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 千歳がぐっすり眠る姿を見るのは久しぶりだと思う。常に目の下を黒くしてて、眠れてなかった様子だったから……、なんだか嬉しいな。  千歳と手を繋いだままおいらも目を閉じる。少しだけ休ませてもらってから中臣屋に帰ろう。おけいさんだって、そのことを望んでると思う。あきの姐さんには悪いけど、もう少しだけおいらに千歳を独り占めさせて。  目が開いた頃には部屋は暗くなっていた。千歳は目を覚ましたようで隣にいなかった。先に帰ってるとは思えないから、厠に行ったのかな……。後始末はしたけど、自分で掻きだしたいかもしれないし。  身支度をしている間に千歳が戻ってきた。 「あ、起きたんですね」 「うん。千歳は、後始末してきたの?」 「え、あ……、はい……」 「ごめんね。おいらがもっと丁寧にしてあげたら良かったね」 「い、いえ! 大丈夫です」  千歳は照れたような表情をしていた。小焼様と違って顔によく出るからわかりやすくて良いや。  すっきりした様子の千歳はおいらの身支度を手伝ってくれた。子どもじゃないんだから、とは思うけど、言わないでされるがままになってみた。千歳にかまってもらえて嬉しい。  身支度が整ったら、港屋を出る。車を引いて来てないから、ちょっと手持無沙汰な気分になった。 「十瀬が寝ている間に、お迎えが来ていたようですよ」 「千歳は見てたの?」 「まさか。ふられているのに見るなんて、未練がましいじゃないですか」 「千歳はふられてないって」  だけど、誘って断られたんだから、ふられたってことになるのかな……。  月明りに照らされて、千歳の髪がほのかに光る。それがなんとも言えないくらいに美しくって、儚くって、このままどこかに消えてしまいそうで、おいらは千歳の手を強く握った。 「十瀬?」 「おいらの手、握ってて。怖いから」 「あはは、暗闇が怖いんですか? 十瀬も可愛いところがありますね」 「そんなに笑わないでよ。おいらさ、千歳が一緒にいてくれると、どんなに暗くても怖くないんだ。だから――」  言いかけて、言葉を飲み込む。  これを言っちゃ駄目だ。おいらはこれ以上千歳の優しさに甘えちゃいけない。夢夏と同じようなことをしちゃいけない。  千歳がおいらのことをどう想ってるかわかんない。だけど、あきの姐さんと房事をするのは嫌みたい。あの時はあきの姐さんを叱っていたけど、あの怒りがおいらに向いていたら、おいらは……どうしたら良かったんだろう……。謝ったけど、けっきょく、おいらがやっていることは、夢夏と変わらないんだ。  千歳が誰も信じられないって言わないように、信じていてもらわないと……。 「十瀬。心配しないでください。私は何処にも行きませんよ」  千歳の声はいつものように優しかった。  月明りに照らされながら堤を歩き、吉原の大門を通る。  吉原では、いつものように男達が欲を満たす為に見世を覗いて今宵の相方を捜している。一夜限りの夫婦ごっこのお相手を捜すのに誰もが夢中なんだ。 「……きれい、ですね」  千歳は、ぼんやりとした様子で呟いた。  大行灯で照らされた女郎の姉さん方は綺麗だ。籬の向こうから男を誘っている。だけど、千歳が綺麗と言ったのは姉さん方のことじゃない。視線は上。  薄桃色をした花が咲いている。桜だ。
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