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ドクター、更紗と狼と、間女
「此処だ」
「はい!」
周りを見渡すと、そこはホテルの廊下のような場所だった。
このマンションの内廊下は絨毯が敷き詰められていて、それぞれの部屋の広さも反映されているのか、ドアとドアの間隔も広い。
(さすがお医者さんのお家?すごく高そうなマンション……ドラマみたい)
ソウンさんが私を抱いたまま、インターフォンを押した。
『はーい』
スピーカーからは、若い女性の声がして、ドアのロックが解除された。
「いらっしゃい」
中からドアが開いて、美しい女性が現れた。
(うわー!うわー!美人!すごい美人さん!こんな綺麗な人、初めてみた!)
私は、目を見開いて口も開き、手を叩きたくなった。
現れた女性は、前髪を作っていないワンレングスの品のあるブラウンの髪で、ゆるいウェーブが掛かっている。
左右対称の知的な印象を受ける顔立ちで、施されている化粧も派手すぎずナチュラルで元の顔立ちの良さが際立っている。
右目の目尻にある泣きぼくろが、彼女の美貌に華を添えている。服装はアイボリーのセーターに黒のパンツスタイルで、白衣を肘に引っかけていた。
(ド……ドキドキが止まらない!ちょっと感動して涙出てきちゃったよ!こんな女性になりたい女性ナンバーワンが目の前に存在してます!女神!ヴィーナス!しかも、お医者様……完璧すぎる)
「入るぞ」
私が彼女の美しさに感動している間に、ソウンさんは勝手に上がり込むと家主を置いてズンズンと進んでいった。
(あれ……まさか、こちらはソウンさんの彼女さんでは?そうじゃければ、女性の家にこんなにグイグイ入り混んで行かないよね?)
記憶は無くしても、女の勘は無くしていないものなのだろうか。
「リビングの椅子に座らせて」
ソウンさんの肩ごしに後ろを歩いてくる彼女をみると、バサッと広げた白衣に袖を通していた。
(格好いい!すごく格好いい!)
きゃーと叫びたくなる思いを、ソウンさんの黒い半袖をギュッと掴むことで耐えた。そしたら、ソウンさんは、少し開いていたリビングへの扉を乱暴に蹴って開けた。
「ちょっと!壊したら3倍高い物に買い換えるわよ」
「好きにしろ」
ソウンさんは彼女を振り返ることもなく、私を椅子の上にそっと降ろしてくれた。お医者さんの家の椅子は、丸くてクッション性もデザイン性も高いアンティーク調の素敵な椅子だった。
「あの、ありがとうございます……でも…私、山の汚れが……」
山に横たわっていた分際で高級そうな椅子に座るのは気が引けて、無意味とわかっていても少しだけお尻を浮かせた。
「気にするな」
何故かソウンさんが答えた。
「なんでアンタが言うのよ。まぁ、でも気にしないで座って」
彼女は、長い髪をオシャレなヘアクリップでくくりながら、私の前に跪いた。仄かな華のような香水の匂いがした。
(良い匂い。でも、個人的にはソウンさんの匂いの方が好きかも。ソウンさん、香水っぽく無いし洗剤か柔軟剤の匂いかな?それにしても……)
私は目の前の二人をジッと見た。
高身長で逞しい軍人の強面美形のソウンさんと、大人の色気溢れる美人ドクター。
(お似合いすぎるよ!絵面が完璧すぎる)
「ちょっと流すから染みるかもしれないわ」
テーブルに色々と並べられている中から、先が長くてホースみたいなボトルを手に持った先生が、無言でソウンさんを振り返って顎をしゃくった。
ソウンさんが、テーブルからタオルを取って先生の隣にしゃがむと、私の膝の下にタオルを当てた。すると先生が水のような液体で患部を流し始めた。
ちょっと染みるけど……それよりも目の前の二人の体格差が胸にきゅんきゅん響き、唇を噛みしめた。
「おい……痛いのか?やめろ、麻酔しろ」
ソウンさんが、横を向いて変な冗談を言いだした。
「馬鹿なの?アンタ、2年前くらいに肋骨折って留まった銃弾、肺は問題ない、さっさと取れって麻酔すらしないで抜かせたあげく、さっさと任務に戻ったじゃない。どんなドMかと思って特別えぐってやったのに、眉一つ動かさなかったくせに」
先生が鼻で笑いながら、私の処置をして、すこし黄色ぽい透明なフィルムを貼ってくれた。先生が話すソウンさんの過去が怖すぎる。
「この子は人間だ……勝手が違う」
「人間だって傷くらい治るわよ。あー狼獣人面倒くさいわね、貴方も厄介なヤツに保護されちゃったわね。えっと、私は更紗(さらさ)軍関連の病院で働いているわ」
更紗先生は、私の目をみて微笑んだ。
(あーー、またさっきと同じだけど!今度は病院に行ってお医者さんとか看護士さんに惚れちゃうひとの気持ちがわかっちゃったよ!)
