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逃亡 チンバンジー獣人視点
その後、また何度か少年とノエと呼ばれた子供は夜にやってきた。
しかし、ノエはすっかり怖がって、檻には近づかなくなってしまった。
「おい……こっちに来いよ」
少年に聞こえない位の声でノエに話しかけた。
しかしノエは、少し離れた猫の檻を観察している。ちらっと此方をみると、舌を出した。
「やだ、ちんじーぱん意地悪」
「もうしない。その毛に触るだけだ」
「髪の毛?」
ノエは、肩くらいまでの自分の毛を引っ張った。
「ゴンってしない?」
「ああ」
暫く俺を睨んで考えたノエが、恐る恐るやって来る。
そして、檻の手前までやって来ると頭を下げて檻に押しつけた。
今度は傷つけないように、そっとその小さな頭に触れた。胸の中で血が溢れ出たように温かく、すこし痛い。
毛繕いをするように、その毛に触れた。
「へへへ、きもちいーよ」
「……」
「ちんじーぱん、これ付けて。ノエ気に入っているのにお風呂の後は、てんそー付けてくれないの」
ノエは膝丈ほどの長袖ワンピースのポケットから花の髪留めを出してきた。俺はソレを受け取って、悩みながらノエの前髪に付けた。髪留めは全然綺麗に付かなかった。髪の毛がぐちゃぐちゃになった。
「ありがとう」
出来上がった姿が見えていないせいか、ノエは喜んで笑っていた。
少年は、とても優れた頭脳を持っているようで、研究員が不在の時間を狙って。この研究所の事を調べているようだった。
「お前達は……博士の子供か?」
やってきたノエに聞いた。
初めて会ったときより少し大きくなったノエだったが、相変わらず頼りなく見える。
「違うよ。なんかね……天崇は最高傑作で、私は宝物だって」
「外はどんな所だ」
「木がいっぱいだよ。でもノエもお家の近くしかしらないよ。学校は天崇しか行かないの。ノエもお家から出たら駄目なの」
「そうか」
「はい。また壊れちゃったの」
一度、壊れた髪飾りを捨てると言うノエから貰ってから、いらなくなる度に髪飾りを貰った。今日はリボンの先が少し欠けたものが手渡された。それを受け取って、ベッドのしたの袋にしまい込んだ。
「こっちの新しい方あげようか?」
「いい」
「そう?」
ノエは顔を傾けて不思議そうな顔をしている。
体が大分大きくなった頃、獣人を殺す訓練が始まった。
最初は不良品とされた少しだけ獣性が出現した子供と戦わされたが、力の差は歴然としていた。優秀な獣人とは戦闘能力に大きな差は無いが、体の耐久性の面では完全獣体が優れると、淀川が騒いでいた。
ここに閉じ込められている獣人たちが、すべて淀川の指示で博士が遺伝子操作でつくった完全獣体のキメラだと知ったときは、吐き気がした。
アイツらの都合で悪戯に生み出され、失敗作ならば捨てられるか、弄ばれて殺された。
研究所の裏にある性能の高い焼却炉で燃やされた個体は数知れない。
「俺達よりも、動物園の動物の方がよっぽど大切にされているな」
隣の豹は、ここの奴らに日々、恨みを深めていた。殺してやると呟いていた。
「そうだな……」
その日は、風も雨も強く吹き付ける嵐の一日だった。
夜になっても雨風の勢いは緩まず、研究員たちは山の研究所から帰る事ができずに、留まっていた。
煌々と研究所内を照らしていた電気が消えた。
元々暗闇だった檻の部屋には、黒いレインコートを着て黒い手袋をした誰かが入って来た。直感的に天崇だと分かった。
「うわっ……停電だ」
「非常電源はどうした!?」
向こうの部屋は混乱に陥っているようだった。
そんな中、アイツは手にしたキーで獣人達の檻の鍵を開けて回った。
次々と獣人達が檻から飛び出し、目を血走らせて研究所の方へと走った。
向こうから断末魔の叫び声が聞こえる。
天崇は最後に俺の檻の鍵を開けると、キーを投げ捨てた。
「おい!ノエは?アイツは大丈夫なのか?」
俺は檻から出て、天崇に掴みかかった。
「もちろん、隠してあるよ」
「……」
「いいの?宴に参加しに行かなくて。楽しそうだよ」
隣の部屋で人々が泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
そちらを向いて微笑む天崇は、恐ろしいくらい美しく深い闇を含んでいた。
「……」
俺は、檻の中に戻り、ノエに貰った髪飾りを入れた袋を手にした。そして、研究室の方へ向かう天崇の後を追った。
散々、酷い扱いを受けてきた仲間達は、研究員を引き裂いて殺していた。アイツらが教えてくれた技術が、皮肉にも役に立っている。
逃げ出した研究員も、森ですぐに捕まっているだろう。
血と肉にまみれた研究室には、博士の遺体も転がっている。
「……お前たちは大切にされてたんじゃないのか?」
博士の遺体を楽しそうに見下ろす天崇に聞いたのは自分でも良くわからない心境だった。
「まさか?それより早く逃げた方が良いよ、チンパンジー獣人が他の完全獣体を先導して研究員を皆殺しにして逃げ出したって、軍に無線入れておいてあげたから」
天崇の言うことには真実では無い事も含まれるが、文句をつけるつもりはない。
「……お前達はどうするんだ」
「君たちに殺された事にして、ほとぼりが冷めるまで大人しく隠れているよ」
そう言い残した天崇は、嵐の中を歩き出した。
それから、俺達、完全獣体はグループを作り、社会の目に触れない所で生きて来た。
軍の中を調べ上げ、あの施設を作った関係者を洗い出し、順番に始末した。
仲間の数は減ったが、いよいよ最後はあの淀川だ。
簡単には殺したくない。
たとえ命を失っても、アイツに強い恐怖を与えて殺したい。そういう仲間達の意思に従い、矢面に立ってアイツを追い詰めた。
今回は、怪我を負ったが、俺が死んでも他の奴が殺る。淀川が思っている以上に、まだ仲間は生きている。
それに……俺達に注目が集まれば、ノエや彼女を守る天崇に目が行かないのではという思いもあった。
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