今日の話はこれにて終い

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──立ち向かう気力も歯向かう牙も、積み上げてきた矜持も。全て、すべて、圧倒的な才の前では歓喜に打ち震え膝をつく。綿密に練り上げられた世界をより哀切に怒りを込めておぞましく、甘やかに、何より美しく描き上げる才の前では自らの筆など稚拙。幾度となく天を仰ぐことになるのだ。 縒り合わせられた言葉の端々に一辺のほつれも見られぬそのさまの、なんと美しいことか。完成された個々人の世界を垣間見るたび俺は歓喜し、また、その溢れんばかりの才に感嘆の溜息が溢れる。このような才が己の中に欠片だけでも眠っていたならばと何度思ったことか。持ち得ないものに焦がれることは現実的ではないが、夢に見るくらいならば誰も責めはしないだろう。夢は何歳になっても持つべきものだ。夢想だけでは物は書けないのもまた、事実ではあるのだが。 「──」 俺は書き出しに迷って三十分は経過した、白紙の原稿用紙に再び視線を向けた。 「……」 自分に抜きん出た才は無い。それは誰よりも俺がよく分かっている。──それでも、書くことはやめられない。自らの中に溜まる思いの雫が地を穿ち、それが深く刻まれるまで。誰かの心に染み入り消えぬ証となるまで。書くことはやめられない、やめることはない。 「──これが、」 いつかどこかで、誰かの拠り所で在れたなら──そんなことに思いを馳せながら、今日も俺は文字を書く。
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