ゴールデン・バージニア

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『ゴールデン・バージニア』 [テーマ:戯曲] __________________ ガタンゴトン、ガタンゴトン。 「ぁ...あぁあ...!」 濃いブラウンが染みたニス塗りのアルバートバー。 その土台に崩れ落ち、天井に向かって頭を揺らしながら泣き喚く女あり。 その女、手足がなく鮮明な血液を全身に浴びており、グリーンベースの白い花弁と赤の蕾の派手なパフスリーブも真っ赤に染っていた。 べっとりと粘着力のある血液である。 「あぁ...あ...あ...!」 ガタンゴトン、ガタンゴトン... 周りを囲うのは豪華に金とプラチナ色に縫われた列をなす座席たち。 大量に散らばったおが屑のような肉片を浴び、赤の中から金とプラチナが光っている。 「あ...あ...ぁ...」 相も変わらずその空間は落ち着いた黄金のシャンデリアに照らされている。 まるでウィスキーに丸氷を入れたような空間であった。 きぃ...きぃ... ガタンゴトン、ガタンゴトン... __________________ [序章:列車ロイヤル・ラディエンス号] ___1910年代 イギリス バーミンガム・ニューストリート____ 「まもなくスノードンヒル行き、ラディエンス号が発車します!招待をお受けの方は速やかに、すみやかにご乗車くださーい!」 とたとたっ 「お兄様、列車が発車してしまいます!」 [メアリー・ベアリング(17) バーミンガム名家、ベアリング家の一人娘。紺ベースの金の線の入ったファシネーターを被り、また紺のアフタヌーンドレスを着用した金髪の少女。落ち着いた性格で、兄であるトマスと列車に乗る運命にある] 「遅れた、招待状はあるか?」 [トマス・ベアリング(22) ベアリング家の長男。茶髪のブラウンのスーツを着用している。またこの男も、列車に乗る運命にある] 「私が持っています」 「よし、いこう」 あぁ、彼らは社交の経験として、この豪華列車に乗り込んでしまった。 誰にも逃れられぬ運命に我々はただ傍観するのみなのである。 いや、我々は興味本位で楽しんでいるだけなのだろう。 この悲劇を我々は戯曲として、嗜んでいるのみなのだから。 __________________ __列車内 第4車両 GK23 「この部屋が私たちの寝室らしいです」 「私たちの部屋に劣らない具合だ。これは楽しい旅になると思わないか?」 「ええ、とても楽しみです」 「それじゃ、この窓から景色を楽しむとするかな」 「あぁ、それとお腹は空いていないか?この...第2車両に行けば料理を振舞ってくれるそうだ」 「第2車両...は先頭から2番目ですね」 「いえ、まだ空腹ではございません」 パカッ 「...それでは1時間後ではいかがでしょうか。夕飯時には丁度いい頃合かと」 「ではその様に」 「それじゃあ私はバーに行ってくるよ。フランスの上質なワインを飲めるらしい」 「はい。行ってらっしゃいませ」 「...」 ベアリング家の姫君はひとり、窓から人々の雑踏を眺めていた。 それもそうであろうこの姫君、メアリーは日々淑女として励む日々であったからである。 退屈な日常を忘れ、駅を行き交う人々の姿を眺めてこその貴族だ。 そうは思ってはいなくとも、上流貴族に生まれたために姫君の心にはその快感が染み付いていたのであった。 悲しいかな、この先の旅では身分など関係の無い魑魅魍魎の領域だと言うのに。 __________________ 「列車が発車します!ご注意ください!」 ガガッゴゴゴ... ポーッ! 「...」 ググ...ンッ 「車内が揺れます、ご注意ください」 ガゴンッ 「きゃっ!」 ぽさっ 「大丈夫ですかな、姫君」 [アーサー・クリントン(19) 英軍、特別警護部隊隊長。カーキの将校服を着ており、度々礼儀を欠いた行動をとる。だが少年のような美しさ故に女性から絶大な人気を誇る。目が青く、黒髪] 「え、えぇ。大丈夫です」 「それより、ここは寝室です...!乙女の部屋に無断で入るのは如何なものかと...!」 「おぉ、無礼をお許しください。如何せん初めて列車にお乗りになられる姫君を心配した為なのです」 「お偉い軍人さん、お心遣い感謝致します。ですが早急に退出してくださると嬉しいのですが」 「えぇもちろん。すぐ出ていきますとも、全く申し訳ない」 「私は忠告しに来ただけです、ベアリング家の姫君」 「忠告...?」 「えぇ、ここ最近列車内強盗が頻発しておりましてね。誰かがちょろまかすとかそういうレベルでは無いのですよ」 「分かりますか?