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吸血コウモリの恋人が現れた。
その日はソウンさんを見送ることも出来ず、午前は何も出来ずに終わった。そして、次の日。私はソウンさんとお出かけをすることになった。
私用の食器や、足らなかった日用品、いらないですというのに、衣類やアクセサリーまで。
ソウンさんは、私が手にした物を何でも買おうとするので、大変だった。
「ソウンさん……買いすぎでは?」
ソウンさんの広いSUVが私の物でいっぱいになっている。帰り着いたマンションの駐車場で助手席から後ろを振り返って言った。
「まだだ。午後も出かけよう」
運転席のソウンさんは、何故か満足そうだ。
(ソウンさんどうしたのかな?何か仕事でストレスでも??更紗先生が、散財もストレス発散になるって言ってたけど……)
ソウンさんは、買い物中、自分のものなど何も見ないで、私のものばかり買った。これでは、本当にヒモになったみたいだ。
「とりあえず、このまま食事に行こう」
マンションは、駅前なので周囲に沢山食事をする場所がある。ソウンさんが、運転席のドアを開けたので、私も助手席のドアを開けて車から降りた。
「ノエ!」
ドアを閉めたときに、名前を呼ばれた。
知らない男性の声だった。
私がキョロキョロと周囲を見回していると、駆け寄ってきたソウンさんが私を背中に庇うように立った。
「誰だ」
ソウンさんは脅すような低い声で声のした方に問いかけた。ソウンさんが大きくて相手が見えない。私は、ソウンさんのTシャツを掴んで横から顔を出して、相手を探した。
駐車場の車が走る道に立っていたのは、若い男性だった。
華やかで整った顔立ちをしている、美形だ。
サラサラの焦げ茶色の髪は、サイドは耳に掛からずすっきりと前髪はやや右よりに分け目があって、目にかからないように流されている。
全体的にソウンさんとは印象が正反対だ。健康的に日に焼けたソウンさんと違い、男性は抜けるように白く透き通った陶器のような肌だ。
涼しげな目元は、パッチリとして優しげで、少し大きめの口が爽やかに白い歯を見せて微笑んでいる。
身長が高くて逞しい体なのは二人とも同じだけど……ソウンさんのイメージは黒で、この男性は……絶対に白。
ソウンさんは戦士なら、この男性は貴公子。
(うわあぁ……すっごい美形!俳優さん?モデルさん?それ以上だよね……生きているの?マネキン?サイボーグ?)
「ノエ、どうして勝手に出て行ったの?心配したよ」
男性は、チラッとソウンさんを見たけれど、彼の問いかけを無視して長い足をすすめた。男性の白いトレンチコートが翻る。前が全開で、一つもボタンが掛けられていないから、動きが出て、羽根っぽい。
彼の服装は、そのコートと、白のタートルネックと黒のズボンという、私と同じ季節感だった。
剛健社長とソウンさんは夏を生きている半袖スタイルだけど。
(それにしても……歩いているだけで美しく、様になってる……ここは、ランウェイなの!?……ソウンさんは歩いているだけで、ピンチの時に駆けつけるヒーロー感があって……剛健社長は、カチコミ感がすごい)
「近寄るな」
ソウンさんの声が更に厳しさを増した。そして一歩前に出た。
「貴方こそ、ノエから離れて下さい。誘拐犯」
「お前……」
(この状況は……何?あの人は、私の知り合い?え?私……異世界転生したんじゃなかったの!?まさか……只の記憶喪失!!は……恥ずかしい!!言わなくてよかったよ!異世界から来ましたとか言わなくてよかった!恥ずかしい!)
「あぁー」
私は、自分の勘違いに気がついて、そのとんでもない思考に、穴があったら入りたいくらい恥ずかしくなって、頭を押さえてしゃがみ込んだ。
「「ノエ!?」」
ソウンさんは振り返って、私の肩に手を置いて屈んだ。男性も駆け寄ってくる音がする。
「どけ。俺は医者で研究者だ」
私が車と壁の間にしゃがみこんだせいか、男性がソウンさんを どかそうと肩を掴んだ。
「どうして信じろと」
「今日から、あんたの知り合いと同じ病院で働いている」
パサっと音がして、私の目の前に首から提げる社員証みたいな物が落とされた。遺伝子科の天崇(てんそう)さんというのか。
「……」
(いや……いりません、医師の診察は必要ありません!転生したとか、しょうも無い勘違いをして、死ぬほど恥ずかしいだけなんです。これは……中二病っていう病気かもしれません!!全力でほっといて欲しいやつです!)
ソウンさんが、立ち上がって、天崇さんが代わりにやって来た。
「ノエ、どうしたの?何処が悪いの?頭痛い?」
「……何でもないです。大丈夫です」
ソウンさんよりも細くて綺麗な指が、私の髪に触れた。
(この感覚……なんだか知ってる……胸がきゅーってする……)
顔を上げて天崇さんを見上げると、余計に胸が痛んだし、頭がちょっと痛くなった。
「彼女は、今、記憶が無い」
天崇さんの後ろに立つソウンさんは、心配そうに此方を見ている。
「……そうか、それで……頭が痛いの?」
ソウンさんもいつも良い匂いがするけれど、天崇さんも良い匂いがする。香水?
