ある日の朝

1/1
前へ
/1ページ
次へ

ある日の朝

 私は、いつも通りの時間に起きて、いつも通りに自転車に乗って、通勤するはずだった。だけど、この日は違った。 「ご馳走さまでした」  私は朝ごはんを食べ終え、化粧をして、準備をして、いつも通り駐輪場に向かった。ここまではいつも通りだった。しかし、この後が違った。駐輪場に男が寝ていた。 「えっ?」  足が止まった。  何でこの人こんな所で寝ているの?酔っぱらいかしら?まあ、そんなことよりも自転車。  私の自転車を目で探す。左右左右。だけど、自転車を見つけることができなかった。 「なんでないの?」  代わりに、私の自転車が置いてあったと思う場所に男が寝ていた。男を見る。男性にしては長い黒髪にメガネをかけた面長顔。……もしかしたら、この男が何か知っているかもしれないと思って、恐る恐る近づいて、声をかけた。 「すみません」 「う、うーん」  男は、ボリボリと尻をかきながら起き上がる。 「ふわぁー、おはよう」 「おはようございます」  私は反射的に、見ず知らずの男に対し返事を返していた。 「……あの、すみません。私の自転車知りませんか?」  私は、恐る恐る男に訊いた。 「ん、ああ」  すると男は、にっこりと笑みを浮かべ、いきなり四つん這いになり、尻を私に向かって突き出してきた。 「さあ、どうぞ」 「……はあ?」  私の目は点になった。  男の行動の意味がわからなかった。 「……あの、どう言うことでしょうか?」 「どう言うことでしょうか?って、そりゃ乗れってことよ。ほれ、いつものように」  男はさらに尻を突き出してきた。 「ほれほれほれ」  男は尻まで、振りだした。  変態だと思った。どうやって撃退しようかしら。変に刺激するのは、良くないわよね。  私が考えていると、男の行動はさらにはげしくなった。尻を大きく振りながら、近づいてきたのだ。 「ぎゃ、変態!」  私は思わず、近づいてきた男の尻を手で、思い切り叩いていた。 「痛!」  男は叩かれた尻を押さえながら、その場でゴロゴロ転がった。 「なにするんだユリ?」 「なにするんだ?って、それはこちらの台詞よ!」 「そりゃないよユリ」  しょぼんとする男。  その時、私に一つの疑問が浮かんだ。なぜこの男、私の名前を知っているの? 男とは初対面のはずだ。男の顔に見覚えはない。……まさかストーカー!?  戦慄した。たが、恐怖心を抑えながら、訊いてみる。 「あの、何で私の名前知っているのですか?」  男は、即座に自信満々に答える。 「俺はユリの相棒だからな!」 「……相棒?」  私は眉根を寄せる。 「ああ、俺はユリの相棒、アレックスだ!」 「ええ!?」  私は驚いた。アレックスとは、私が自転車につけた名前だったからだ。私しか知らないはずの名前。  私のアレックスは自転車だが、その名前を名乗ったのは、見ず知らずの男だ。 「私のアレックスは自転車よ」 「おう、俺は自転車のアレックスだ!」  男は、自分自身を指差しながら、自信満々の表情で言った。  私は困惑する。 「あなた、どう見ても人間よ」 「俺のどこが人間よ。俺は自転車ーー  そこで、男の言葉と視線が止まった。 「なんじゃこりゃあー!!」  男は目をしばたかせながら驚いていた。 「なんで俺人間なの?」 「そんなこと、私が知るか!」  男の問いに、大声で返していた。 「そーですよね」  お互いに困惑する。 「仮に、あなたがアレックスだとして、証拠はあるの?」 「証拠。証拠かぁ?」  男は腕を組んで考える。 「名前は証拠にならないよな?」 「当然」 「だよな。証拠、何が証拠になるんだ?」  私も腕を組んで考えた。 「そうね。私しか知らない情報を言い当てられたなら、あなたがアレックスだと信じられるかもしれない」 「そうだな」  男は、再び腕を組んで考える。 「うん。これはどうだ。ユリお前は、自分では、タイヤの空気を入れない。と言うより、入れたことがない」  ドキリとした。確かに私はアレックスのタイヤの空気を入れたことがない。だがこれたけでは、決定打に欠ける。だけど、決定打が決まれば男がアレックスだと信じていいような気がしていた。 「確かに、私はアレックスのタイヤの空気を入れたことがないわ。だけど、これだけでは決定打に欠けるわ」 「決定打かぁ」  男は唇を尖らせなから考える。  期待が私の胸に膨らんだ。  男はパシリと両手を打ち鳴らした。 「ふふん。ユリと俺しか知らないこと思い出したぞ」 「それは何」  男は、私を指差しながら言った。 「ユリ、お前はイボ痔だ!」  その通りだった。雷に撃たれたような衝撃が走った。このことは、家族にも秘密にしている私の秘密。 「アレックス」 「ユリ」  私はアレックスと抱き合った。しかし、そこで全てが暗転した。  軽く肩を叩かれる衝撃で私は起きた。  起きるとそこは駐輪場ではなく、穏やかな音楽の流れる喫茶店だった。 「お客様、閉店のお時間でございます」 「あ、はい。すみません」  慌てて顔を上げると、そこには制服を着たアレックスの姿があった。 「アレックス」 終わり
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加