こうやって銃を突きつけて」 軍人はメアリーの額に指を向ける。 「パーン、と」 「...」 「彼らの要求に従わなければ床に転がるのみ。棺桶にも入れちゃあくれません」 「...」 「まぁ、何が言いたいかというと、敵が居るとしたら内部にいます」 「この列車内のね」 「ではそのならず者がこの列車に紛れ込んでいると...?」 「いえいえ、まだ確証はありませんがね。一応そういう情報を乗客の皆様にお伝えして回っているのです」 「...そうだったのですね」 「ですが安心してください。その貴族様に紛れたならず者は必ず仕留めますから」 「そのための私たちです」 「そうですね...」 「それでは失礼致します。良い旅を」 「えぇ」 「...」 __________________ __第2車両 レストラン____ コトっ 「こちら前菜、ロシア産キャビアの塩漬けになります。よろしければこちらのバゲットに乗せてご賞味ください」 「とても美味しそうですね...!」 「家ではよくキャビアは食べているだろ?」 「えぇそうですが、この列車には英国選りすぐりのコックが乗っているそうですから」 「そうか...あむ」 「んむ...んんっ!」 「とても濃厚な味が卵から溢れだしてきます。芳醇な海鮮の香りもとてもいいですね!」 「うん...美味いな」 「相変わらずメアリーは食事が好きなんだな」 「はい!最近では様々な国から食材が入ってくるので、まるで世界旅行をしているようで...!」 「...」 「ふふっ、そうか」 コトっ 「こちらフカヒレの姿煮スープになります」 「こちらは清の料理をベースにしました」 「東方の料理ですね」 ジュルッ 「...ん...!」 「いつも食べる料理とまた違う。お父様とお母様に感謝しなくちゃな」 「そうですねっ!」 「ところでメアリー。この列車内で誰かと交流したか?」 「そうですね...軍人さんに会いました」 「軍人か。警備の人間だな」 「はい。ですがどうもその人は苦手です」 「勝手に寝室に入ってきたのですよ?少し非礼な気がします」 「そうか...それは考えものだ。後でガスに連絡しておこう。この列車を管理してる人だ」 「ガス・ロータス様ですね。お兄様、お願いします」 「任せなさい」 「さて、問題は解決したな。トスカーナ産のワインも追加しよう」 『飲み過ぎですよ。お兄様はベアリング家の紳士なのですから...』 「大丈夫だ、醜態は晒さない」 『まったく...』 _________________ ____第3車両 談話室______ 「それでねーその男ったら上から猫が落ちてきたのにも気が付かなくてねー?」 「黒い悪魔が落ちてきたーって大騒ぎしたのよ」 「きゃははっ、やだもう...!」 「...」 談話室に入ると、そこには2人のご令嬢が甲高い声を上げて楽しそうに話していた。 最初は控え気味であった姫君であったが、猫のように招く手に引かれ暫くはその談話室で話すこととなった。 「本当の話よ?そのままどこか行っちゃったんだから」 [フローラス・サッチャー(19) 衆議員と関わりの強いサッチャー家の次女。茶髪のロン毛が特徴] 「もう、ほんとに...!ふふっ」 [マスビー・キャッシュ(20) タバコ産業で名を馳せたキャッシュ家の一人娘。短髪の黒髪が特徴] 「それはそうと、ベアリング様はもう殿方と関係はありまして?」 『と、殿方ですか?私は...』 「隊長様は?あの人、軍人特有のむさくるしさがなくってとてもいいお方ですよ?」 「そうそう。威張ってもないし、おまけに髭もない少年のような美しいお姿。間違って食べてしまいそうですわ」 「「きゃははっ」」 『確かに美形ではありますが...少しあの方は苦手です』 「なぜです?」 『勝手に兄と私の部屋に入られたのです。いくら怪しい人物の注意喚起のためとはいえ...』 「「へ、部屋にはいられたのですか!?」」 「なんて大胆な...」 「でも、乙女の部屋に勝手にはいられるのは...いくら美少年でも非礼ですわ」 『えぇ...それと、そのならず者のことが気になります』 「恐ろしいですね、最近だと強盗なども多発してるらしいですから」 「なにやらフィンチ・コロランドという犯罪者集団が関わっているらしいとの事ですのよ?」 「まったく庶民には呆れますわ」 「まったくです、まったく...」 __________________ ____第4車両 GK23____ 「(...)」 「(...お兄様、妙に遅いですね)」 「(今はコックたちも寝てるし、空いているのはバーだけでしょうか)」 「(放浪癖は治ったと聞いたのですが...)」 