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風が鳴る。端の近くに立っていると寒風で顔が冷やされて、足が震えてくる。
一歩、一歩ずつゆっくりと足を出して右足がやっとくうに浮いた時、ふわっと後ろから身体を押されたような気がして、気付けば宙にいた。
「あ」
時間がゆっくりと流れる。目下に見える地面が迫ってくるのもスローモーションに見えたが、一瞬だった。
誰かが屋上で笑ったような気がした。
白い光が眩しくて、重たい瞼をゆっくりと開ける。暗い空が広がる。雲はない、星もない。真ん中、黄色い三日月に違和感を感じる。よく見たら左右非対称で漫画みたいな月だった。
キャラメルポップコーンの甘い匂いがして思わず辺りを見渡す。ヨーロッパの街並みのような色とりどりのレンガ作りの家々が並ぶ中、三角頭巾を被った人や、やけに先がとんがっている帽子を被る人、身体が緑の背の低い人(?)達や下半身が馬の恰好の人がいる。カオスな空間、ハロウィンの仮装大会か何かだろうか。
「あれ……ちょっと待て。僕死んだよな」
正気に返る。そうだ、ついさっき死んだはずなのになぜ生きているのか、……夢かもしれないと思って頬をつねるがしっかりと痛い。
ここは一体どこだ……。天国?地獄?それともまだ夢なんじゃ……?
「おい、探したぜ」
真横から急に声をかけられて思わず見ると、背の低い浅黒い肌のラテン系の男がこちらを見て、ニッと笑った。頭にまるで狼のような毛深い縦長の耳がついている。よく見れば、あるべきところに人間の耳は見えない。
「だれ……ですかあなた」
「おれは、案内人のプロディオだ。お前がこの世界で生きてくための初期準備は俺がすることになっている」
「……この世界?どういうことですか」
「まぁ、細かい説明は後だ。とりあえず住居と学校の入学手続きを済ませなきゃならねぇ」
プロディオ、と名乗るその男は、ついてこいと言ってさっさと歩きだしてしまう。
まだまだ混乱している中、とりあえず彼の後をついていくことにした。
プロディオに連れていかれた場所は、真っ赤な鬼が大きく口を開けた門構えのダイナミックな建物で、遊園地のアトラクションのような装飾をしたものだった。
何十メートルもありそうな果てしなく大きな観音扉から中に入ると、受付カウンターのような並びに赤い小さな鬼たちが、来る客の対応にあたっている。
一番空いている右端の受付まで行くと、さっき街で見た身体が緑の生き物が「へぇへぇ」と言って頭を下げて右に逸れていった。
「はい、次の方」
正月初詣の屋台のお面コーナーに並ぶような、嘘みたいな鬼がこちらをチラッと見て視線を落としてから、僕を二度見たのちプロディオを睨んだ。
「あのさ、俺はこいつを今からフェルミンに入学させなくちゃならなくてよ、そんで住民票を貰いたいんだが……」
「失礼ですがお客様、彼は人間族ですか?」
「そりゃ見たらわかんだろ。そうだよ」
「人間族に住民票は渡せません」
鬼は呆れたような口調で溜息を漏らして言った。
なんだと?とプロディオは語尾を強める。
「人間への差別は、つい最近の全界会議で禁止されたはずだぜ?」
「……そんなの知りません」
「あらぁそうか。そしたらお前が個人的に人間を嫌っていることになるな。まぁ無理もないよな。昔からお前らは人間の嫌われ者だし、差別されてきたしな」
鬼の黄色い眉がピクリと動く。
「あら、気に障ってやんの?」
「……わかりましたよ」
鬼がプロディオをもう一度睨み返して、ついでに僕も睨まれた。待っててください、と鬼が席を外して向こうの部屋に消えていく。
プロディオはやってやったり、と言った感じで満足そうに笑っていた。
少々して戻ってくると、何やら文字がびっしり並んでいる1枚の紙をもってきた。プロディオは数秒それに目を通すと、オッケーだ、と言ってどこからか印鑑のようなものを出したのち、それにポンっと押した。
「よし、じゃあいくぞ」
プロディオは踵を返して受付を離れていく。鬼は僕の方をずっと見ていたが、やがて目を離して次の客の対応に当たっていた。
人気が少なくなって街の喧噪が大分遠くに聞こえるところまでくると、ふと遠くに崖の上に立つひときわ大きな城のようなものが見えた。城の付近を何かが飛び回っている。
「あれがお前が入学するところ、フェルミン魔法学校だ」
プロディオは城を指さして言うと、どこからか出した紫の大きな絨毯を地に敷いた。
「乗れ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「なんだよ」
「学校ってなんですか?というかそもそもここはどこですか?」
「まだそんなこと言ってるのか」
プロディオは、ふぅっと息をつくと面倒くさそうに「じゃあ、ここらで説明するか」と絨毯に腰を下ろした。
と、絨毯がふわふわと浮遊し始めてプロディオは絨毯の上、僕の目線ぐらいの宙に浮遊している。
「え、え!?なにこれ?マジック?」
「マジックでもなんでもない。魔法だ」
「まほう?」
「あのな、お前一回死んだろ」
「……はい、死にました。屋上で」
「だろ。自殺、だよな?」
「……」
「んでな、どうやら下界では毎年お前みたいな年頃のやつが学校が嫌になってバンバン自殺するらしいじゃん。与えてもらった命、そんな簡単に投げ出してどうかねって俺はぁ思うんだけどさ。……まぁいいや。でな、下界で若者が死にすぎてるって天界がキレてのよ。天界ってのはつまり神様の世界な。上の世界に言われちゃ魔法界もまぁ従うしかないわけよ。んで、数十年前から、下界は小学校から高校まで、なんらかの原因で自殺した若者たちを魔法界に移住させてから、また下界に戻すっていうそういうプロジェクトが始動したわけ」
わかったろ?とプロディオは僕の方を指差して「お前もその一人っていうわけだ」と続けた。
正直、今の説明では全く理解できなかった。何やら難しい言葉が羅列してパニックになりそうだったが、つまるところ聞きたいことは一つ。
「あの、つまり僕は、死んだんですか?」
「うん、一回死んだ。んでまた生き返る。運がいいね~」
プロディオは、よし乗れ、と絨毯を地面まで戻して促した。
何がなんだかわからないが、僕は死んだ、そしてここは次の世界である、死後の世界かもしれない、そんな超常めいたことが起こっているのだということは理解した。
絨毯に乗る。ふわふわと浮き出して落ちてしまいそうだったので、僕は思わずプロディオの身体をつかんだ。
「しっかり捕まってよ。じゃあ行くぞ」
ビュンっと音を立てていく絨毯、くうを切るように城に向かっていくのはまるで夢を見ているようだ。
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