田舎の歌泥棒

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田舎の歌泥棒

 今日も残業だった。僕はあまり、仕事を効率よく進めることができない。この残業は、会社がブラックだとか、意地の悪い上司に押し付けられたとかではない。単純に、自分の実力不足だ。だからこそ、余計に疲れがたまる。  京王線の各駅停車に揺られながら、面白みのない景色が過ぎていくのをただ眺める。こんな、いつも通りでつまらない日の終わりには、彼女に会いたくなる。彼女の歌を、聞きたくなる。  ぷしゅ、と扉が開く。実家の最寄り駅である平山城址公園駅に到着した。降りるのは、僕だけみたいだ。スムーズに改札を抜け、廃れ切った駅前にある、広場とも言えないような小さなスペースに出る。  いつものように、彼女はいた。ギターをぶら下げ、一生懸命に歌っている。今にもほどけそうな僕の体に、その透き通った歌声が染みわたる。煙草よりも、酒よりも、僕の心と体を癒してくれるのは、この「みーこ」という彼女の歌だった。出会いは三か月前。僕が仕事を始めたのと、ほとんど同時期だった。 ―――海辺の猫は、あくびもしないで風に吹かれてる、  新入社員歓迎会終わりの、酔いの回った僕の頭に、その歌声はおかしいくらい滑らかに飛び込んできた。魅了されて足が止まったのは、その時が初めてだった。自然と近づいていく足取り。彼女の目の前には、明らかな手書きで「みーこ」という文字が書かれていた。書かれている字の幼さ、垢抜けきっていない表情、ダサいと簡単に言えてしまうくらいのジャージ上下の姿。おそらく学生だろう。まわりには、誰もいなかった。僕はそれを恥じることなく、真ん前の特等席で、歌を聴き続けた。 ―――腰の曲がりかけた老人は、潮の刺激に目をしぼませて、  その歌は、間違いなくオリジナルだった。僕は人一倍、音楽を聴いているという自負がある。歌詞をちゃんと聞き取って、脳内を探してみたけど、どこにもなかった。昨今、有名曲のカバーで注目を手っ取り早く浴びようとする人が多い中、偉いなあと思った。それで、余計に魅力を感じていた。 ―――来ると分かっている朝日を、みんなで待っている、  僕はとっくに、みーこの虜になっていた。ダイヤモンドの原石を見つけたと思った。僕はそのまま「海の踊り子」というその曲をフルで聞き終え、大きく拍手をした。みーこは、驚いた顔でこちらを見ている。目が合い、僕はつい「みーこのファンになりました」と口に出していた。  するとみーこは、慌ててお辞儀をし、ギターを揺らしながら小走りで駆けて行った。これからもっと大きくなるであろう背中を見ながら、自分も家に帰った。僕は、そんな運命的で刺激的な夜のおかげで、みーこに出会えたのだ。 ―――昼下がりの砂浜は、人の波で動いている、  今日も変わらずジャージ姿のみーこは、僕の中ではすでに殿堂入りとなっている「海の踊り子」の二番を、鮮やかに歌っていた。立ち止まって、ゆっくり耳を傾けようと思い、足と目線を広場前へ向けた。  すると、やや遠くに一人の男性がいることに気が付いた。これは珍しい。しかも、やけに高級そうなスーツを身に着けている。瞬間、一つの可能性が頭に浮かんだ。  …スカウトか?  いや、あれはスカウトだ。間違いない。考えれば考えるほど、そうとしか思えなかった。だってこんな古臭い土地に、あんな男が住んでいるはずも、遊びに来るはずも、なかった。  ついに、みーこの才能が気づかれたんだと嬉しく思う反面、気づかれてしまったことが寂しくも感じた。今まで通り、静かな田舎の駅で、僕だけにそのかけがえのない歌声を聴かせていてほしいと、我儘な感情が押し寄せてきた。  なんだか耐え難くなり、僕はその場を去った。今日は一旦寝て、また明日、心から歓迎できるように準備をしてから、聴こうと思った。  もしかしたら、駅で路上ライブをやってくれるのは、あと少しだけかもしれない。残された期間を、ファンとしてちゃんと味わうべきだと言い聞かせて、僕は眠りについた。  次の日も、相変わらずの残業を終え、僕はパソコンの電源を切った。