「(少し心配ですね)」 「(...まぁ、ここは自宅でもないですし早く寝ましょう)」 _______________ [第1幕:] 朝を迎える。 その朝は日が昇って窓際から緑の平原が見えた。 所々紫色の花が風に揺れている。 姫君は埋もれてたベッドから顔を出し、それを眺める。 「...」 「...すごい」 だがそれもつかの間、外のドタドタという騒音に嫌に目を覚ます。 「ーーーーっ」 「(なんだろ、すごい騒がしい)」 メアリーはピンクのモーニングドレスに着替える。 髪も軽く治し、格好のつかない様子にはしない具合だった。 あくまでも彼女は、ベアリング家の長女であったからだ。 彼女は施錠を解除し、分厚い引き戸を右に引く。 すると目の前で廊下を走る女とぶつかりそうに掠った。 「...っ」 「びっくりした...」 「(今の人、第3車両に走っていきました...なぜこんなにも騒がしいのでしょうか)」 メアリーは第3車両に入る。 「...」 「第3車両には居ない...他の人も第2車両に向かっています」 第2車両。 「ここでもない...もしかして、皆様列車の先頭に向かっておられるのでしょうか」 「そういえば、第1車両はバーだったような...」 ガチャッ メアリーは第1車両の戸を開いた瞬間、その人だかりに息を飲んだ。 奥には多数の軍人が何かをして体を動かしており、人だかりでよく見えなかった。 「...」 「...っ!」 「(血...!あれは...完全に誰かの血液...!)」 「いかにも。あれは人間の血液です」 「あ、あなた、隊長様...!」 「おはようございます、姫君」 隊長ことアーサーはメアリーの右隣の椅子に座ってタバコをふかしていた。 「今回は残念でした、誠に。 お悔やみ申し上げます」 「お、お悔やみ...?」 「まさか...!」 「あーあまり見ない方が...といっても聞きやしないか」 「通してください、通して...!」 人混みをかき分けた末、たどり着いた先は血溜まりとひとつの布を被った人形であった。 召し物は、兄のスーツであった。 布から茶髪が漏れ出る。 「お、兄様...」 「大変申し訳にくいのですが。貴女の兄、トマス様は本日他界なされました」 「なにを...」 「正直言いますと、我々も把握しきれていません」 「朝、バーの担当が第1車両の施錠を解く際にご遺体が発見されたのです」 「うっ...」 「ご気分が優れませんか?ではトイレにゆきましょう」 「い、いえ...それより兄の顔を...」 「...」 「かしこまりました。ベンジー、布を取れ」 ぬちゃ... 「うぅっ...!」 「ベンジー、そこまでだ。 姫君、自室に向かいましょう」 「い、嫌です...なぜ、こんなことが...」 「...」 __________________ ___第4車両 GK23_______ 「...」 「なぜ、こんなことに...?警備は貴方の仕事ですよね...?」 「生憎、全車両施錠した後は皆最後尾の寝室で眠るものですゆえ」 「無能...!あなた方は無能です...!ならばなぜ、この列車の名簿を確認しなかったのですか...!」 「お兄様が1人いないことも考えなかったのですか!?」 「しましたとも。夜23時にトマス様は寝室に戻られています」 「...はい?」 「22:50、この時点で車両を締め切るのでバーで一人で飲んでいたトマス様を部下が寝室に帰らせました。その後すぐに施錠しましたがね」 「その時に、貴女は寝室にいらっしゃいましたよね?」 「就寝していましたが...」 「姫君、我々は最善を尽くしました。その後も1時間おきに交代で第4第5第6の見回りをしましたが誰も動いたり歩いたりしていませんでした」 「...」 「これは機密なのですが、姫君。私は犯人に心当たりがあります」 「犯人がわかるのですか...?」 「えぇ、まぁ最初から目処は着いていましたが」 「これを」 「これは...お兄様の体...」 「写真の現像が思いのほか早く終わりましてね。この切り傷をご覧下さい」 「この丸いマーク。これはギャング、フィンチ・コロランドのシンボルマークです」 「...っ!」 「奴ら、何を思ったのか知らないがこの列車に乗っていることが確定した。犯人は間違いなくこのギャング団です」 「なぜそんなものに...お兄様はなにも恨みを買うことなど...っ」 「えぇ、それはベアリング家の情報を知った時から理解しています。問題は無実の招待された方がなぜ殺されたのかです」 「それを今から調べますが...とりあえず警備を強化することに尽きますね」 「...」 「(お兄様がなぜそんな...