入居者

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夕方、仕事が終わり、上だけ羽織っている剛健株式会社の作業着を脱いで椅子に掛けた。 ふと、外が騒がしい事に気がつき、窓の外に目を向けた。 「天崇さん!」  美形過ぎて全然街に溶け込んでいない。  今日は、黒のスーツでノーネクタイだけど、スタイルが良すぎる。  足の長さも体のラインも芸術品みたいだった。  ふと頭の中に『なんで、長さも測って指定したのに、丈がたりないの』とブツブツいう後ろ姿が思い出された。  これは、失った記憶なのだろうか? 「おい……ノエ、なんだ、あの蝋人形は」  剛健社長が、外から手を振る天崇さんを見て、ポカーンとした顔をしている。 「昨日現れた、元恋人らしいです」 「らしい……お前、いつか刺されるぞ……どうやったら、あの外見を忘れられるんだ。この前の、色気の完成形の狼とは違う、美しいとは何かみたいな奴じゃねーか!」 「そうですよね……」  不釣り合いすぎて、まだお付き合いしていたと信じ切れていない。 「あれか?顔だけだから振ったのか?中佐のが金払いがいいのか?」 「違います!お疲れ様でした!」  私はこれ以上からかわれては堪らないと、頭を下げてソウンさんにもらった軍隊のアニバーサリートートバックをもって外へ飛び出した。 「お疲れ様、ノエ。仕事はどうだった?」  天崇さんは、私に歩み寄って胸まで上げた上げた手を振った。その顔は輝く笑顔で、周囲の人達の注目を浴びているけれど、本人は全然気にしていないようだった。 「お……お疲れさまです」 「何だか変な感じだな、ノエが仕事してる」  天崇さんが口に手を当ててクスクス笑っている。それすらも、華やか。ソウンさんと何でも比べるわけじゃないけど、本当に正反対だ。ソウンさんは全然笑わない、表情が全然動かない。 「私……仕事してなかったんですか?」 「してなかったというか、やっぱりエントリーすら出来なかったよね。戸籍無いから」 「え?私……密入国者とかなんですか?」 「あっちの公園で話そうか?」  話の内容が内容だから、少し人目を避ける為に、少し先にある公園へ向かった。  二人並んでベンチに座った。伸ばされた足の長さが全然違う。 「一気に話しちゃうと、俺に用なしになっても困るから、ちょっとずつ教えてあげるね」  そう言って人差しと親指で少し隙間を作って首を傾けた天崇さんは、もはや映画のワンシーンみたいだった。 「ノエは、人間で今は22歳。ご両親も親族も居ない。俺と一緒に施設で育った。俺は26歳、一昨日から軍の病院で働いているよ。ノエが居なくなって、麓の監視カメラを確認したら軍の車両が出入りしていたからね。ノエがどんな目的で連れ去られたか分からなかったけど、ノエが人間だって分かれば必ず調べると思ったんだ。だから遺伝子科に就職してみた。そしたら更紗医師が個人的に何か調べだして……それがドンピシャだったね」  凄く爽やかにサラッと話をしているけれど、なんだか凄く難しいことをしているのでは?と思う。でも、どこをどう突っ込んで良いか分からないから、ただ話を聞く。 「ノエは、元々出生届が出されていないから戸籍は無い。だから学校に通わないで、家で俺が家庭教師してたよ。俺は中学まで適当に通って、高校から飛び級して家で研究することが多くて、俺達はいつも一緒だった」  すこし此方に寄った天崇さんの体が私の肩や足に触れる。その感触が体温が落ち着く。覚えがある。 「ノエは、俺の隣で漫画読んだり、オンラインゲームしたりしてたよ。静かにしてって言っても、あーやられたとか、信じられないとか叫ぶんだ」  天崇さんは、笑いながら耳を塞いで五月蠅いというジェスチャーをした。 「私……引きこもりのニートだった?」 「そんな事無いよ、ノエがご飯作ってくれてたし。別にお金に困ってないから働かなくても生きていけるし」 「あの……すいません、色々と忘れちゃって」  ふと、思ったもしも自分が逆の立場で、恋人が記憶喪失になったら……すごく悲しいとおもう。 「あー、それは……ちょっと俺のせいでもあるから、ノエのせいじゃないよ」 「天崇さんのせい?」  詳しく聞きたくて、天崇さんの顔をじっと覗き込んだ。  目鼻立ちの整った美しいお顔は鑑賞に値する。 「……」  天崇さんは、ニコニコと微笑むだけで答えはくれない。 「ノエは、あの狼が好きになった?」  天崇さんの長い指が私の左手に添えられて、左手の指輪に触れた。 (ど……どきどきする) 「そういう、わけでは…無いですが……たぶん」 「それじゃあ、また俺と暮らそう。山の家は今は住めなくなったから、ホテル暮らししているけど、この辺りに部屋を借りよう」  天崇さんがスマホを取り出して、住宅情報サイトを開いた。 「あの!その事なんですけど!私、今働いている社長にお家を借りられることになりまして……なぜか……そこにソウンさんも住むって話になりまして……」 「はあ?」 「ごめんなさい、ごめんなさい」  ニコニコしている人の真顔怖い。つい頭を抱えて謝ってしまった。 「……じゃあ、俺もソコに住むね。ノエと同じ部屋で良いよ」 「えっ……あの……その、部屋はまだ余ってます!」  なんで、てめぇが言うんだよって社長の顔がドーンと浮かんだ。 (でも、社長。これは貴方の予言通りです……)
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