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おいらは買われた。
女将さんは、二つ返事でおいらを売った。おいらを部屋に呼びに来た時、こう言ったんだ。
「中臣屋さんなら優しくしてくれるさ。しあわせになるんだよ」って。
おいらは部屋に貰い物をほとんど置いていくことにした。もう着飾る必要も無い。女の着物を着る必要も無い。だって、もう、陰間じゃなくなるんだ。
玄関には、憧れた黄金色の髪が二つ揺れていた。
――ああ、この美しさには敵わないや。
おいらがどれだけ求めたところで手に入らない。天神様のような美しさだ。
「今からお前の名は、十瀬です」
おいらは、十瀬。
新しい名前を貰った。
どういった意味なのか、学の無いおいらにはわからない。だけど、おいらの大切な人の父親がつけた名だ。きっと、特別な意味がある。
中臣屋へ着くなり、千歳あにぃはささっと二階へ向かった。ついていくか迷ったけんど、おいらを買ったのは、千歳あにぃではなく、亭主である小焼様だ。小焼様の指示を待つ。
「店の中のことについては、後ほど私の女房にしてもらうとして……、早速ですが、お前にお願いがあります」
「おいらにできることなら、なんなりと」
「その前に確認しておきたいのですが、千歳から夢夏という男の話を聞いたことは?」
「あるよ。……千歳あにぃが、相対死にしたいほど、愛した男だ」
ぼんやりした様子の千歳あにぃが見世に来た時に話してくれた。忘れたくても忘れられない男。
好きだとか愛してるだとか一緒になってだとか、玄人でもないやつが気軽に言って良いものじゃないんだ。その言葉にどれだけ苦しむかってわかってないから、言える。ああいうやつが一番腹立たしい。
だけど、おいらにはなにもできなかった。千歳あにぃが楽になれるならと「おいらを夢夏の代わりにして良いよ」と声をかけても、千歳あにぃは「それは嫌だ」と言っていた。
「春菊は、春菊ですから……。そんなこと言わないでください」と言われた。
あの時は、おいらじゃ夢夏の代わりになれないんだと嘆いたものだけど、あの言葉の真の意味は……おいらのことを想って言ってくれてたんだ。
「詳細は省きますが、その夢夏を強淫してください」
「へっ?」
「フリだけでけっこうです。菊座に触れなくて良い。あいつは、自分の女房を護らずに逃げ出した男です。階段を上り、四つ目の部屋にあいつはいます。布団に丸まって震えているはずなので、懲らしめてきてください。それが終わったら、自由に過ごして良いので」
「あい、わかった」
千歳あにぃの話だと、夢夏の女房は千歳あにぃの妹のはずだ。
愛した男が妹を選んだから、というのもあるだろうけど、あにぃはとても悔しかったと思う。ずたずたに引き裂かれた襤褸雑巾のような心で、今もずっと苦しんでるんだ。
おいらは階段を上り、部屋へ向かう。確かに布団に丸まったのがいる。
「だ、だれ、な、何!? や、何、する、やっ!」
「おとなしく天井のシミでも数えときな」
布団を剥がして、丸まった体を伸ばして組み敷いてやる。おいらと同じくらいに小柄な男だった。吊り上がり気味の大きなどんぐりまなこをしていて、なるほど、千歳あにぃはこういう顔が好きなのか、と思った。顔が好きだとは一言も聞いたことなかったけど。
おいらにあっけなく組み敷かれた夢夏は涙目になっている。いいや、もう泣いてるようなもんだ。帯を引き抜いて手首を結んでやった。首筋に唇を押し当てて、舌を這わせれば「ひぃっ」と恐怖の色の声を出す。
「やだやだやだやだ! やめてっ! やめてぇっ!」
「抵抗しないでいたら優しく気持ち良くしてあげるってのに、泣き叫ぶんだから、おいら、更に気が悪くなっちまうね」
「助けて! 誰か助けてぇ!」
おいらにとっちゃ、気が悪くなる演技もお手のものだ。
着物をはだけさせて、胸の頂を摘まんでやる。泣きながら嫌々するだけで、抵抗になっちゃいない。
「嫌々言うわりに、乳首を尖らしてっけど?」
「っ、や、やだぁ、やだっ! 嫌! やめて! 助けて! 誰か助けてぇ!」
「みーんなお勤めに出てるから、誰も来ないって」
「助けて! おにぃ助けてぇ! 千歳おにぃ助けてぇ!」
中臣屋には人が大勢いる。それなのに、よりにもよって、助けを求めるのが、千歳あにぃだって……?
こいつ、千歳あにぃのこと、なんにもわかっちゃいない! このまま首を絞めて――……。
障子が開く。千歳あにぃが少し曇った表情で立っていた。
……忘れられないんだね、やっぱり。
「十瀬。相手を間違えていませんか?」
「あにぃに触って良いの?」
「いえ、私はもう……」
そう言うと思った。
もう男には抱かれたくないって話をここに来るまでの道中で聞いていた。
おいらの勤めはここまでだ。小焼様のお願いも、これでおしまい。
夢夏から退いて、千歳あにぃに近寄る。
「小焼様にお礼言ってくるね。これから、おいら、自由に過ごして良いんだって!」
「良かったですね」
これは、心から良かったって思ってくれてる。おいらのような男にも、千歳あにぃは優しい。
おいらなら、千歳あにぃの寂しさも苦しみも全部全部抱えてあげられるのに……。
じーっと顔を見ていたら青い目が細まる。おいらだけを見ていて、とは言えないけれど……、夢夏より先においらと出会っていて、おいらを選んでくれてたらな、と思うだけなら許されるはずだ。
階段を下りる。帳簿を見ていた小焼様の顔が上がる。
「お疲れ様でした」
「あれで反省するような男だと思えないよ。あいつ、千歳あにぃのこと捨てた男でしょ?」
「……良い薬にはなったと思いますよ」
ふぅ、と小焼様は息を吐く。小焼様の後ろから小さな人影が姿をひょっこり現した。
「あなたが千歳の相方? 盛りの花なだけあって可愛い顔してるやの」
「えっと……」
「ウチは中臣屋小焼が妻。けいと申しいす」
丁寧に指を揃えてお辞儀をされる。所作が玄人のそれだった。
昔、港屋に来た客が話していたことがある。鬼に身請けされた小鬼の話。鬼に首を噛み千切られた女郎が小鬼に生まれ変わって、鬼の女房になったって話だ。だいぶ脚色された話だと思っていたけど……、きっとこれが小鬼だ。
「あなたはこれから好きに生きてええの。ここを出ていくのも自由。ここにいるのも自由。ウチらとしたら、ここに住んで、お勤めしてほしいの。あなたがいたら、千歳の気が悪くなった時に相手してもらえるし」
「もちろん。おいら、中臣屋でお世話になるつもりだよ。せっかくおいらを買い取ってくれたんだ。お礼させてよ」
「良かったやの」
「ちょうど一部屋空いているので、そこで寝てもらいましょうか。ここには男色の者も多くいるので……、なにかあったら言ってください」
「あい!」
「では、店のことは番頭に頼みましょうか」
小焼様が番頭を呼んできたので、おいらはその人に店の案内を聞くことになった。
新しい環境に早く慣れて、恩返ししたい。そんでから、千歳あにぃのことを……護りたい。
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