悪いことはしていないお方なのに...)」 「失礼ですが、姫君には私が付き添いで警備に当たります。私から離れぬように」 「...」 「これは列車強盗...ですか」 「どうでしょうか。強盗がわざわざ自分のシンボルを残してはゆきますかね」 「明らかにあれは見せしめですよ。アメリカ人が先住民の頭皮を削ぐようにね」 「失礼、あまり育ちが良くないもので。相応しくない話題でしたね」 「...」 「いいえ、聞かせてください」 「何故そんなことをしたのか。何故この列車に乗ってきたのか。私も解き明かす義務がございます」 「...」 「はははっ」 「いえ申し訳ない。思いのほか力強いお方だったので面食らっただけです」 「いいでしょう、姫君がそう望むなら私もそれに応えるまでです」 「紅茶を取りに行ってきます。少しの間失礼しますよ」 ガララッ コツ コツ コツ コツ... 「アーサー隊長が紅茶を入れてる。どうやらベアリングのご令嬢と仲良くやってるらしいな」 「抜け目ないぜ」 「あぁ、だがひとつ不思議なことがあるんだが」 「あの人、俺と同じ士官学校のはずなのに見たこともないんだよ。あの歳で大尉だなんて絶対に顔を覚えてるはずなのに」 「覚えてるはずないだろ。お前戦うことしか頭にないんだからよ」 「やかましーぞ」 __________________ ___第2車両 レストラン_____ 「こちらオマールエビのサラダのカクテルソースがけになります」 「ブルターニュ産です」 「...」 「人間というのは心的負担が大きくなりすぎると味覚を感じなくなるらしい。たとえそれが好きな食べ物だとしても」 「...」 「アーサー、うるさい」 「うるさい、か。 ははっ、益々貴女に興味が湧いてきました」 「...」 「そう機嫌を悪くしないでください。部屋に行ったらまた話しますよ」 「そのためにはまず、食べないと」 「...」 もぐもぐ... 「...味がしない」 __________________ 「...」 「というわけで、なにか思い当たるところは?」 「...」 「え?あ、ごめんなさい...」 「少しお疲れのようですね。お休みになられますか?」 「い、いえ...少し、ぼーっと...」 メアリーは窓に目を向ける。 「....」 「(そういえば、窓の鍵が空いてます。私は開けたつもりないのに...)」 「!?」 「どうかしましたか?」 「これは...お兄様の名刺...!」 「名刺...」 「タバコみたいに丸まって小さく窓に挟まってる...なるほど」 「どうやらトマス様は、メッセージを残したようですね」 「それを開いて」 「...」 ぺらっ 『メアリーお前のために私は死ぬ警備は当てにならないならずものが列車にいる愛してる』 「...」 「な...なにこれ」 「私のために...死ぬ?」 「明らか脅迫されてる。奴らは貴女にも手をかけようとしたようだ」 「ついでにこの列車内の警備も買収したと」 メアリーはアーサーから千鳥足になりながら後ろに下がる。 寝室には逃げる場所はなく、背中と壁が激しく接する。 だが幸運にもテーブルにて果物ナイフが鎮座していた。 チャキッ 「ち...近づくな...」 「姫君、落ち着いてください。私は味方です」 「この悪魔ッ!嘘をつくなッ!」 「どうすれば私を信用してくれますかな」 「...」 「そのナイフで指を詰めるか。まぶたを切り取るか、舌を切り取るか」 「忠義というのはそういうものなのでしょう」 「一体なんなんですか...!何故私達を殺すのですか!」 「...」 「信じてください、私はあなたを殺そうとは思っていません」 「その証拠に」 アーサーは腰のサーベルを抜き、頸動脈をゆっくりと掻き切った。 ぴゅっ....ぴゅぴゅうぅ... 「〜ッッ!」 「姫君が私を信用するまでこの傷は止めません」 「もし信用すると言うのなら、あなた自身の手でこの傷を受け止めてください」 「...なんて...なんて恐ろしい...っ」 「ざぁ...いががなざいまじょう...」 「狂ってますッ!...貴方...!」 「さぁ"...ざぁ...」 ガクンッ アーサーは跪く。 持っているサーベルも床に力なく落とされた。 「(なんて...なんてことをする人でしょう...)」 「(こんなことする人は...今まで出会ったことなど...)」 「...」 ぴぅ....ぴゅ... ぐっ メアリーは倒れかけたアーサーの血を押えた。 「ひどい人...」 「なんて、残酷なことを...」 _________________ 「誰です、その人」 「安心してください、ルナは信頼できる部下です」 「失礼ですが外に出て貰いたい。