第百二十九話

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第百二十九話

 好きだと言う表現を金のある奴は心でなく形、品物で表す。そして大概の女はそれが愛だと信じるからこそ悲劇が生ずる。なぜならば金や富はそこに意思(いし)が無いから永遠で無い、形ある物は崩れるが、心は、気持ちは持ちようで永遠に持続出来る。なぜならば金や富はなくして初めて分かるものだ。それは持てるものと持たざるものには残酷なまでの線引きがある。だから楽しい思いをすれば、同じ数だけつまらない思いを贈る人が居るのよ。でも榊原さんも療治さんもそこは(ちご)て、これには当てはまらなくて、二人とも思いやりのある人や。だけどしっかりとした人生を歩めるのは榊原さんやさかい、あの人に付いていったら紗和子さんは立派な家庭が築けるから良いでしょう。  ーーほな、療治さんでは何で築けへんの。  ーーあの人は子供が苦手なんよ。ところで紗和子さんは子供好き?  ーーハイ、多い方が賑やかで良いでしょう。  ーーなら榊原さんやね。あの人子煩悩に見えるから。  ーー()うて間がないのに何で分かるの。  ーー実直な人の中でもあの人は飛びっ切りですから。  どうも長く付き合い出すとなあなあになって、そう謂うもんかと思い込むから。そこへ行くとめったに会わない人には僅かな動作で、その人の考えや特長を掴んでしまう。まあこれには鈍感な人には無理な話だけど、特に波多野が牧野に対して粘り強く対応した個性的な一面もそうだが、他の人には無い物をみぎわは彼から見い出した。だから波多野のような周りからは余り気に掛けない人でも、彼女は彼しかないものをいち早く認めてしまった。おそらく今でも紗和子でさえ知らずに気付かなかったものをみぎわは見つけていた。 「へえー、彼女がそんな眼で俺を見てくれていたとは知らなかった」 「そう謂われればとても太刀打ちできない、でもあたしはそんなものに拘らずに、ただ純粋に見ていただけだから……」   だからどうなんだと紗和子にしてみれば言いたいが、療治さんの身になって考えると、もっともな話だけに戸惑った。  
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