時計を見ると、定時からは、とうに二時間が経っていた。ため息をつきながら、椅子に掛けてある上着を手に取り、のっそりと立ち上がる。 「お前、また残業してんのかよ」  目の前には、同期の長田が立っていた。明らかに不機嫌で、眉間には、あからさまにしわが寄っている。 「お前のせいで、こっちがサボってるみたいに思われるだろうが」 「ごめん。僕、頭悪いから」  僕がそう言うと、長田は聞かせるような大きい舌打ちをした。 「頑張らなくてもいい理由に使うんじゃねえよ」 「え?」 「お前がいつも使ってるそのソフト、もう誰も使ってねえぞ。もっと効率のいいソフトがいくつもあるんだよ。ダラダラやってるその決算書も松井さんに頼めばやってくれるし、焦って作ろうとしてる会議の資料も日時が変わったからそんなに急ぐ必要もない。自分で可能性を勝手に見落としてるくせに、何が頭悪いから、だよ。そうやって納得して楽になりたいだけだろうが。お前みたいな頭の悪い奴見てると、本当に腹立つんだよ」  何の言葉も湧き上がってこない。そうだったんだ、とか、知らなかった、とか、今の僕には、ただ飲み込むことしかできなかった。 「頭の良い奴が得をして、頭の悪い奴が損をするだけの単純な世の中なんだよ。言っとくけど、これは一生変わらない」  勢いよく言葉を吐き捨てて、長田は帰っていった。苛立ちも、悲しみも、僕の中にはなかった。唯一あったのは、恥ずかしいくらいに大きな"納得"だった。  当然のように溜まっている疲れに加えて、長田の言葉たち。今日の僕は、特段呆けて電車に揺られていた。そのせいで、心の底からみーこの歌を欲していた。スカウトのことなんかどうでもいい、とにかく聴きたくて仕方なかった。  駆け足で駅前の広場へと向かうと、みーこの姿はなかった。なんとなく、そんな気がしていた。悪いことは続くのだ。僕は肩を落としながら、前に録音しておいた「海の踊り子」をイヤホンで流した。多少の気は紛れたけど、結局、それは多少だった。そしてまた、スカウトのことを恨めしく思ってしまっていた。なんだか、全部がほどけてしまったような感覚だった。 ***  みーこの姿を見なくなってから、一か月が経った。平山城址公園駅の広場は、すっかり、元通りの沈黙を取り戻している。そのせいで僕は、負の要素の溜まり続ける生活を送っていた。何をしても一向に発散されない。録音のみーこだけでは、とっくに限界が来ていた。  コンビニで買った適当なカップ麺のためのお湯を沸かしながら、僕はなんとなくテレビを見ていた。季節は夏のど真ん中で、番組では美味しそうなかき氷が紹介されている。大柄なタレントが大きな口で頬張り、頭を抱え「イタイ、イタイ」とか言っている。キーンなんて感覚、最近の僕には無い。年がら年中、ぼーっとしてばっかりだ。  すると番組が終わり、CMが流れ始めた。爽やかなビーチで、健康的な女優がビールを持っている。しつこい夏の押し売りに飽き飽きしていると、軽やかな曲が流れ始めた。  その瞬間、僕の全ての流れが止まった。いわゆる思考停止状態だ。だって、今テレビから聴こえている音は、僕が一か月近くも会えていなかった、恋しくて仕方のない、あの曲のようだったからだ。 ―――海辺の猫は、あくびもしないで風に吹かれてる、  呆然とその曲に耳を傾けていると、女優の「やっぱり夏はビールでしょ!」というセリフが流れ、CMは終わった。  急いでスマホを開き〈ビール CM 海の踊り子〉と検索をかけた。数秒もしないうちに、とあるMVが検索結果に出た。迷わずタップする。すぐにページが切り替わり、動画が流れた。タイトルは、ちゃんと「海の踊り子」だった。生唾を飲み込み、僕は画面にのめり込む。    でもそこに、みーこはいなかった。    青色の濃い海辺をバックに歌っているのは、みーこじゃない、知らない女だった。僕の大好きな「海の踊り子」を、上っ面の笑顔で、なんとも軽々しく歌っている。無性に腹が立った。  苛立ちをそのままに、ビール会社の公式サイトへと飛ぶ。【新CM放映中!】と書かれた記事へ飛び、すさまじい勢いで読み進めていく。  