姫君には醜態は晒したくはありません」 「治療は醜態などでは...」 「メアリー様、治療のためこのバカの服を脱がします。こいつの裸が見たいようでしたらそこで座って見物していてください」 「い、いえ出ます...!」 ガララッ 「(なんで軍人の方というのはあんなに乱暴なのでしょうか...)」 「(それにしても...あのルナって人女性でした)」 「(女性でも軍人になれるのでしょうか...)」 __________________ 「また格好つけたな、この馬鹿が」 ぎゅー 「怒るなよ、いたたっ...」 「女なら誰でもいいのか?最低だな」 「その低い声で責められたら...なにか目覚めそうだ...ぐっ...!」 「アホか。しばらく寝てろ」 「警備のことは私がやる」 「そりゃ頼もしい...」 ___________________ [第2幕:糸(意図)] 「こちらフォアグラのテリーヌになります。バターをたっぷり染み込ませたパンに乗せてご賞味ください」 そして、夜になる。 彼女は第2車両で夕食を食べていた。 「あ...美味しい」 「どうやら味覚が戻ったようですね」 「はい...しかし、大丈夫ですか...?」 「あぁ、問題ないです。食事をすれば血も回復しますよ」 「...そうですか」 「それより、トマス様の謎が解けましたよ」 「謎...?」 「第1車両のバーカウンターからトマス様の靴跡が発見されました。それも色濃く。おそらく暴れたのでしょう」 「バーカウンターって...なぜそんな所に」 「バーカウンターには本来紳士淑女はたち入れません。これがどうも臭いのです」 「これは憶測ですが、トマス様は寝室に入ったあとまた通路に出てバーに戻った。車両間は施錠されていたが、買収された警備がトマス様を通らせるために施錠を一時解除しトマス様をバーに閉じ込め施錠した」 「といった具合です」 「でも、なぜそんな手の込んだことを...」 「犯罪者のやることは理解できませんね、まったく」 「金品目的には変わりないようですが」 「それはそうでしょう...お兄様の財布が消えてるんですから」 「そうですね。そういえばそんなこともお話しました」 「やつら慎重ですよ。ここまで慎重だとは思いませんでした」 ガララッ 「おい、終わったぞ」 「お疲れ様」 「ルナさん...」 「(手が腫れてる...何してたんだろ)」 「今夜か?」 「いや、明日だ。準備は万全じゃなきゃいけない」 「なんの話...ですか?」 「明日共に夜を明かそうって話ですよ、姫君」 「...」 「(こんな堂々と...恥ずかしくないのでしょうか)」 「(ルナさんも黙っているとこっちが恥ずかしいです...というかすごい嫌そうな顔)」 __________________ __GK23_______ 夜8時。 ベアリングの寝室は既に消灯していた。 ただ、先日の殺人事件によってメアリーは夜に恐怖を抱いてしまい、寝るに寝れないのである。 時折兄の溶けた顔面が脳裏に過り、その度に眠気を阻害してしまうのであった。 「...」 「心配事ですか?」 「いえ、ただ...」 「警備のことは心配ありません。もう既に解決しております」 「...そうですか」 「あの、何を読んでるんです?」 ベッドの傍で椅子に座るルナがランタンのきつね色に照らされた。 ボロボロの本のページを捲っている。 ランタンの光はあまり強いものではなく、闇と光が入り交じってルナの顔が見え隠れしていた。 「ヴィーダのフランダースの犬」 「フランダースの犬...読んだことあります」 「ルナ様のお気に入りだとお見受けしますが」 「...」 「小さい頃、暗がりを恐れた私に父がよく読み聞かせてくれたものです」 「この本を読むと、その時の思い出が蘇って再度私に愛を教えてくれます」 「それがとても心地良い...もちろん筋書きも好きですが」 「へぇ...」 「...なんです?」 「いえ、なにも。ただ、軍人の方がそのような素敵な話をされるのがいささか不思議で...」 「申し訳ございません。私は貴女を少し乱暴な方と思い込んでました」 「...」 「その認識で変わらないといったところが本質でしょう。私は乱暴には変わりませんから」 「ご、ごめんなさい」 「...」 「眠れないのでしたら、ひとつ読み聞かせというのはいかがでしょうか」 「読み聞かせ...?そんな、子供じゃあるまいし...」 「眠れないのでしょう?」 「は、はい」 「では、楽に」 ___________________ 「そうして、ネロはこう言いました」 「死んじゃやだよ、おじい_____」 「すぅ...ぅ...」 「...」 