第21話 はじまりの頃

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 第21話 はじまりの頃

 莉帆が勝平と付き合いだしたことはバーベキューの日は秘密にしていたけれど、勝平が上司に報告してからすぐに周りに広まっていったらしい。  勝平は警察という立場上、社会的に良くない人とは付き合えないので、莉帆のことは出会った頃から細かくチェックしていたらしい。莉帆に犯罪歴はないし反社会的勢力との繋がりもないので問題はなかったし、元彼に襲われたときに提出した個人情報からも、問題点は出てこなかったらしい。 「普通のサラリーマンとは生活リズムが違うから、デートとかは少ないやろなぁ」 「それは、覚悟してます。出会った頃からドタキャンされてたし……我慢するしかないですよね」 「でもその分、会えるときは大事にしてくれると思うわ」  莉帆が話している相手は、勝平の同期の加奈子だ。  勝平と付き合いだしてすぐ、彼から『女性警察官の相談相手は欲しくないか?』と聞かれた。莉帆は普段は佳織や職場の女性たちとは話しているけれど、勝平の仕事に関係することは想像でしか考えられなかった。だから勝平からの提案は嬉しかったので、バーベキューで仲良くなった加奈子の連絡先を教えてもらうことになった。もちろん、加奈子の許可はもらっていて、先に彼女のほうから莉帆に連絡が来た。勝平とのデートより先に、加奈子と会うことになった。  日曜日の午後、加奈子が暮らす家だ。加奈子の夫はいまは仕事中らしい。 「高梨君とは、旅行で一緒になったんやっけ? 岩倉君と」 「はい。ヨーロッパのツアーで一緒になって……あのときから、いろいろ助けてくれてました」 「へぇ。二人ともイケメンやから、緊張せんかった?」 「それは全然なかったです。妙に安心感があったから普通に話せてしまって……。逆にこっちが、行きの飛行機から目つけられてたみたいで」 「えっ? それは……」  加奈子は珍しそうに目を輝かせていた。 「よっぽど莉帆ちゃんのこと気になったんちがう?」  加奈子が笑っているのはおそらく、勝平に長らく彼女がいなかったからだ。付き合うには身辺調査が必要になるので、それ以前に外見が好みだったのだろうか、それとも、斜め後ろに座っていたようなので佳織との会話を聞いていたのだろうか。 「でも私、そんな美人でもないし、たいした話もしてないし……なんでやろ?」 「高梨君は──英語がどうのって言ってたけど」 「ええ……」  英語といえば、莉帆が外国人相手に困った話しかない。聞き取れなくて困ったり、出国審査官に捕まったり、外国人に話しかけられたり。 「私、英語もまともに喋られへんから、友達にも、あの二人にも笑われたし」 「高梨君からは、言うな、って言われたんやけど──、それが果敢に見えて、可愛かったみたい」 「……そんなこと言ってたんですか?」  勝平から連絡があったときに、莉帆の何が気になったのか、加奈子は何となく彼に聞いたらしい。 「電話やったから表情は見てないけど、楽しそうに話してたわ」 「うぅ……」  莉帆は思い出して恥ずかしくなるけれど、目の前で加奈子は可笑しそうに笑っている。けれどそれは莉帆をバカにするような笑い方ではなく、勝平に好かれている莉帆が羨ましそうな、勝平が楽しそうなのが珍しいような、どちらかといえば二人のことを微笑ましく思ってくれている。 「あと──莉帆ちゃんの元彼のことも、ずっと追ってたみたい。たまたま通報のほうが早かったけど、高梨君、あの店には注意してたって」  元彼を捕まえるとき必死だった、とは勝平から聞いていた。どうやって確保したのかは想像するしかないけれど──、何度想像しても格好良いし、嬉しいし、同じくらい怖い。数日後に会ったとき顔に怪我をしていたのは、そのとき出来たものなのかもしれない。 「莉帆ちゃん──これから辛いこと増えるやろうけど、高梨君のことは保証するし、応援する!」 「それ……保証するって、みんな言うんです。悠斗さんも、一緒に旅行した私の友達だって、警察って分かる前から……。本人は、仕事できるから、って自分で言ってましたけど」 「はは、それはあかんなぁ? でも、出世はすると思う。だから大変なことも多いやろうけど、いつでも相談乗るから。私の旦那も高梨君のこと知ってるから、なんなら二人で聞くし。頑張って!」 「……はい。