どうやら、歌っているのは“小森ハルカ"という、数年前にアイドルを引退し、今はタレントとして活動している人らしかった。そんな人は知らなかったし、当然、納得もいかなかった。  僕はしばらく、検索を繰り返していた。どこかにみーこはいないかと、ネット上をウロウロした。曲の概要欄にも、作詞作曲の名義にも、小森ハルカの事務所のブログにも、みーこという文字は一切見当たらなかった。  僕はふと、こないだの高級スーツ男を思い出した。結局、あいつはみーこのことをスカウトしたのだろうか。もし、していたのなら、みーこの名前がどこにもないのはおかしい。となると、あの男は一体何をしたのか…。 「盗作…これは盗作だ」  あの男は、みーこから、歌を盗んだ。絶対にそうだと思った。そうでなければ、一言一句同じである歌詞、メロディー、これら全てに説明ができない。こんな田舎の駅の学生からなら、奪っていいとでも思ったのだろうか。いいわけがない。ゼロからイチを生み出すことの苦労なんか、あいつは絶対に知らない。だからこんなことができるんだ。  沸々と湧き上がってくる怒りと共に、僕の中には、確実な自信が生まれていた。あのスーツ男を間違いなく罰することのできる証拠を、僕は持っている。いやきっと、僕だけしか持っていない。  歯をガチガチと鳴らしながら、ボイスメモのアプリを開き、みーこの録音データ「海の踊り子」を流す。やっぱり素晴らしい曲だ。  改めて、覚悟を決める。これはみーこの歌を取り戻すのと同時に、僕の生活を取り戻すということでもある。また、みーこに駅前で歌ってほしい。それを聴いてから、家に帰りたい。あの幸福な流れを、また味わいたい。  気がつけば、お湯はブクブクに沸騰していて、いくつもの泡を作っていた。慌てて火を止めると、すぐにお湯が静かになった。そうして、外からは虫の声が聞こえてきた。田舎の夜は、いつでもうるさい。こんな夜には、やっぱり、みーこの歌に会いたくなるものだ。 ***  いつもより綺麗な格好をした僕は、緊張感を纏いながら駅のホームに立っていた。今日は土曜日で会社は休み。スマホの画面には、小森ハルカの事務所『ノアシャイン』への道のりが示されている。場所は、代官山だ。  僕は今日、盗作の証拠を提出しに行く。この録音データで、事務所を訴える。そして、みーこを、僕の生活を、取り戻す。絶対にやってやる。  ペースの悪い各駅停車が来るのを待つ間、何をしてても落ち着かないので、僕は何回も道のりを確認していた。  すると、遠くからはしゃいだ声が聞こえてきた。どうやら家族みたいだ。しかしどうにも聞き覚えのある声だった。先頭で楽しそうに話している、あの女の子だ。もしやと思い、目を凝らしてみる。まさかだった。間違いなくみーこだった。ジャージ姿なんかじゃなく、綺麗なワンピースを着て、風に揺られている。  思わずじっと見つめていると、みーこと目が合ってしまった。すぐに目を逸らす。足元の汚れたホームを見つめていると、足音が近づいてくるのが分かった。嫌な予感がした。怖くなっていっそのこと目を瞑った。すると、耳元で声が聴こえた。 「あの、いつも来てくれてた人ですよね?」  おそるおそる顔をあげていく。やっぱりそこには、みーこの顔があった。予想の外すぎる状況に混乱しながら、ギリギリのところで返事をする。 「そうです。すいません、なんか」 「いや、そうじゃなくて!実は私、駅前で歌ってること親に言ってなくて…だから、このことはシーでお願いします」  みーこは、細い指を口元に当てている。その一方で僕は、そんな事情なんかより、みーこに聞きたいことが沢山あった。我慢できるわけがなかったので、僕は丁寧に聞いてみた。 「言わないので大丈夫です。あの、それよりも大事なことがあって。実は、みーこさんの曲、盗作されてるかもしれないんです。勝手にCM曲に使われてるんです。間違いないんです。知ってましたか?」  早口で、目も合わせずにそう言い切った。息を切らしながら、みーこの返答を待つ。きっと驚く顔をしているに違いない。そう思い、目線をゆっくりと上にずらしていく。 「あー…えっと、知ってます」  みーこは複雑そうな表情をしていた。