パタンッ 姫君は寝てしまった。 だがその眠りは殺人列車のことなぞとうに忘れているほど安らかであった。 ルナはフランダースの犬をパタリと閉じ、しばし姫君の寝顔を覗く。 「...」 「吸うか」 チャカッ ジッ ジッ ボゥ... 「...」 「すぅ...ふぅ...」 コツ コツ コツ コツ 「...っ」 奇怪な足音。 何者かがこちらに向かってくる音。 ルナはいち早く反応し、腰の中折式リボルバーに手をかける。 「...軍人ごっこね。面白いわ」 「出てこい。蜂の巣にしてやる」 「怖いから出ない」 「それに、出てきたらもっときな臭くなってしまうわ」 「ね、ルナ」 「お前ら自分が何してるのかわかってるのか?」 「もちろんわかってるわ。だからこれは宣戦布告よ、あなた方へのね」 「私達は独立する。あなた方の元を抜けて」 「勝てると思ってるのか?穀潰し共が」 「あら、それはあなた達のことじゃなくて?」 「私服を肥やして政府に潰されるのをただ待つのみ。そんな生活、私耐えられないわ」 「必要なことだけ話すわ。明日第1車両でこの乗客全員を肉片にする」 「なんのために」 「証人を消して列車を奪うためよ」 「この列車の豪華な装飾を資金にするの。そしたらしばらくのしのぎになるわ」 「政府が許さない。責任はどうとるつもりだ」 「何言ってるの。それはあなた達の責任よ」 「政府はあなた達を潰し、私達は上手く生き延びる」 「そしてより良い繁栄を私達にもたらしてくれるわ」 「...」 「あら、ここで撃つ気?そんなことしたらあなた達の素性なんてすぐにバレてしまうのよ?」 「...」 「覚えておくことだ、報いは必ず受けることを」 「...」 「少なくとも、この列車ではその心配はないわ」 「その心配はね...ふふっ」 「お嬢さんとその隣で寝てる彼によろしくね」 「ふふふっ...」 「...」 「ちっ...」 ____________________ [第3幕:終着点] 「...おぉ、お疲れさん」 「あれ、姫君は?」 「トイレだ」 「そこに不審な奴は確認してない」 「...そう」 「バグパイプ」 「なに」 「昨日この部屋にバグパイプが来た」 「...」 「フィンチの親がなにしに」 「私たちが奴らに手を出せないことを教えに来た」 「ふぅん...」 「次いで、この罪を私らに擦り付けようとしている」 「...」 「面倒だね、まさかバグパイプもこんなことをしてくるとは」 「...で、どうする」 「奴を殺す。それに変わりは無い」 「だから、どうやって殺すんだ」 「...」 「政府にこう伝えろ。この_______」 ___________________ ____第2車両 レストラン_______ 「こちらメインディッシュのマンガリッツァ豚のステーキソースになります」 「聞いたことない豚...」 「食欲はありますか?」 「えぇ、お陰様で」 「お陰様?」 「昨日ルナさんが読み聞かせしてくださったのです。それで安心したのでしょうか」 「お前そんなことするんだ」 「姫君が不安であれば仕方ないだろ」 「姫君、お気づきになられましたか。この女、本当はとても優しいのですよ」 「えぇ、とても愛情深いお方です」 「タバコ吸ってくる」 「おっ、顔を赤くして第1車両へと向かっていきますよ。愛らしいですね」 「ふふっ...ちょっと、おやめになってください...ははっ!」 ルナは第1車両の戸を開ける。 ガララッ 「...」 瞬間、メアリーは目の色を変える。 キャスケットにスリーピース。 その戸を開けた向こうには、銃を持った長身の男が立っていた。 「こっちに来な」 「...」 「ふぅ...」 バギョッ 「ぶべッ!」 「...え」 「ルナ...さん?」 「バーに連れてけ」 「俺たちはフィンチ・コロランド!聞いたことあんだろ!ぶっぱなされたくなきゃ豚みてぇに飯食ってないで第1車両に移動しろ!」 「な、なんだ君たちは...!これは重大な罪だぞ...!」 ガガガガガガガガッ! どこからか[きゃあ]という狐の鳴き声のような悲鳴が上がる。 男は持っていた小銃を反抗したその男のみならずその周囲にいた中年の女と男の子も蜂の巣にした。 「このクソ豚共が。今ここで殺してもいいんだぜ」 「(今、乗客の方を....殺した...っ)」 「(ほ、本当に殺した...なんて恐ろしい..)」 「(怖い...っ!)」 「おい、グローザ。腰の拳銃を寄越しな」 「...グローザ...?」 「...」 依然としてアーサーは黙ったままである。 だがゆっくりと腰の拳銃をその男に近づける。 銃を自分に向けるように。 「貴方...っグローザって...」 