番外編 そのあと

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番外編 そのあと

 いちどだけ、砂浜でキスをした。  ふいに影が近づいて、くちびるにふれたあたたかいもの。どきん、と心臓がなって、はなれてゆく感覚がさみしくて無意識においかけた。ふれてついばむだけのキス。  ワン!と朝からげんきな小型犬のなき声と、それをおいかけるこどもの声に我にかえって、あわてて離れる。ふりはなそうとした手は、ぎゅっと強く握られて離せなかった。  とまどっていると、前をむいたままの朝陽がいやだ?と聞くから、ううんと首をふる。せんせいとは、とてもじゃないけれど、たいようのしたで手をつなぐなんてできなかった。  もちろん、いまだって男同士だし奇異の目でみられることはあるんだろうけれど。でも、おれたちが手をつないでいたって、だれかをきずつけるなんてことはない。だれかになにを言われたって、関係ないやつはだまっておけって言える。  そんなことがうれしくて、いままでつらかったんだと思った。その時はつらくても、それごと先生をだいすきであいしてると思ったけれど──。  この、こころやすさ。なんてしあわせなんだろう。  俺は朝陽以外のひとにも、朝陽のことがすきだって言っていいし、朝陽がこいびとだって言ってもいい。むしろ、だいすきなんだ!って叫びたいくらいだ。  まあさすがにそれは恥ずかしくて、強く手をにぎっただけなんだけれど。そうすると朝陽もやりかえしてきた。そんなことをしながら波音を聞いて歩く。  つないだまま手をくすぐられてくすぐりかえして、なんてしているうちに、健全なだけじゃない俺は、なんだか変な気分になってきた。端的に言えばえっちな気分に。もっとあけすけに言えば、ヤリたくなってきた。  さすがにきまずくて手を離そうとするけれど、より強く手をにぎられる。朝陽の手もしっとりとあせばんでいて、無言になった。  これはきっと朝陽もおなじ──、そうおもったら恥ずかしくてむずむずとして、うつむいて手を引かれるままについてゆく。 「なぁ、……いい?」  そう言われて顔を上げると、砂浜のむこうにやけにリゾートじみた建物がひとつ。といっても本物のリゾートホテルではなくて、まがいもの感が満載のファッションホテルだった。  いやなんて言うわけないじゃん、とこころの中ではおもったものの、こくりとうなずいて、あ、とおもった。 「俺、財布もってない」 「それは大丈夫」 「……ならいいけど」  俺たちはふたりともお金がなくて、普段だったら家に帰ろうっていうところではあるんだけれど、いまは家まで一時間弱の時間ががまんできそうもなかった。  やたらと重厚なとびらを開けた先は、いかにもハネムーンていうひかりのあふれた部屋だった。白が基調の内装に、まんなかには大きな天蓋つきのベッド。全面すりガラスの窓からは朝日が注いで、白いカーテンがクーラーの風にゆられている。  フロントで部屋を決めるときも、なんだか恥ずかしくて「ここは?」という朝陽の問いに、ろくに見もせずに「いいんじゃない」と答えた自分をうらむ。早朝からそんなに部屋が選べないだろうことはわかってはいるけれど、それにしても。なんだかあまりの明るさに、我にかえってしまう。  なのに、朝陽はそんなことちっとも気にならないようで、そのまままっすぐにベッドへと手を引いてゆく。あれよあれよとよどみなくベッドに連れ込まれて、おおい被さるようにキスされた。  かるくついばんでから熱い舌がくちびるを舐め、息を継いだすきに口内へと忍びこむ。久々の感覚にあっという間に息があがってしまう。おぼれてしまいそうに息苦しくて、朝陽のせなかにすがりついた。  それを合図に朝陽がくちびるを離して、ぎゅっと俺をだきしめる。首元に顔をうずめて、すん、と朝陽のにおいをかいだ。すこし生臭いようなうみの香りと、シトラス系のシャンプー、それからちょっとスパイシーな朝陽のにおいがまじっている。  だきあった朝陽も俺のくびすじに鼻をうずめて、 「ちょ、ちょっと待って……」  これから、という所で朝陽のからだを押しかえした。けれど、朝陽はダダっ子みたいに、よけいにぎゅっと強くだきしめる。薄いボイルレースの生地がきらきらと朝日でひかる。 「待ってって!」 「……なに?」  中断されて不機嫌そうな朝陽の声に少しひるんで、でもどうしてもがまんできずに言った。 「……におい、かがないで。昨日、お風呂入ってない」 「そんなの、気にしない」 「むり、俺が気になる」 「だいじょうぶ、いいにおいしてる……」 「……! ばかっ! もうやめてって」 「がまんできねーよ」 「……っ、でもっ……、やだっ」  自分でも思いがけないくらい弱々しい拒絶におどろく。朝陽は、いぬだったら耳がたれてしっぽをちぢこめるくらいしゅんとして、ごめん、と力をぬいた。