《FRAGMENT》女王の記憶

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《FRAGMENT》女王の記憶

◇◇◇FRAGMENT《女王の記憶》◇◇◇  真夜中の王城――人気のない大広間で、玉座に着いたひとりの女は、長い間黙考を続けていた。  日が落ちる頃に降り始めた雨が嵐と一体となり、今はまだ遠いが、風と雷鳴の轟く音が、燭台の明かりを落とした空間に反響する。  やがて彼女はひとつの吐息を落とすと、顔を上げた。億劫そうにみじろぎした拍子に、真紅のローブに重ねた雪豹の毛皮の上を、白金色の緩やかな髪が流れ落ちる。 「――ここに、ふたつの胚がある」  おごそかな声で告げると同時に、虚空にふたつの物体が浮かんだ。  七彩の光沢を帯びた真珠貝の容器は、いずれも爪先ほどの、視認するのもやっとの大きさだった。 「ひとつは、完璧な胚。魔術によって遺伝情報に編集を加えることで完成した。女王の継承者としての資格を持ち、女王家系につきまとう血の呪いを克服した。その上、成長すれば、この世にまたとないほど優秀な人間に育つであろう」  右の貝を見て言い放ち、次に左の貝に視線を移す。 「右の胚が完璧な胚ならば、この胚はまったくそうではない。完璧な胚を作りだす過程で生まれた、失敗作だ。血の呪いは克服できず、魔術配列にも損傷がある。しかしわたくしのあずかり知らぬところで、未知の可能性を秘めているかもしれない」  「いずれもわたくしの血を継ぐ、わたくしの娘たちだ」――断言し、女はすみれ色の双眸で、ふたつの真珠貝が浮かぶさらに下方を見おろした。  そこには、玉座の下に拝伏するふたりの若者の姿がある。いずれも美しく精悍な男で、彼女の側近であり、最も信頼の篤い者たちであった。 「これは褒美である」  顔を上げた男たちのまなざしを一心に受け、女は嫣然と笑った。 「これまでよくわたくしに仕えた。これらの胚は、お前たちのものだ。女王の娘は、お前たちの出世を援け、あるいは心の拠所となるだろう。いかようにしようとも自由。女王の継承者として育てるか、あるいはよりふさわしい者に託すか。破棄してもかまわない。選択は、お前たちに委ねよう」  高らかにそう宣言し、彼女は卵をかき抱くように、両腕を大きく広げた。  瀟洒なレースを重ねた袖から覗く両腕は、しかし手首から先がない。  毛皮とローブに隠された足も同様だった。生まれつきその部位が欠損しているのではなく、二十年間の人生のなかで、彼女は四肢の大半が〝溶けてしまった〟。  魔術と蒸気機関によって繁栄を築く孤高の島国、神聖王国アケイシャ。この国をしろしめす女王家系に生まれついたものは、かならずひとつの宿業を背負う。  時の経過とともに体が溶け落ちる、致死性の遺伝病だ。  幼少期に発病すると、最後にはかならず死に至る。未だかつて、この病から逃れられた女王は存在しない。  アケイシャの女王の寿命はどんなに長く見積もっても三十年と少し。三十五年より先に生き延びた者は皆無。血の呪いともいうべき遺伝病を克服するため、近年、アケイシャでは、生体干渉を目的とした魔術研究が秘かに行われてきた。  そしてその成果として残されたのが、ふたつの胚だった。 「ならば私はこの卵を」  男のひとりが立ち上がり、片方の真珠貝を受け取った。その横で、もうひとりの男は無言のまま唇を引き結んでいる。その表情に浮かぶのは明確な怒り。  彼が口を開きかけた矢先、轟音が響いた。――雷鳴だ。  玉座のはるか高みにある薔薇窓から、閃光が射す。まばゆい光芒がギラリと輝かせたのは、女が頭上に戴く鋼鉄の冠だった。  その反射光に、赤毛のうら若い青年の姿が露わになった。雷鳴が遠のくと、意を決したように、彼は再度唇を開いた。 「もう私をお傍にはおいていただけないのですか、陛下」  恨み言に近い、執念の籠もった声だった。  胚でなくグエナヴィアだけを睨むその姿に、彼女は薄っすらと微笑み、深く首肯した。 「そうだ」  重々しく、告げる。 「症状の進行が速い。サイラスは先日王城を発ったが、もはや彼が治療法を編み出すまでに間に合うまい。わたくしは死地への旅路を歩み始めた」 「陛下……っ!」 「これから先、わたくしの美しさ、強さは加速度的に損なわれてゆくだろう。容姿も、精神性も、見る影もなく。だからもう、お前とはお別れだよ。もっとも美しい時期のわたくしだけを胸にかき抱き、生きていけ!」  その胚が育つ頃には、サイラスも帰還し、治療法が見いだされるだろう――それはグエナヴィアの祈りに他ならない。 「生体干渉魔術を広めなさい! 私が母となり産んだその魔術は、かならずや人民の命を救うはずだ。多くの命を救いなさい、たとえ私を救えずとも! そして手紙を書いて伝えておくれ。その子がどんなふうに育つか。お前の目を通して、教えておくれ――なあ、ジェイシンス……!」  両腕を掲げ、グエナヴィアは歌うように高らかに言う。  ジェイシンスは緑の目を泣きそうにゆがめ――やがて深く項垂れると、その場に跪き、主君の命を受け入れたのだった。
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