「……あれ?」
じっと天崇さんを見ていると、気がついた。彼の左手の小指に填まっている指輪、見覚えがある。私は彼の左手を掴んだ。
「ノエ?」
天崇さんは、不思議そうな顔をして首を傾げた。私は、その疑問には答えずに、天崇さんの左手の指輪を勝手に取り始めた。彼は抵抗しなかった。
「これ……」
天崇さんの指から抜いた指輪は、内側が蒼だった。私の指輪の対になるような……。
内側には、5.4 T&Nと刻印されていた。私は目を見開いた。
「あの……私の……これと……」
天崇さんの指輪を掲げながら、私の左手の小指をアピールした。
「あぁ、ノエの誕生日に俺が贈ったものだよ」
「信じられない。お前は、下調べをして俺達に近づいて来た。何とでも言えるし、用意も出来る。お前……血吸いコウモリだな……何者なんだ」
「それは調べましたよ。大切な恋人が、誘拐されたんですから」
天崇さんが、私の手から指輪を摘まんで指に戻すと、立ち上がってソウンさんを振り返った。さっきと立ち位置が逆になった。今度は私を庇うように天崇さんが立っている。
私は頭が混乱していた。
(転生は勘違い。でも、記憶は無いけど恋人が現れた!?嘘でしょ……私、こんなに美形な医者の彼氏が居た!?そんなはずない……記憶無いけど、私だよ!もしかして……この人……すごい性格に問題があるとか!?)
ちょっと怖くなって、立ち上がり後ろに下がり、走った。ソウンさんの車を一回りして、ソウンさんの元へ行くと、ソウンさんにギュッと抱きしめられた。
「ノエ!」
「しょ、証拠を見せて下さい!あの……一緒に撮った写真とか、そういうの……」
(もしかしてアレかな?私、彼の何人かの恋人の一人とかで、彼に凄い貢いでいたとか……そういう可能性ならあるかも。あとは……彼は凄いマザコンとか……DVとか……)
私が言うと、天崇さんは凄く傷ついた顔をしていて、心が痛んだ。
「ノエ、写真や映像は証拠にならない。事前に用意が出来る」
ソウンさんは、ふっと笑いながら言った。なんだか……ニヒルに笑っている気がするのは気のせいかな。
「はい、そう言われて出すのも何だけど……」
彼のトレンチコートのポケットから取り出されたスマホは、指紋認証されて渡された。ホーム画面から、私の写真だった。
(恥ずかしい……何だかとっても恥ずかしい!自分の知らない自分が笑って居るの恥ずかしい!)
画像は、私ばっかりだった。しかも、同棲しているのか、部屋で寛いでいる感じの写真ばかりだ。
「俺達は、森の一軒家で一緒に暮らしていた。ノエは漫画や小説、ゲームが好きで……人間だという事を隠す為に、街に行くことは希にしかなかった。俺達は一緒の施設で育って、ずっと一緒だった。何か思い出さない?」
「……もしかして……貴方……子供の頃は私の事嫌いだった?」
この前みた夢の少年は、この人に似ている気がする。
「はは……忘れて欲しい所だけ覚えてる……」
そう言ってはにかんで笑う顔に、どきっと心臓が高鳴った。
(私……この人のこと……知ってる……思い出せないけど……)
「帰れ」
ソウンさんの私を抱く腕が強くなった。
「……ノエ、具合は悪くない?大丈夫?」
天崇さんが、微笑みながら聞いたので、コクコクと頷いた。
「じゃあ、一度もどるよ……きっと、直ぐに思い出す。改めて迎えに来るよ」
天崇さんは、地面に落ちている社員証を拾い上げた。そして社員証の裏に入れていた名刺を取り出して、首紐に引っかかっていたボールペンでサラサラと何かを書き足している。
「はい、ここに連絡して」
「あっ…」
私が握っていた天崇さんのスマホは抜き去られ、代わりに名刺を渡された。
そして、彼は颯爽と身を翻し、ランウェイを引き返して、来客用の駐車スペースにあった高級そうな車に乗って去って行った。
「ノエ、あの男は信用しない方が良い。」
ソウンさんは、険しい顔で車が去って行くのを見送った。そして、私がソウンさんの腕から抜け出そうと体を動かしたけれど、なかなか放して貰えなかった。
「先に部屋に戻っていてくれ」
「ソウンさん?」
「少し、用を思い出した。昼食も買ってもどる」
「はい、ありがとうございます」
少し、ソウンさんの様子が気になったけれど、私も一人になって考えたいと思ったので頷いて、部屋へと向かった。
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