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ジェイはふと、ケイン課長の顔を思い浮かべた。
「ケイン課長は?出勤しているのか?」
ジェイはエレベーターで財務課のフロアに降りて、ケイン課長が欠勤していることを知った。
やられた!
ジェイは怒りのため、デスクを拳で叩いた。
ジェイは市役所を出ると、空港までタクシーを飛ばした。もしかすると、資金を持ち逃げしたケインは妻を連れて、飛び立とうとしていると考えた。
タクシーの運転手に無理を言って、制限速度ギリギリで、飛ばしてもらった。
降車すると空がどんよりと曇り始めていた。
ジェイは同じくタクシーから降りてきたケイン課長とその奥さんを見つけた。
ケインは妻の背中に手をやり、搭乗ゲートまで歩いていた。その妻のやつれた姿を見て、ジェイは一瞬、ためらった。
だが、ジェイは心を鬼にした。
「ケイン課長、どちらへ行かれるんですか?」
ケインは振り返ると、顔色を真っ青にした。
「頼む。ジェイさん、見逃してくれ。妻はこの通り、重い病気なんだ。妃王星に優秀な医者がいて、妻を連れて診察してもらうんだ。でも、渡航費が莫大でね。時間がないんだ。悪いとは思った。必ず、金は返す。だから、見逃してくれ」
ジェイはどうしていいかわからなかった。
「ケイン課長、あなたが盗んだお金は市民の善意のお金です。そのお金を、もちろん、奥様が病気なのは気の毒に思いますが、個人的な事情で使わせるわけにはいきません。データを返してください」
すると、ケインは突然、土下座をした。
「ジェイさん、お願いだ。妻は今にも死にそうなんだ。頼む。この通りだ」
「ケイン課長、土下座なんてやめてください」
搭乗ゲートに向かう人たちの好奇な視線を痛いほど感じる。
その時、空が灰褐色に変わり、ひらひらと雪が舞い落ちてきた。その雪は徐々に密度を増し、視界を覆うほどの降雪となった。
「おい、雪だ!雪が降ったぞ!」
搭乗ゲートに向かう人たちが足を止めて、騒ぎ出した。
ジェイもケインもその妻も呆けたように、雪を見つめていた。
「ケイン課長、どうぞ、奥様とともに飛び立ってください」
ケインは意外そうな顔をした。
「雪が降りました。三十年ぶりに。だから、クラウドファンディングのお金は必要なくなりました。さあ、早く」
「しかし...」
「わたしの方から市民には説明しますから。きっと市民たちは快く、ケイン課長の奥様のために使ってほしいと言うでしょう」
ケインは涙を流して、ジェイに抱きついた。
雪はますます勢いを増した。この分だと積もって、家に帰るのが難儀になるだろう。
奇跡的に降った雪は三十年ぶりに、顕王星の市民の心を潤した。
(了)
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