ぬるぬるいこうぜ

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 小学6年の冬休みが終わる。  僕らの担任のユウ先生は、花のつぼみのようにかわいい23歳独身、多分まだ彼氏はいない感じ。  久しぶりにユウ先生の優しい目で見つめられるだけで僕は緊張して頬が真っ赤になったのが自分でもわかった。  会いたかった。  僕はユウ先生を見ていると、うまく説明できないけど全身がコチコチになって、すぐ顔が真っ赤になってしまう。  そのくせ先生に会えないと何だかボーッとして何もやる気になれない。  国語の時間。 「皆さん。冬休みの宿題は、やって来ましたか?」 「はーい!」  ほとんど全員、手を上げた。僕は国語の宿題なんてあったかどうか、まったく忘れていたが、みんなが手を上げているので真似して手を上げた。 「それでは、一人一個ずつ発表してもらいましょう。窓側の一番前から。佐々木あひるさん。ぬるぬるするものな〜んだ?」  ユウ先生はニコニコ楽しそうに、そう言って佐々木あひるさんの前に立った。  「納豆」  あひるさんは、大きな声で堂々と答えた。 「オクラ」 「石けん」 「ナメコ」 「昆布」 「めかぶ」 「もずく」 「おたまじゃくし」  「カエル」  みんな、楽しそうに、考えて来た『ぬるぬるするもの』を張り切って発表している。  だんだん僕の番が近づいてくる。  僕は緊張して頭がパニックになっていた。そんなヘンテコな宿題が出ていたなんて、まったく覚えてなかったから、何も考えて来なかったんだ。  どうしよう。  何かないかな。  まだ誰も言ってないもの。  ぬるぬるするもの・・・ 「ナメクジ」 「カタツムリ」 「よだれ」 「長芋」 「とろろ昆布」 「鼻水」 「くちびる」 「こんにゃく」 「ゼリー」 「こんにゃくゼリー」 「スライム」 「温泉の床」  ヤバい。もう何も考えられない。  何がある。   ぬるぬるするもの。  ああ・・僕は、いよいよ緊張と興奮とで顔を真っ赤にして震え出していたかも知れない。 「里芋」 「シャンプー」 「リンス」 「お母さんの乳液」 「お父さんのあぶら汗」  あははは・・キモ〜 歓声があがる。 「バナナの皮」 「ハンドクリーム」 「うなぎ」 「歯磨きしないで寝た次の日の歯」  きったねーーっ!  ギャハハ  ああ、みんな、すごい。  みんな、よく、たくさん考えて来たな。 「西くん・・」  気がついたらユウ先生が僕の目の前に立っている。 「あ・・ユウ先生の・・」  ユウ先生のブラウスの胸のボタンが一つ、ぷらぷらになって取れそうになっている。 「先生の・・」  そこまで言いかけた時、先生は急に頬を赤く染めて 「西くんは、答えなくていいです」 と言った。  驚く僕を見て、何人かの男子がゲラゲラ笑い出した。  エローーーーーッ  ヤベーーーーーッ    男子は一丸となって、僕をやんやと囃し立てた。  僕はすぐ自分の犯した間違いに気づき、愕然とした。  そんなつもりじゃなかったんだ。  ただ、先生のブラウスのボタン、一個取れそうですよ、と伝えたかったのに。  国語の時間が終わっても、勘違い男子野郎どもは僕をからかい続けた。    僕は、そんな奴らを相手にせず、黙って耐え忍んだ。  放課後、教室の掃除をしていると先生のブラウスのボタンが落ちているのを発見した。  僕はそのボタンを拾って先生を探した。  先生は廊下で、冬休みの宿題だった書き初めの作品を貼っていた。  ブラウスのボタンが取れた隙間から、チラチラと下着が見え隠れしているが、先生は気づいていないらしかった。  先生は僕より背が低いので、椅子に上がったり下りたりして大変そうだった。   「手伝います」  ユウ先生に、そう声をかけると 「まあ、ありがとう」  そう言って、気のせいか少し頬を赤らめた。  作業が終わった時、僕はポケットから先生のブラウスのボタンを手のひらに乗せて差し出し、できるだけ落ち着いて、少し小さな声で言った。 「先生。ブラウスのボタン落ちてました。国語の時間、僕は・・・先生の・・・ブラウスのボタンが落ちそうです・・って言おうとしたんです」  すると先生は白くて細い指先でボタンをつまみ・・・  なぜかポロポロッと涙をこぼしながら 「ごめんなさい。私のせいで西くんに辛い思いをさせてしまって・・」 と言った。 「僕、気にしてません。辛くなんかありません」  僕はそれだけ言うのが、やっとだった。  次の日から、ユウ先生の僕を見る目が変わった気がした。  ユウ先生は、時々、嬉しそうな恥ずかしそうな顔して僕に頼むんだ。  頬をほんのり赤く染めて。 「西くん、申し訳ないけど、みんなの絵、貼り替えるの手伝ってくれる?」 「西くん、男子何人か集めて跳び箱出しておいてくれる?」  ユウ先生も僕のこと少し意識しているのかなぁ。  そんな微かな予感が胸をくすぐる。  何となく嬉しく歯痒くても、僕は小学生だったから、その予感を予感のまま、密かにぬるぬる楽しむのが精一杯だった。  友だちの山下は隣のクラスの女の子から告白されたらしい。  鈴木は前から付き合っていた同級生の子と初キッスしたらしい。  だけど僕は、そんな彼らを羨ましいとは思わなかった。  言葉にできない、ほのかなぬくもりを、ぬるぬる、ゆるゆる、ひっそりと楽しむだけで幸せだった。  アッという間に卒業式が来て、僕の初恋は終わった・・・ と思ったのに・・  中学生になって陸上部に入った僕が、朝、堤防の上をマラソンしていると 「おはよう!お久しぶり!私も毎朝、ここ走ってるのよ」  相変わらず美しいユウ先生が、胸を揺らして小走りに近づいてきた。    そしてやっぱり頬を赤く染めた。  走って来たせいだろうか。  いや、きっと違う。    こうして僕らの、ぬるぬるした関係は、案外いつまでも、たらたら、ぬるぬる、ゆるゆると際限なく続いた。  いいのかな。  いいんだよ、これが。  あああああ・・・たまらんっ。  もう、ぬるぬる・・絶好調っ!  ぬるぬる行こうぜーーーーーッ  了
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