許してくれ

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許してくれ

ふと思う。朝起きていたら死んでいたいなと。 ふと思う。今この瞬間に流れ弾でも飛んできて脳天を撃ち抜いてくれないかなと。 そんなことを考えていると気が付いた。 僕は死の理由を自分に背負いたくないのだと。 自殺。 人生という面白くも苦しい道のりをリタイアする手段としては有力な一手だと僕は思う。 だがこの社会では自殺の影響は個人に留まらない。いなくなった本人の知らぬところで罪もない人々が苦しむ理由になってしまうかもしれない。 こんな出来損ないの僕にでも大切な人間関係はあるのだ。 例えば家族、例えば彼女、例えば友人。 僕が自殺した後、彼らはどう思うだろうか? 綺麗さっぱり忘れて新しい日々を送ってる? 個人的にはそっちの方が嬉しいのだがそうはいかないのが現実だ。 厳しい父親はなんだかんだ口に出さす一人で悔やみ続けるのだろう。 感情的になりにくい彼女だって人間だ。変な責任を感じさせかねない。 よく遊んでる友人も相談にのってあげられなかったかだとか事前に気が付かなかったかとか、変な後悔をさせてしまう。 母親は…………、後を追うのは止めてね、寝付きが悪くなる。永眠なのに。 まだ僕は就職もしてないからそんな小さな世界にしか影響を及ぼさないが、その小さな世界は僕が最も大切にしている世界だ。 この世界を守るためなら僕は死ぬ気で生きてみせる。 てか現在「生きている理由」なんてものを作るならそんな大切な関係を守りたいから、そして前頁のマせた中学生との約束に過ぎない。 とはいえこの人生、楽しく生きるのにはなかなかなかなか労力が要る。めんどくさがりな僕には向いていない。てか生きるのに向いてない。 将来の夢なんて語ってる小学生も、就活の愚痴を言ってる彼女すらもに眩しく見える。 なんだって生きようとしてるのだから。 生を司る神様は卑怯者だ。生まれた時から人間関係を作らせて死に興味を持った頃には崩したくないその人たちを人質に取るのだから。 死神の方がよっぽど優しい、迎えに来てくれるらしいし。 と思ったらあんまり生を司る神様っていないのな。というより生と死でひとくくりにされてそう。生と死は表裏の関係、それはそうか。 生死の感覚から遠くなってしまった現代人の僕はその感覚を忘れていた。 ずいぶんと話が逸れてしまった。 つまり今の僕は今の世界を保つために自殺するわけにはいかない。 もっと言えば「自殺した」という事実を残すわけにはいかない。 だがそれはそうと別に生きたいとも思えない。 だから「仕方なかった」なんて言って貰える理由を探している。 わかりやすいのは自然災害だろうか。事故や病気だっていい。死ぬだけの理由であれば。 頑張って生きたけど不運に襲われ道半ばで倒れた哀れな少年になりたいのだ。 情けない、そうだろう。笑うなら笑え。 存分にバカにしてくれ。 「外面を気にするな、自分という存在は自分で決めろ」と説く僕は、誰よりも外面を気にして毎秒毎秒許しを請うて生きている。 「君は悪くない」 そんな彼女が言った遥か昔の慰めの言葉を今なお覚えているあたり、本質的に僕が求めている言葉はこれなのだろう。 あの時も、そして今も、僕は何かを恐れ常に謝りながら生きている。 この生き方は正しいですか? 怒られませんか? 問いそのものが幼稚で正しいわけがない。 だがそれでも……認められたいのだ。 「悪くない」と慰められたいのだ。 自殺するにしても事故で死ぬにしても生きるにしても、この人生を許されたいのだ。 縛られない人生を生きたい そんな事を叫びながら枠に捕らわれた塗り絵で我慢してる人生を生きたい。 いざ真っ白なキャンパスを目の前にして筆が進むほど立派な人間ではないのだ、僕は。 「悪くなかったよ、君の人生」 お世辞だって構わない。それでも死に際に言われたい。 自分の人生を誰かに認められて閉じる人生 そんな人生最高じゃないですか?
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