どこか気まずそうで、僕にはひとつも意味がわからなかった。 「実は一ヶ月前くらいに、とある事務所の方に声をかけられたんです。君の歌が欲しい、って言われて。それと同時に、二十万円の入った封筒を渡されました」 「二十万円?」 「私、びっくりしちゃって。私の歌にこんなに価値があるんだ!って。で、その話を受け入れました。CMも見ましたよ。実はこの歌、私が作ったんだ〜、なんて心の中で優越感に浸ってました。気持ちよかったですね」  僕は無意識のうちに、みーこに聞かせるような大きな舌打ちをしていた。チッという音が出てから、自分の行為に気づいた。でも止められなかった。僕は今、どうしようもなく、腹が立っていた。戸惑う表情のみーこに、僕は勢いよく口を開いた。 「何を気持ちよくなってんの?君の才能、ドブに捨てたようなもんだよ。せっかくのいい歌をさ、なんでたかが二十万円なんていうはした金と交換してんだよ。あの曲は凄かったんだよ。なんでそれが分からねえんだよ。順調に育て上げれば、二十万円なんかじゃない、もっと大きな金額になったのにさ。行動する前に、ちゃんと考えたのかよ」 「いや、私はまだ」  何か口ごたえしてきそうなみーこを遮って、僕は大きなため息をついた。それで、どうしようもなく言い放った。 「君みたいな頭の悪い奴見てると、心底腹が立つんだよ」  その瞬間、頭の中に長田の顔が浮かんだ。今吐き出した言葉は、少し前に僕が長田から言われたものと、とてもよく似ていた。 「何なんですか?勝手に怒って。あの歌を作ったのは私なんです。どうしようと私の自由です」 「違う、僕は創作者である君の気持ちを鑑みて…」 「だから私がその創作者だって言ってるでしょ!部外者は黙っててよ!」  みーこの甲高い声が駅に響き渡る。なんでこんなことになっているのか、自分でも、訳が分からなかった。 「今からその二十万円で、家族旅行に行くところなんです。私が全部そのお金で用意しました。一応言っときますけど、私、音楽は趣味でやってる程度なので。途方もないミュージシャンの遠い未来に賭けるんじゃなくて、私は近くの家族のために使いました。何か悪いですか?悪くないですよね。さっき頭悪いとか言ってましたけど、ただ路上で歌を聴いてただけの関係性の学生に、勝手に自分の願望押し付けて駅で怒鳴りつけてる方が、何倍も頭が悪いと思いますよ」  そう言うと、みーこは遠くにいた家族の元に合流した。僕は、呆然と、その場に立ち尽くしていた。 "頭の良い奴が得をして、頭の悪い奴が損をするだけの単純な世の中なんだよ"  頭の中には、長田のその言葉がぐるぐると回り続けていた。ずきずき痛くて、気持ち悪い。  そのタイミングで、ちょうど、勢いのない各駅停車の電車が到着した。視界の端の方で、みーこたち家族が乗り込んでいくのが分かる。  僕は、電車に乗らなかった。音を立てて扉が閉まり、電車が過ぎていく。もう行く意味がない。みーこがああなっては、いくら証拠を積んだところで無駄になるだけだ。  電車のせいで風ができて、前髪がふわっと吹かれた。でも僕は海辺の猫なんかじゃないから、風に吹かれたって、絵にならない。ただの、頭の悪い人間だから。 「海辺の猫は、あくびもしないで風に吹かれてる。腰の曲がりかけた老人は、潮の刺激に目をしぼませて、昼下がりの砂浜は、人の波で動いてる」  今はもう、ただの"小森ハルカ"の一曲と化してしまったその歌を、ボソボソと口ずさむ。  ポケットからスマホを取り出し、録音データの画面を開く。「海の踊り子」という文字が、今はとても眩しく見えた。震える指を、ゆっくりと、画面上に持っていく。 「本当に…本当にいい曲だった」  赤く光る、削除の文字を押す。すっと「海の踊り子」の文字が消えて、もう二度と、聴けなくなった。いつか、みーこがまた音楽の道を志すことを心のどこかで願いながら、ホームから離れていく。改札を出ようとすると、ピーなんて音がして、引っかかった。やっぱり、悪いことは続くみたいで、やけに笑えた。  
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