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いとさん
一.
「お陸、お陸、起きよし!お陸!」
──なんやの・・・
「お陸!」
「いと、さん・・・?」
「どないしたの、お陸・・・こんなとこで.」
いとさんが目の前におる。まあるい目をもっと丸くして、じっとうちの事を見てはる。
「眠いの?」
かまどに火がついていた。
──うち、寝てたん
いとさんがかまどを指差して何か言っている。
「お陸!お陸!」
「なんどす、いとさん。」
「疲れてるんなら寝とくれ。うちが火の番するさかい。」
いとさんがうちの体を押し除けて、火の番を変わろうとする。
「熱!」
「いとさん!」
うちはいとさんに駆け寄った。
「熱い・・・」
「どこです、見せとくれやす!」
「平気!」
「あきまへん!」
「平気て言うてるやろ!」
いとさんがうちを見た。目を細めて。思わず、はう、とため息が出た。結綿を結ったいとさん。
「うち、もう十三や!このくらい平気!」
「せやけど」
──嫌や、いとさんが怪我するんは見とうない
「なあお陸・・・!もううちのこと子供扱いせんといて!」
──なんやの
いとさんに、拒絶されたんは、初めてやった。
二.
いとさんが十四の頃、うちはもう二十三。だんさんからいくつか縁談の話はもろてた。うちは全部、断った。
──いとさんを、見届けな、うちは嫁がれへん
せめていとさんが嫁ぐまでは、うちは男の人のとこには行かれへん。
「お陸・・・?」
「なんどす、いとさん。」
「ねえお陸・・・うち、もうすぐお見合いなん?」
「そうどすなあ、もうすぐどすね。」
「いや・・・」
──は
「嫌や・・・うち、ずっとここにいたい。」
「何を言うんですいとさん!」
「うち、お嫁さんなんて」
──この子何言うてんの・・・あんたが嫁に行かんと、うちが嫁に行かれへんやないの
うちは結綿のいとさんをじっと見つめた。いとさんは眉をハの字にしてどこかを見てる。
「うち、縁談は嫌や・・・」
「いとさん・・・」
好きな子がおるんや、と思った。縁談なんてしとうないと、いとさんに思わせるくらいのお人が。
せやけど、うちは聞かんかった、ちゃう、聞かれへんかった。
「なんでやろ・・・」
「?何か言うた?」
「あ、なんでもありませんえ。」
うちは横目に、いとさんの横顔を見つめた。
三.
いとさんが十五の頃。いとさんはよう出かけるようになった。もう、うちの手元から離れてしまった気がして、なんや心がモヤとする。
「なあお勝・・・いとさん、どこいってはるんやろ。」
「そんなん知るかい。うちはあんたと違うていとさんのお付きと違うんやから。」
「男の子のとこやったら、どないしよう。」
同じ女中のお勝がはあっ?と、うちのほうを振り向いた。
「どないもこないもないやろ!」
「なんでえ?」
「あかん、話が通じん。今日のあんたあかんわ。」
「なあお勝、どないしよう。」
お勝は眉を顰めてうちの手を払った。その後、きっとした目つきでうちを見た。
「お陸、しっかりしよし。」
──なんや、珍しい
「なんやの、お勝。そないつんけんして。」
「んもうっ、近頃あんた様子がおかしいよっ!しっかりしよし!」
ぷんぷんと怒って地団駄を踏むと、お勝はどこかへ行ってしまう。空っぽの膝の上を眺めた。何もない、空からの膝の上、手の置き所に困ってしまった。
いとさんの行き場に想いを巡らせて早数日。いとさんのいない縁側で過ごして数日。
「お陸?」
「ごりょんさん?」
ふいと振り向いたら良く知った顔がいた。
「お陸」
「あ、いとさん・・・!」
──いとさんや、いとさんがおる!
うちはいとさんに縋りついた。
「どないしたん、お陸・・・?」
いとさんの柔らかい手がうちの頭を優しく撫でた。
「今日はやけに甘えん坊さんやな、お陸。」
「いとさん・・・どこに行ってはったんですか?」
いとさんは黙ったままやから、もう聞いてしまえ、と思った。
「男の人のところ?」
「何言うてんのお陸・・・そないなわけないやろて。」
いとさんはふっと頬を緩めて笑った。そのままうちの頬に触れる。
「考えすぎやって・・・」
──なんや
安心した、不意にそう思ってしまったうちを、恐ろしいと、思ったんはなぜやろ。
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