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13
「なに、してるんですか……?」
「十瀬に手習いしてもらっててん。ほら、あたし、ちぃちゃんのお母ちゃんや十瀬のように玄人やないから、ちぃちゃんを満足させるには技が無いやん。だから!」
すぅーっと細まった千歳の瞳が恐ろしかった。
あきの姐さんは何も感じないのか普段通りに千歳と話している。
「あきのは……、そのままで良いです。玄人ではないんですし、玄人のようになる必要も無いです」
「でも、あたし、もっとちぃちゃんに悦んでもらい――」
「黙れ!」
「ひっ!」
怒鳴られて体がビクリッと跳ね上がる。
あきの姐さんはぎゅうぅっと着物の袖を握りしめて俯いた。
おいらは、どうしたら良いんだろう。
おいらが止めなかったから、こうなってるから、おいらにも責任がある。おいらが謝らないと、あきの姐さんが全部悪くなってしまう。それだと千歳に幸せになってもらえない。千歳を幸せにできるのは、おいらじゃなくて、あきの姐さんのはずだから、あきの姐さんと一緒にいてもらわないと。あきの姐さんは千歳のことを考えて行動してこうなってるんだから、それをおいらが千歳に説明しないと……なのに……、怖くて声が出ない。
口を開いても声にならなくて、魚の真似事のようになってしまってる。
おいらとあきの姐さんが何にも言えずにいるから、外の呼び込みの声が部屋に入って来る。
「…………すみません。房事は覚えなくて良いので……、もう、こんなことしないでください。でないと、私は――……」
――誰も信じられなくなる。
そう言って、千歳は部屋を出てった。
あきの姐さんはおいらの隣でぶるぶる震えている。おいらが何か声をかけてあげないといけないのに、どう声をかければ良いかわからない。
まずは精汁を拭き取ってあげよう。その後は、きっちり千歳に謝りに行かないと……。
「とせ……、あたし……、悪いことした……? ちぃちゃんに悦んでもらいたかっただけやのに……」
「ごめん。おいら、学が無いからわかんない……」
「あたし、前もちぃちゃんに叱られたことあるんよ……。夢夏のまらが勃起さんくなった時に……、ちぃちゃんが触ったら治るんやないかって言うて……」
「千歳あにぃに惚れ薬盛った時の?」
「うん……」
あの時は、惚れ薬で気が悪くなった千歳をおいらが何度も抱いてあげたんだった。
あきの姐さんは頭が回るけど、後のことを考えないことが多いって、小焼様が言ってたような気がする。今だってそうだ。千歳がこれを見たらどう思うかってことを考えてなかった。
千歳のこと、わかった気でいた。あの人は、誰よりも嫉妬深くて、すぐ甚助になるって、知ってたのに。
千歳は、あきの姐さんのことを真に愛してるから、怒った……んだよね?
「あたし、ちぃちゃんに嫌われたらどないしょ……。もう大坂に戻らされるんかな……」
「そんなことないよ! あきの姐さんは、千歳あにぃに悦んでほしくてやったことだから気に病まないで。おいら、謝ってくるから!」
「え。でも、十瀬はあたしの我儘に付き合ってくれたんやから、ちぃちゃんに謝るなんて」
「待ってて! おいら、謝ってくるから!」
おいらは着物を整えて部屋を出る。
千歳の部屋の戸を叩いたら返事があったのですぐに開く。
「ごめん千歳! おいらが千歳に悦んでもらえるようにって、あきの姐さんに手技を教えようとしたんだ! だから、あきの姐さんのこと許してあげて! おいらが、全部悪いから!」
「……来て」
「う、うん」
布団に座っている千歳に近付く。薄明りでぼんやり光って見える瞳は、蝋燭の炎と同じ色だった。
近付いた瞬間に腕を掴まれ、布団に組み敷かれる。乱暴にされることには慣れていると言っても痛いものは痛い。千歳がおいらをこんなに乱暴に扱ったことなんて一度も無かったのに。
「私はもう楽になりたいのに……、いつも邪魔が入るんです……。今だってそう……」
「ちとせ……?」
「ねえ十瀬。私の首の傷、どういうものか覚えてますか……?」
千歳の首には、心中未遂の首切りの縫合痕と自殺未遂の縄の痕がある。
千歳はおいらの手を掴んで、その傷痕を触らせる。皮膚は張り付いてつやつやしたところと、かさついたところがあった。
「そのまま私の首を絞めて殺して」
「そんなこと、おいらにできない!」
「……でしょうね。わかってますよ。ふふっ」
なんだか様子がおかしい。
千歳は笑っているような泣いているような、判断に困る表情をしている。だけど、今まで見てきた表情の中で、一番美しくて、艶やかで、婀娜っぽい。
吐息が甘く香る。頭がくらくらしてくる。
「みんな、私のことを『好き』と言うのは、嘘だったんでしょ……。みんなそう。簡単に嘘を吐いて棄てる。ここがそういう町だとしても、素人には関係のないこと。玄人は嘘を吐くけれど、実がある時もある。騙されたほうが悪い。好いたほうが悪い。本気にしたほうが悪い。信じてたのに……」
千歳の涙がぼたぼた落ちて、おいらの顔を濡らす。
どうしてあげたら良いかわからない。今謝っても逆効果な気がした。
だから、おいらはもう片方の手も千歳の首に添えて、めいいっぱい絞めた。千歳は抵抗しないどころか、嬉しそうに微笑んだ。
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