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それから再就職して熊谷金属という会社で働きながら、親子ふたりで暮らしていたが1年後、母は熊谷みつる社長に結婚を申し込まれて再婚した。
残っていた借金も社長が払ってくれて、安心したのも束の間、母はやっと肩の荷が降りたかのように半年後腎臓がんで亡くなった。
この時わたしは、まだ13歳だった。
悲しみに暮れながら熊谷の家でそのまま暮らすことになった。
というか、面倒を見てもらえることになったと言った方がいい。
熊谷みつるには、かえでという前妻の子供がいて、わたしより3歳年上だった。
かえでは、わがままで自分勝手だった。いつも欲しいのもを買ってもらい、何でも思い通りにしたいお嬢様で、わたしはいつも邪魔者か、使い捨てのコマくらいに思われていた。
おまけにお手伝いの子供だからと、それからの家事はわたしの仕事となって行った。
それから11年が過ぎた。
わたしは熊谷の父から援助を得て何とか大学を卒業すると、熊谷金属で働くように言われる。
わたしは父への恩もあるので経理担当として働いていた。
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