々として見えるが、好きなものにはしつこいとみえる。その対象になれなかったことは悔しいが、仕方がない。
潔く諦めて故郷に帰ろう。そして、来年の冬にはお望み通りみかん箱を送ってやろうじゃないか。
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