ありがとうございます」  加奈子がこれまでに経験したことや勝平の話を聞きながら数時間を過ごし、そろそろ加奈子は夕飯の支度をすると言うので莉帆も帰ることにした。  玄関で加奈子に見送られ、最寄のバス停からバスで駅へ向かう。中島家は高級住宅街にあって、周辺はとても静かだ。勝平はいまは高級マンションに住んでいるらしいけれど、もしも結婚することになれば一軒家になるのだろうか──それとも転勤を考えてマンションなのだろうか──、と考えてみたけれど、そんな話はまだしていないし、莉帆が彼とあまり会えなくて寂しくなって別れる可能性もまだ残っている。  バスが駅に到着し、莉帆は電車に乗る。帰り道とは違うけれど、元彼に見つかった地下街へ久々に行くことにした。当時のことを思い出してしまうかもしれないけれど、彼はいまはいない。  莉帆が行きたかったのは、あのときストールを渡してくれた店だ。他の客たちに紛れてそっと入店したはずが、もれなく従業員に見つかって「いらっしゃいませ」と上品な声がどこかから聞こえた。莉帆は若者向けのプチプラの店に行くことが多かったけれど、ここは少し大人向けの店だ。  特に目当ての物はなく、人を探していた。ほんの数分しか見ていないので記憶は定かではなく、唯一覚えているのは、彼女が大きなメガネをかけていたことだ。該当する人は、一人だけいた。 「──あのっ、すみません」  莉帆が声をかけると、彼女は笑顔で振り返った。 「はい」 「あの、私、前にここで……店の前で襲われて震えてたときにストール持ってきていただいたんですけど、覚えてますか?」 「ストール? ……ああ、はい、覚えてます」 「あのときは、本当にありがとうございました!」 「いえ、私も見てて怖かったし、あなたも顔色悪かったから……元気そうで良かったです。あのあと大丈夫でしたか?」  従業員は心配してくれていたようなので莉帆は、数ヶ月前に別件で逮捕されて今は檻の中だ、と簡単に話した。あのときの警察官と付き合っているのは秘密だ。 「物騒なこと多いからねぇ。とりあえずは安心やね」  それから莉帆は彼女と少しだけ話し、店で買い物をすることにした。いま持っているのは安っぽい服が多いので、そろそろ年齢的にも切り替えていく時期だ。自分の好みを伝え、従業員にお勧めを教えてもらう。  買い物を済ませて駅に向かっていると、スマホが鳴った。勝平からの電話だったので、通行人の邪魔にならないように端に寄って出た。 「はい? どうしたん?」 『今日、中島のとこ行ってきたんよな? どうやった?』 「良かったよ、いろいろ話聞けたし、勝平のこととか」 『えっ? 俺の話ってなに?』 「あ──あの、勝平は良い人、って話!」 『ほんまかぁ? 悪口聞かされたんちゃうやろなぁ? まぁ良いか……。それより俺、今から帰るんやけど、ご飯行けへん?』 「うん、良いけど、勝平……いまどこ?」 『……後ろ。後ろ向いてみ?』 「え? ……いた」  振り返るとすぐ近くに、スーツを着た勝平が電話しながら立っているのが見えた。莉帆は急いで電話を切って彼のもとへ走り寄った。 「もう、ビックリした」 「ははっ。いま見てたんやけど──あの店、あの時のよな?」  勝平は少し前から莉帆の姿を見つけていたらしい。 「うん。改めてお礼してきた」 「そうか。……なに食べる? 俺、腹減った」  二人で飲食店街へ向かいながら、勝平は莉帆に加奈子とのことを聞いてきた。俺の話は何なのかと、しつこく聞いてくる。 「悪口とかじゃないから、ほんまに」 「具体的には? 言われへんの?」 「いや……あの……加奈子さんは怒らんといてほしいんやけど」 「ん? 中島? 内容によるな?」 「勝平が……私の何を最初に気になったか、っていう話……」  心当たりがあったのか、勝平の顔は少しムッとなった。 「あいつ……言うなって言ったのに……くそぅ……」  勝平は怒っているけれど、莉帆には照れているようにも見えた。普段は頼もしいけれど、可愛く見えてしまう。 「私、頑張ってた? 可愛かった?」 「──っ、自分で言うなっ」  莉帆は、ははは、と笑いながら、勝平の手を握る。そのまま止まらずに歩き続け、勝平の胃袋が満足しそうな飲食店を探す。 「天丼とか? 定食が良い? お肉?」 「そうやな──」  楽しそうな莉帆を見て、勝平はとても満足していた。出会ってから今までで、一番の笑顔を見れているからだ。  それでもまだ見たいものがあることは、莉帆には秘密だ。
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