その反応になんだか俺の方がかわいそうになってしまう。 「……シャワーあびてくる間だけ、まってて?」  ちゅ、とキスしてお願いすると、うん、と朝陽はうなずいた。      ◇◇◇  がっつきすぎた……。  ベッドのうえに一人残されて反省する。落ち着いたコテージ風の部屋も空いていたけれど、この部屋の真っ白い内装と太陽のひかりが、きっと息吹に似合うと思って選んだ部屋だった。  いかにもハネムーンを思わせるような、真っ白いボイルレースのカーテンの中にひとり残されると、なんだかとてもさみしい。でも、あんなふうにいやだって言われたら無理強いなんてできなかった。  息吹が俺の手を取ってくれた。それがうれしくて浮かれてしまったけれど、息吹からしたら食事が取れなくなるほどすきなひとと別れたばかりなのだ。あの講師から息吹のことを奪いたいとおもったけれど、それは息吹に無理をさせたいっていう意味じゃない。  あいつのことを忘れられないなら、……いや、忘れるなんて簡単にはできないだろう。それくらいはわかってはいるんだけれど、どうもあいつのことを考えるといらついてしまう。  ひとりぽつんと反省して息吹を待つ。シャワーだけ、という割には時間がかかって、もしかして後悔しているのかと不安になった。けれどこのチャンスを逃したら、次はないかもしれない。そう思うと後には引けなかった。 「ごめん、待たせた」とほほを桃色にほてらせた息吹がベッドに近付いたとき、心底ほっとして、だきしめる手が震えてしまった。 「準備もしてきたから……」  消え入りそうなささやきは、キスで飲みこんだ。  せっかく息吹がきれいにしてくれたんだから、俺も、とは思うけれど、その少しの時間すら待てる気がしない。いや、触れたらすぐに爆発しそうだから、かえって抜いてきた方がいいんだろうか。  でも、息吹にふれる指は止まらなくて。  あ、ん……、いつもより抑えた息吹の声が、肌をたどるたびにこぼれて、自分が触れているのに、頭のなかがぞわぞわする。シャワーあとに着こんだバスローブはしっかりとひもも結ばれていて、焦らすように腰をかくしている。邪魔な布をはだけると、息吹は足をすり合わせて抵抗するようなそぶりを見せる。  準備をしてきたという言葉に興奮してよろこんだけれど、やっぱりそんな気になれないんだろうか、と手探りで昂ぶりにふれると、からだごとびくんとはねて反応する。 「うぅ~……」  身もだえてうめいて、かたかたと足をふるわせながら、力が抜けてゆく。やっぱり、いつもとは反応がちがう。 「……いやなら、無理しなくてもいいんだけど」  いや、俺はものっっすごいしたいんだけど、ということばを飲み込んで、ぎりぎりの理性で提案する。いまなら、なんとか止められるとおもう。 「ちがっ……、はず…かしくて、きんちょ…して……」  片腕で顔をかくした途切れとぎれの告白がかわいくて、ぎゅん、と心臓がつぶれそうに痛くなる。ついでに股間も。 「緊張、してるの?」 「……って、いってる。聞くなよ」  おもわずそのまま抱きしめた。なんていうか息吹はこういうことに慣れていて、緊張しているのなんて見たことがない。一体どうしちゃったんだ。  おもわず、なんで?と言葉が出てしまう。 「ひさしぶりだし……、すき…とか、おもったことなかったし……」  たどたどしい言葉にたまらなくなって、もういちど息吹をだきしめる。それから顔をかくしている腕にキス。なんどもちゅ、ちゅ、とキスをして、くすぐったさに笑ったくちびるに、もういちどキス。  ほんとうに、すきになってくれてるんだって思ったら、うれしくて止まらなくなってしまった。  だけど一年前にさくらの木のしたで見た表情を思いだして、少しは無理してるだろうなって思った。だって抱きしめたからだが、俺が知っている息吹よりひとまわり細い。 「無理に、あいつのこと忘れなくてもいいよ」 「無理なんてしてない」 「してなくても。俺はあいつの思い出のぜんぶ、上書きできるくらい一緒にいるから」 「まけずぎらい?」 「……も、あるけど」  せっかくキメたはずなのに、いまいち響いてないみたいで、息吹がくすくすと笑う。どんなでも自然に笑ってくれたら、それでいいけれど。  もういちど、ちゅとくちびるにキス。 「まずはこれからね」 「これ?」 「それから、これ」  つぎは舌をからめてキス。思い切り吸い上げて歯列をなぞって、くちびるを舐める。しびれるまで時間をかけて、それから解放する。 「……にゃが…いっ」  苦情の言葉がしたたらずになっている。  だって上書きだからと、ぬれたくちびるの唾液を舐めとった。ちいさく震えるからだを、ちゅ、ちゅ、とひとつずつキスで確認していく。  きもちいい場所にふれるたびに、あ、とかわいらしい声があがる。  そうして、息吹のぜんぶにふれていった。
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