ガギッ 「あ"ぁっ!」 「口を閉じろ。次は無い」 「う"ぅ...いたい...っ」 「...」 「(この人...今まで護ってくれてたのに私の方を見向きも...!)」 アーサーは依然として手を挙げ、第1車両の方向を向いて仁王立ちしていた。 目線はその男を向いていたかと思えばどこか宙を見ていたのだ。 目つきは別人。 どこか遠くを見据えた"男"であった。 キャスケットの男は周囲を見渡す。 「聞いてなかったのか、バーに行けと言ったんだが」 その男の声を聞き、我先にと第1車両の通路に人が密集になる。 アーサーとメアリーはその最後尾にいた。 雑踏が落ち着いたところで細い通路を震える足で通る。 そこを抜けた先はウィスキー色の空間、第1車両であった。 ニス塗りのアルバートバーの横にはグリーンベースの白い花弁と赤の蕾の派手なパフスリーブを着た茶髪の女がいる。 その女の後ろには同じくキャスケットとスリーピースでまとめた男が10人ほど居た。 その男の中の3人はルナを"床の扉"に押し込み、そして閉じ込めた。 「乗客はこれで全員です。フィンチ様」 「そう。じゃあ高価そうなものは全部集めて」 「はい」 "長身"は後ろの10人の男達に手でさっと合図を送った。 すると、拳銃を持ちながら女の首にかかった真珠を丁寧に外し手持ちの麻袋に詰め込んだ。 ドンッ そして、一発女の胸に弾丸を撃ち込む。 「え...」 すぐにあちこちから悲鳴が上がり、その隣にいた男が第2車両へと逃げ込もうと人混みを掻き分けていく。 それを長身はゆっくりと片目で狙いを定め、紳士が第1車両のドアを引いた瞬間に背中に三発撃ち込んだ。 最後尾にいたメアリーは隣で男が血溜まりで横たわるのを見て腰を抜かし床へへたりこむ。 「い、いや...っ!私、まだ死にたくない...!」 メアリーは目に涙をうかべた。 そしてアーサーのカーキ色のズボンを掴み懇願した。 しかし相変わらずアーサーは遠くを見ている。 見よ、この真っ黒な目を。 その目を見てメアリーは真の絶望というものを人生で初めてぶつけられた。 ドンッ ドンッドンッ 段々と銃声が近づいてくる。 恐怖の根源である悲鳴も止んでいっている。 メアリーは、この最後尾というのをここまで不幸なことだとは思わなかった。 「う...あ...あぁ...」 メアリーは失禁した。 貴族の粗相というのは大変許されない行為であり、その者の品が問われるものであった。 そのため、それを見た麻袋を持った男達はとても笑わずにはいられなかった。 そして、彼らの番がやってくる。 が、アーサーがメアリーの前に立った。 「待って」 フィンチと呼ばれる女が室内に響く声量で男達を静止した。 「グローザ。お久しぶりね」 「あぁ」 「ねぇあなた...あれ持ってるわよね」 「私が恋い焦がれた"あれ"よ」 「なんだ?」 「とぼけるのはおやめッ!リングを寄越しなさいと言ってるのよッ!とっておきのねッ!」 「...」 バチンッ 空を切り裂くようなビンタがアーサー(?)の左頬に直撃する。 そして荒れた様子でアーサー(?)の体をまさぐった。 だが目当てのものは内ポケットを探っても見当たらなかったらしい。 「...あぁ忘れてたわ。そうね、マコーリーの連中は右腕に入れてるんだったわね」 チャキッ 突如フィンチは折りたたみナイフでアーサーの右腕を縦に切り裂いた。 そしてグチュグチュと音を立てながら"何か"を探す。 「っ!」 ズロッ... 女はそれを確認し、目を輝かせてじっと見つめた。 「これっ...これよ。あぁなんて美しい...」 「それはなんです?」 「ふふっ、これはね。こいつらがマコーリーの血筋である証明よ」 「マコーリーの細やかな紋章の周りを12個のダイヤモンドが円を描いてるの。それを2つの針金みたいな純金が囲って、紋章の真ん中にはピンクダイヤモンドが埋め込まれているわ」 「こりゃすげぇ、売ったらとんでもない金になりますよ」 「馬鹿、売るわけないでしょこんな高価なもの」 「ほんと綺麗ね...あぁ忘れてたわ、その男はもう殺していいわよ」 「了解」 長身の男が小銃をアーサー(?)の頭に突きつける。 チャカッ 「おう、あばよ」 「グローザちゃん」 「____ネコがいないときはネズミが遊んでいる」 「...あ?」 「...?」 「はっ...!」 カチッ ブッバァァァアアアアッッッ 「きゃぁあああッ!」 ___________________ [第4幕:真実] __________________ ___ラディエンス号発車の3日前 __バーミンガム ドロ街______ 英国 バーミンガム郊外 ドロ街。 