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クソ重い
「お嬢様…! お目覚めになったのですね!」
背後から声をかけられ、振り返る。
「おはよう、ナンシー。私はどれだけ眠っていたの?」
窓から朝日がさんさんと降り注ぐ中、淡いバラ色の髪を背中に流し、寝間着のまま少女は姿見のガラスに手をついてこてりと首をかしげた。
「オーロラお嬢様が凱旋パレードで倒れられてから二日ほど経ちました。もう、どれだけ心配したことか…」
十年近く侍女としてそばにいてくれたナンシーはくしゃっと顔を歪め、目に涙をにじませながらオーロラにガウンを着せかける。
「心配かけてごめんなさい。パレードではしゃぎ過ぎたのか、物凄い頭痛になって気持ち悪くなっちゃった。あんなこと初めてだったわ」
「お医者様は熱気に当てられたのだろうと。それでも一日以上眠り続けておられるので、もっと高名なお医者さんを手配すべきだと執事に進言していたところでした」
ナンシーに手を引かれ、暖炉の前のソファに座らされた。
天気が良いが、まだ春さきの朝は冷える。
使用人たちが気を使ってずっと部屋を暖めてくれていたらしい。
「あら、大変。すぐに取り消してちょうだい。私はもう大丈夫よ。…そうね。いつものお医者様をとりあえずお願いしてくれるかしら」
「はい、ただいま」
一礼して、ナンシーは部屋を出ていった。
「執事…ってことは、私がこん睡状態になっても両親や兄は駆け付けたりはしなかったのね」
オーロラは暖炉に両手をかざしながら呟く。
「というか、そもそもここに私がいること自体、ずいぶん話が違うじゃないの」
『今の自分』は、オーロラ・トンプソン、十六歳。
男爵家の三男ゆえに継ぐ爵位がなくて平民となり商売をしている父と、同じような出自の母、そして彼らが溺愛している兄がいて、彼らはほとんどこの屋敷にいない。
もともと貴族生まれだからなのか、それなりに裕福だからなのか、両親は子育てを一切せず、全てを使用人に任せていた。
いや、たまたま生まれてしまったオーロラに関心がなく、放置していると言うべきか。
物心ついた時には両親は仕事も社交も兄を連れていき、様々な教育も施した。
娘の事はこの屋敷の執事と侍女長に丸投げで、侍女長が若いころに伯爵家で勤めていたおかげで淑女教育の類はなんとか手配してもらっているが、学校へは通わせてもらえず、家庭教師のみだ。
十六歳なのに、王都の学校へ通っていない…。
そう。
幼いころにそこそこの家門の貴族の養女になったという設定だったはずのオーロラは依然、平民で。
王子や貴族の子女が通う王立学院へ入学する資格がないのだ。
ずば抜けた学力の持ち主ならば特待生ということもできるのだが、オーロラは『ぎりぎり男爵家程度にお嫁に行ける程度』の学習しかさせてもらえていないし、親からの打診もなかった。
兄は多額の寄付を積み親戚筋の口利きで通わせてもらって数年前に卒業したというのに。
以前、自分も通いたいと両親に手紙を出したが、なしのつぶてだった。
なんとか父親を捕まえてねだると、金はうなるほどあるが、娘につぎ込む気はない。
兄は貴族との顔つなぎが必要だから通わせたと真顔で返され、一晩泣いた記憶がある。
つまりは。
「ほんとにコレ、あの乙女ゲームの世界なのかなって、はなはだ疑問だ…」
おそらく『あの時』自分は死んで。
ネット小説によくある、乙女ゲームの世界に転生したのだと思ったのだけど。
名前と容姿以外、一致するところがあまりない。
『聖女オーロラは愛を奏でる』でヒロインであるはずなのに、設定の要である十五歳から通うはずの王立学院に入学すらできず。
ゲームのスタートの入学イベントはもちろんなく。
そもそも。
詳しい内容はほとんど覚えていないが、凱旋パレードはエンディングだったではないか。
「よく解らないけれど、ゲームより二年も繰り上げして、誰かが終了させたという事かな」
十年近くも前に観たゲームに執着はないので別に構わないのだが。
家族とは疎遠だが、裕福な商家のお嬢様ポジションで、悠々と暮らしているのだから。
「それよりもさあ…」
深々とため息をついて前かがみになりかけ、うむむと唸りながら体を起こす。
「心愛…。乳ってクソ重いのな…」
オーロラとしての記憶は至って自然で、言葉遣いの違いはあれど性格もたいしてかわりはない。
俗にいう入れ替わりとかではない気がする。
しかし。
なぜか身体の感覚についていけない。
前世では申し訳程度だったの胸がいきなりミサイルみたいになってしまい、鈴音は、かなり持て余していた。
しかも、心愛そっくりの顔というのも、多少辛かった。
目覚めて小一時間にもかかわらず、混乱していることも含めとにかく鬱々としてくる。
「これ、カスタマーセンターとかってないの? ねえ、運営は?」
宙に向かって語り掛けてみたものの、しんと静まり返った寝室に答えが落ちてくることもなく。
「はーあああー」
オーロラ、いや、鈴音のため息が天井に向かって立ちのぼってくのみだった。
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