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偽恋人と狼獣人
「ソウンさん、お帰りなさい!」
仕事が決まった私は、とても気分が高揚していた。帰ってきたソウンさんを、走って玄関まで出迎えに行き、早く今日の話がしたくて、うずうずしていた。でも、帰ってきたばかりの人にマシンガントークするのは気が引けて、とにかくニコニコしていた。
「……ただいま」
私の勢いに押されているのか、ソウンさんの鋭い眼差しが見開かれている。
(色々、お話したい……でも我慢。ソウンさんが一息つくまで我慢)
「何か問題は無かったか?」
ソウンさんは靴を脱いで、歩き出すと私に聞いた。
「問題は……無かったです!ソウンさんは?」
ソウンさんが軍で何をしているかとか、そういう事は話せないらしく、仕事の内容については何も聞けない。でも、休憩時間の仲間のちょっとした話とかは、大丈夫みたい。
「……君も山で会った、犬獣人の部下に、君のことを色々聞かれた」
「あー、あの!」
少ししか無い記憶を辿って、軍人さんっぽくない、もさっとした頭の男性のことを思い出した。
「同居しているのがバレると何か問題が……」
心配になってリビングでリュックを降ろすソウンさんを覗き込んだ。
「いや……違う、心配されただけだ」
その部下さんは優秀だ。ソウンさんは優しすぎて、駄目だと思う。「早くその女を追い出した方が良いですよ」とか言われたのかな?同感すぎる。私もそう思う。
私は、うんうんと頷いた。
「それよりも、ノエは今日はどうだったんだ?」
よくぞ聞いてくれました。と飛びつきそうになったけれど、長くなりそうだから堪えた。
「ご飯の後でお話します!」
そして、ソウンさんが買ってきたくれた材料を足してカレーを作った。
「それでですね!なんと……」
ご飯が終わり、食洗機に詰め込んで、麦茶を入れてテーブルで向かい合った。
「お仕事が決まりました!」
パチパチと自分で手を叩いた。
「……」
私の余りのテンションの高さにソウンさんは引いているのだろうか?ものすごく真顔だ。
「ソウンさん?」
「……ノエ、詳しい説明を頼む」
(ソウンさん……なんだか怒ってる?機嫌悪い?私、五月蠅い?)
「えっと、今日お出かけをしたときに、途中で怪しい男の人に変な勧誘を受けまして、目の前に有った剛健株式会社っていう所に入っちゃったんですけど、ひょんな感じで社長さんに雇って貰えることになりました!」
私は獣人図鑑の下に置いておいた剛健社長の名刺を取り出して、ソウンさんに渡した。ソウンさんは、その名刺を受け取ると、スマホを取り出して何やら調べ始めた。
「ノエの事について、どう説明をしたんだ?」
「黙秘しました。そしたら面白いから雇ってくれるって」
「……」
ソウンさんは、一瞬私を見て、ゆっくり目を瞑った。しばらく沈黙の時が流れた。
「ノエ……君は、まだ分からないかも知れないが……世の中には、悪い人間が沢山居る。今、調べた所、この会社には脱税や犯罪行為は見られないが……安全だとは言えない。そんなに適当に人を雇うなんて普通じゃ無い。こんなゴリラ獣人だらけの……まぁ、ゴリラ獣人は意外とおおらかで、争いを好まないタイプが多いが……しかし、君にはもっと安全で、信用出来るところで働いて欲しい。むしろ、どうしても働きたいというなら、狼獣人のコミュニティで仕事を紹介してもらうのはどうだろうか?それに……まだ早くないだろうか?君がもっと、この世の中のことを知ってからでも……そうだ、何かのスクールや希望すれば受講できる大学なんかはどうだ?」
ソウンさんは、私の目を一切見ないで喋った。出会ってから、一番饒舌に。
(どうしたのかな?私が外で働いて、人間だとバレると、やっぱり不味いのかな?でも、学校は無い。余計にお金が掛かってしまう。狼獣人のコミュニティのお仕事も、私が凄く仕事が出来なかった時に、ソウンさんの顔を潰してしまう!そんなの駄目)
「ソウンさん!私、ここで働きます。ここの社長さん、こーんなに大きくて最初怖いかなぁって思ったんですけど、なんか可愛くて、面白かったです」
「……ゴリラが好きなのか……」
「え?」
ソウンさんの視線が、私が買った図鑑に注がれ、レシートを付箋代わりにしているページを開いた。そこは、ゴリラ獣人の紹介ページだった。