産業革命による恩恵を受け、当時圧倒的な権威を誇った大英帝国。 しかしその栄光の陰に、"より良く生きる"ことが許されない者達もいた。 かつての罪人や奴隷。彼らは政府と貴族に不愉快なぞの理由でバーミンガムのある一角に閉じ込められた。 それがドロ街である。 ____ドロ街 マコーリー邸 「...」 ガチャッ 「来たな、グローザ」 「どうも、叔父貴」 灰と黒のスリーピースにウェストコートを着た青年が部屋に入る。 その青年はグローザと呼ばれた。 彼に叔父貴と呼ばれた太った中年男性はアーカムストと彫刻されたデスクから立ち上がり彼と抱擁を交わす。 そのデスクの正面にはひとつの椅子が向かい合ってた。 「まぁ座れ、ブランデーは飲むか?」 「いえ、酒はやめたんです。仕事がおぼつかなくなるのでね」 「じゃあ葉巻だ。女神の味、プレミアムシガーだぞ」 「あぁ、いただきます」 カションッ 男はカッターでシガーの先端をブイカット状に切り落とす。 その分厚い指にグローザは安心感を覚えていた。 「体の具合は?」 「あまり良いとは言えないな。来月手術して癌を切り落とさなきゃならない」 「でも安心しろ、金玉切り取ったとしても俺は女を抱き続けるぞ。死ぬまでな」 グローザは軽快に、はははと笑った。 自分の叔父がいい歳にもなって真剣な顔をしてそんなことを言っているものだから、笑わずにはいられなかった。 それを見てアーカムストは真剣な顔をして話を続ける。 「いいか、俺はこの街のボスだぞ。金玉の一つや二つ失ったくらいで、女を抱くことなんてやめてやらないんだからな」 「ヤブ医者め、そんなに欲しけりゃくれてやる。そん時は文字通り黄金の玉っころを2つ皮ん中入れてやるってんだ」 「...あははっ!」 アーカムストは火のついたシガーをグローザに渡す。 グローザはそれを一吸いしてしばらくして少しの静寂が訪れた。 「...」 「仕事の話だ、いいか?」 「えぇ、どうぞ」 「フィンチ・コロランドがどうやらマコーリーを裏切るつもりのようだ」 「バグパイプを知ってるな?」 「あの女ですね」 「そうだ。あの女は今まで落ちぶれても我々を貴族だと尊敬してくれていたと思っていたのだが」 「どうやらそうでもなかったらしい」 「奴の目的は我々マコーリー家に近づき、下働きのゴロツキどもを自分の組織に取り入れ傲慢にも我々と対等になろうと考えている」 「...」 「奴は3日後上流階級の貴族が乗る豪華列車を強奪するつもりだ」 「その時を引き金に袋叩きにしてしまえばことは済むが...上手く奴は立ち回り、強盗の罪を我々に押し付けようとしてきている」 「一体なぜ動けないんです?」 「列車で争いをすると政府が我々を潰しに来る」 「マコーリーはかつて王妃を犯し、孕ませこのドロ街へ追放された"元"貴族だ。ただでさえ今僅かながら命があるのに貴族を巻き込んだ殺し合いをすれば我々は存在ごと消されることになる」 「...」 「主な原因が、それだ」 「...」 「では、俺にその女を暗殺しろと?」 「...危険な仕事だ。本当はお前に行かせたくは無い」 「しかし今信頼できるのは甥のお前しかいないのだ」 「誰が買収されたかわかったものでは無い」 「...」 「行きましょう、是非任せてください」 「叔父貴、貴方は天然痘にかかった子供の俺を引き取って治してくれましたね」 「気持ち悪がらず闘病中も遊んでくれた時は初めて幸福を感じました」 「俺はその御恩を一生かけて返すつもりです。行かせてください」 「...そうか」 「少し散歩しよう。外で話さんか」 「えぇ、もちろん」 _________________ 2人はかつて住んでいた小さい家の前で立ち止まった。 「覚えてるか?お前はあの植木よりも小さかったのに、俺を越してでかくなりやがった。家に連れてきた時はほんとに間違えてノミを連れてきたかと思ったぞ」 グローザは笑みを浮かべる。 「まったくお前は何でもできたな。成績も一番、ベースボールでもいつもバッター4番。ついでに絵のコンテストで優勝したときた」 「将来は画家になると思ってたのにな」 「俺に画家なんてしょうに合いませんよ、絵は上手いのは認めますけどね」 アーカムストはニヤリと笑い、グローザに生意気めと言った。 「よし飯だ。美味いフィッシュアンドチップスの店を作ったんだ」 「息子には美味い飯を食わせてやらねばな」 ___________________ ____5日後 「政府にこう電報を送るんだ。ラディエンス号にならず者がいると」 「そんなことしたらマーコリーが危ない」
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