長編「賭博雷同」を書き終えて考えたこと

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長編「賭博雷同」を書き終えて考えたこと

 いつもありがとう、出雲黄昏です。  長編(10万字くらい)を書き終え、推敲も何回かしたけれど、まだ足りない、あと十回くらいは推敲してクオリティを上げるべきなのだろうが、今回は比較的早めに作品を手放すことに決めた。  推敲を重ねれば良い作品に向かっていくことは間違いないが、本文を書き終えた時点で面白さの上限は決まってしまっていると最近強く感じている。  今回書いた「賭博雷同」に自信がないとかあるとか、そんな話しではなく、川辺のありふれた石をいくら磨いてもダイヤモンドには成り得ない。    宝石の原石をザクザク発掘するスキルのほうが最近重要に思えてきた。というか、今の自分に必要な物と考えている。間違っているかもしれないが、いい。本作がダイヤモンドの原石かは書き手にはわからないから鑑定者にゆだねたい。  それに推敲って、目に見えて本文がブラッシュアップされるから悪い意味で達成感があって、推敲作業ばかりしていると危機感が募る。    ということで「賭博雷同」は僕のナマっぽい文章が残ってて、半熟気味ですがそこは割り切る。クオリティはさておき、自分の魂削って描いたことに偽りはない。  いつもながら絶対に面白いと言えるほどの自信はないが、少なからず書き手としての矜持くらいは持っておかないと読者に失礼かな。なんて最近思えるようになりつつあるのは、ちょっとでも僕の書いたものを応援してくれる人がいたからだろう。ありがとう。    賭博を取り巻く人間ドラマなのですが、執筆中に水原一平氏が大谷選手のお金を賭博に使った。というニュースがメディアを賑わせておりまして、おお、なんかタイムリーな題材になったかもしれん。  なんて思いながら、まあ僕も元ギャンブル狂なんですが(この件は本作のあとがきに記す)、日本は賭場が多いんですよ。一億総賭博中毒誘発社会。  加えて近年国内にカジノができるだのなんだの。ギャンブル依存症対策うんぬんかんぬん。  いや、現時点で日本中どこ行っても賭場まみれですし、最近はスマホがあればどこでもギャンブルできますが。    何をいまさら……と思わなくもないが、パチンコ産業も30年くらい昔の市場規模は20~30兆円あったなんて試算されるほど(現在の市場規模は半分くらいだったかな)、そのくらいギャンブルが身近なものだったけれど煙草と同じで世間の目は年々冷ややかになり市民権をはく奪しようとする圧力を感じる。  別にそれ自体は悪いことではないしむしろ賛成だ。冷ややかな視線を向けることで社会が良い方向に向かっている側面もあることは認めるが、なんだろう。  ギャンブルに限らず、これら人の心と社会の動きに乖離を感じるのか。潜在的な温度差を感じるのか。とにかく人と社会の距離感が、あらゆる事柄で速度を増して離れていっている気がしているというか、対極的な価値観が増えすぎて多くの人の理解が追いついていないというか。  よく言えば多様性みたいな言葉になりそうだけど、それもまた違和感があるから、違う。    表面上では多様性多様性と声高らかに聞こえてくるが、個々人の心を置き去りにした結果、どこかで決壊して大衆が分裂していく足音が聞こえてくるのは、単なる幻聴なのだろうか。  あるいはもう、「老害」とかいう強い言葉が生まれたように、一部では分裂が進んでいっているのかもしれない。今後はこういった事柄が増えるのではないか。  その先に待ち受けるのは本物の孤独感かもしれない。  この孤独感が「悪いもの」であるのかは、そのとき生きる人々の価値観にゆだねられ、ポジティブに「孤独感」というワードを変換した新しい言葉によって孤独感がアップデートされているのかもしれない。  そしてその一助となりえるのは文学であるというと、あまりにポジショントークが過ぎるし妄想じみているので、単なる僕の妄言だと思ってもらっていい。  そんな感じのことも考えて反映させながら本作を書いていたと思う。今明確に言語化する過程で思ったし、間違いなく現代社会のギャンブルに対する眼差しを意識して書いてしまっているのだろう。  明日から毎日一章ずつ、15連投して完結まで一直線でいくよ。    最後に誤解のないよう言っておくと、ギャンブルは極力やるべきではない。と僕は考えている人間ですから、本作読んで賭博をやったつもりくらいに負けの味わいを噛みしめてもらえたら幸甚です!
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