(ゴリラが好きか嫌いかで言ったら……うーん)
「好きかな?すごく逞しいのに、優しい感じですよね」
「……ゴリラは、体は大きいし逞しいが……必ずしも戦闘に向いているわけじゃない。意外と気が弱く、争いを好まない」
ソウンさんの声がいつもより低い。図鑑のレシートは抜かれ、閉じられた。
「やっぱり優しいんですね!あのおっきな胸はちょっとバーンって飛び込んでみたいですよね!」
両手をパーにして広げて、空中を叩いた。
「ノエ!」
「ん?」
(あれ?なんか……私、怒られている?はっ!そうか、狼獣人さんは、番だけを愛する、超絶 純愛な生き物なんでしたっけ?私のこの発言はふしだらな感じ!?獣人の常識むずかしいよぉ)
「ノエ……そういった身体的接触は相手に誤解を与え、危険を孕む。決して不用意な接触はしてはならない」
「……ソウンさんとも?」
「!?」
一緒に暮らすのに、肩が当たったり、物を渡すのに手が触れあったり、そういうのもアウトだと凄く暮らしにくい。うっかりぶつかる事だってあるだろうし。
「俺は……かまわない」
ソウンさんは、ぎこちなく言葉を紡いだ。
「良かった」
窮屈な生活にならないですみそう、そう喜んで微笑んだ。
「……ノエ」
「はい?」
「君は……もし、そこで働くならば……恋人が居ると話した方が良い。嘘でもだ」
(私……社長さんに恋愛系の詐欺師だと思われているって、話さない方が良いよね……なんだかソウンさんの心配を煽りそうだし)
「それは……ソウンさんが、私の嘘の恋人になってくれるという事でしょうか?」
「俺で良ければ、そうさせて欲しい」
ソウンさんは、面倒見が良い上に、凄く心配症だ。ソウンさんの軍で働く部下の人達、きっとソウンさんを慕っているんだろうな。
(それにしても……嘘でもソウンさんの恋人……凄いなぁ。ソウンさんって、凄くクールだけど、本当に好きな、番だっけ?その相手にはどんな感じなんだろう?キスとか、するんだよね?あの精悍なお顔が近づいてくるだけで自分だったら耐えられない、ぎゃーぎゃー叫ぶだろうな……)
ちょっと想像しただけで、顔が熱くて手でパタパタと仰いだ。
「明日は非番だ。職場まで送っていく」
「ん?徒歩10分くらいですよ」
「……恋人だろ」
真剣な目をしたソウンさんが、私の手を掴んだ。ソウンさんの腕は長くて、テーブルの向こう側からでも、少し伸ばすだけで私の顔に届きそうだ。
「恋人って、職場まで一緒に行くものですか?」
恥ずかしくて、掴まれた手を見下ろして聞いた。
「ああ、少なくとも狼獣人はそうだ。出来る限り送り迎えする」
「へー、そうなんですね。あっ!」
思い立って、ソウンさんの手から自分の手を引き抜いて、獣人図鑑で狼獣人を探す。
「お…お…狼獣人。あった!」
狼獣人。
身体能力も環境への適応能力も高い。集団行動もにも適性がある。知能も高く、社会では支配階級に属する者が多い。生涯でたった一人の番を愛し続けるために、スキャンダルとも無縁で、真面目。犯罪率は低いが、番が巻き込まれるような事件があれば、その限りでは無い。
狼獣人の番となるドラマ、小説、漫画は多く、男女ともに憧れの存在。
「ソウンさん、狼獣人良い事しか書いてませんよ。すごい。憧れの存在なんだ!わかります。ソウンさん凄く優しいし、面倒見良いし、格好いいですもんね」
「……」
ソウンさんは唇を噛みしめて、目を閉じている。
「ソウンさん?」
「……何でもない。問題ない。それより、明日から仕事なら早く休んだ方がいい」
「そうですね」
図鑑を閉じて、麦茶を流し込むように飲んだ。
「ノエ」
「はい?」
立ち上がったところで話しかけられた。
「もし、職場に問題があったり、仕事が合っていないと感じたら、無理して働くことはない」
「……」
(駄目だ。狼獣人さんにも悪い所がある。狼獣人の番じゃ無くて良かった。私……絶対駄目人間になる)
「ノエ?」
「大丈夫です。是非、上手くいくって応援して下さい」
私は、拳をにぎりファイティングポーズをとった。
「……あ、あぁ、そうだな」
ソウンさんは、まだ心配そうな顔で私を見ている。
「任せて下さい」
彼の不安を振り払うように、強がって殊更明るく言ってみたけど、その日は、不安で全然眠れなかった。
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