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別れを切り出す
「ソウンさん、お帰りなさい」
部屋から顔を出すと、ソウンさんがリビングに買った荷物と、食事らしき紙袋をテーブルに置いていた。
「ああ、すまない、遅くなった」
「そんなことありませんよ」
私たちは、ソウンさんが買ってきたサンドイッチを食べながら、お互いに話を切り出せずにいた。
(どうやって此処を出て行くことを伝えると良いのかな?今日買って頂いた物とかもあるのに……凄く気まずい。でも邪魔者は早く出て行った方が良いだろうし……でも、ちょっと寂しい気持ちもあるなぁ……だって、此処を出て行ったら、もう私たちには接点が無いし……お別れだよね)
微妙な沈黙のまま、食事が終わり、二人で片付けを始めた。私がシンクでコップを洗い、ソウンさんが後ろで捨てるパッケージの分別をしている。
私は、濡れた手を拭いて、ソウンさんを振り返った。
「ソウンさん……」
キッチンのスペースで見つめ合う。
「今まで、大変お世話になりました……わっ」
後ろに一歩下がって頭を深く下げたら、お尻がシンクにぶつかって、その反動でソウンさんの腹筋に頭が衝突した。しかし、ソウンさんは揺らがない。
「ごっ…ごめんなさい!」
頭を抑えながら、体を立てた。
「ノエ、それは、どういう意味だ」
見上げたソウンさんは、凄く険しい表情をしている。肌にピリピリとした怒りのオーラみたいなものを感じる。
(な……なんで怒っているのですか!?やっぱり、あの天崇さんという恋人の登場でしょうか?純情一途な狼獣人としては、結婚もしていない男女が恋人として同居とかあり得ない感じだからですか!?私、ふしだらで不潔な女認定でしょうか!)
「あ……あの、やっぱり……その……ずっと、ソウンさんのお世話になるのも心苦しいので、此処を出て行こうと思いまして」
私は、緊張で目が飛び魚のように泳ぎ、首はゼンマイ仕掛けのからくりのように動いた。手には、妙な汗が流れている。
「……駄目だ」
「っ!?」
ソウンさんは、私の前で片膝を立てて跪いた。そして私の手を掴んだ。
「行かないでくれ」
ソウンさんの目尻が少し釣り上がった鋭い目が、私を捕らえている。ソウンさんの表情が怖いぐらいに真剣で息が出来ない。
「ソ…ソウンさ……」
「頼む……出て行くなんて言わないでくれ……」
大きなソウンさんの手の上に載せられた私の手の甲に、ソウンさんの頬が寄せられた。少し冷たいその温度に驚いた。
「あ…あの……えっと……」
あまりの予想外の展開に、私の脳はパニックに陥って機能していない。ゴクリと唾を呑んでソウンさんの一挙手一投足に釘付けになった。
「あの男の所に行くのか……」
ソウンさんは、私の左手を見下ろすと、私の目を見ながら指輪をゆっくりと抜いた。小指から指輪が抜けていく感覚にゾワゾワする。全身が心臓になったように鼓動が五月蠅い。
「……行かせないと言ったら?」
私の指から抜けた指輪は、ソウンさんの親指と人差し指に弄ばれている。皮肉げに微笑んだ表情が、危うい色気を孕んで私を硬直させる。
「ソウンさん……私……」
私は、ソウンさんが持つ指輪を掴んだ。するとソウンさんの目が細められ、私を見上げた。その表情は、どこか悲しそうだった。
「ノエ……君は、俺の……」
「私!あの天崇さんのところに行くわけじゃないです!」
ギュッと指輪を掴んで胸に抱いた。
「……?」
「私……剛健社長にお願いして、住むところを用意して貰えるようになりました。いわば……住宅手当みたいな?一人暮らしです」
サッと指輪を填めて、私の目の前に跪くソウンさんと目線を合わせるために床に正座した。
ソウンさんは、目を見開いて私を見つめたあと、片手を頭に当てて俯いた。
「ゴリラか……やっぱり……そっちなのか……」
「ソウンさん……大変失礼なことを聞きますが……」
私は、ちょっと気になっていた事を聞くことにした。
「あ、ああ……何だ?」
「ソウンさん……実は一人暮らし……寂しいのですか?狼は群れで暮らすと言いますし……」
もしそうならば、それは、ちょっと可愛いなと思う。こんなに屈強で強い男性にそんな弱い一面があるなんて。私は、ポンとソウンさんの逞しい肩に手を置いた。
「……違う。一人が寂しいのではなく……君がいないと駄目なんだ」
ソウンさんがゆるく首を振った。
(……ソウンさんは何を言っていらっしゃるのだろうか?まるで、私を……す……好きみたいじゃない?あーイヤイヤ!無い、無いよ。何痛いこと考えているの私。うまい話には裏があるって言うでしょ。ううん、ソレも違う。ソウンさんは悪い人じゃない。だから……きっとこれには深い深い、私が思いつかない理由が……あるの?)
「……あ……あの……えっと……」
「……君が出て行くというなら、俺が追いかけるまでだ」
ふと、ソウンさんが狼に見えた。背筋に寒気に似た震えが走る。
(どういう意味?)
「……ノエ」
ソウンさんは、私の体を引き寄せて抱きしめた。
私たちの会話は、多分……かみ合っていない。どうしたのだろうか。
ソウンさんは、番に捨てられたトラウマがフラッシュバックしてしまったのだろうか?
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