「あの…私、記憶が曖昧で、多分なんですけど、ノエって言います。治療後に言うのも大変心苦しいのですが……実は無一文で……この治療費を何か労働もしくは、後払いとかに……」
情けないことを言うのは凄く恥ずかしくて顔は、どんどん下を向いていった。
「あははは、いらないわよ。生理食塩水と被覆材くらい奢るわ。それに、私……人間って興味あるの。色々知りたいわ……とりあえず、その可愛い栗色の髪の毛一本ちょうだい」
更紗先生が、私の座っている椅子の背を掴んで目の前で、ねっと首を傾げた。私は更紗先生の美しき顔面と、たわわなオッパイに鼻血が出そうなくらい赤面した。
「いつでも無料で診てあげるからね。いいでしょ?」
「おい」
私の髪に手を当てた更紗先生の手を、ソウンさんが掴んだ。
(あれ?まさか……私、いま……間男!?)
「個人的な研究よ。色々知っておいた方が良いこともあるでしょ」
私の至近距離で二人が見つめ合う。
「……」
ソウンさんの手が更紗先生の手を離して、私の髪に触れた。髪の毛越しにソウンさんの手の温かさが伝わってくる。
(なんだろう……すごくドキドキする、髪の毛がもぞもぞする!)
大きくて節くれ立ったソウンさんの手が、私の髪を梳くと、私の髪の毛が一本、ソウンさんの指に絡め取られていった。
(ひぃぃ……心臓が、心臓が……)
「貰って良いか」
「もちろんです!只のゴミです」
コクコクと何度も首を縦に振った。
「ぷっ、ノエって面白いのね。このまま暫く家に居る?」
「それは、あの!住み込みで何かお仕事をさせて頂けると言うことでしょうか?」
更紗先生の言葉に、飛びついた。
ソウンさんの話しぶりから言うと、私は公的な支援が受けられない。ならば、どうにかして衣食住を確保しないとならない。それから仕事も。
「えー、ちょっと家事やってくれて、夜添い寝してくれて、出勤の時に見送ってキスしてくれるなら雇うわ」
更紗先生が、綺麗な指で私の頬を突いた。
「あ!えぇ!?ちょっと、それはドキドキしすぎて心臓発作が!」
「まかせて、私が責任もって天国まで送ってあげるわ」
更紗先生の目が細められた。
(セ……セクシーすぎる!!ひゃああ!鼻血でる、本当に鼻血でそう……)
「おい。からかうな」
横に立っているソウンさんが、すっと私の顔の前に掌をだした。ソウンさんの掌は、私の顔よりも大きそうだ。何本か傷跡がある。鋭利な刃物で斬ったような……。
「あら?結構本気よ。最近、男にうんざりしているの。可愛い女の子に癒やされたい」
私はソウンさんを見上げて、更紗先生を見た。
(まさか……お二人は痴話喧嘩中なのでは?)
「他を探せ。彼女は俺の家に住む」
「はぁ!?」
更紗先生が驚いた声を出したけど、それよりも驚いているのは私だった。
「あんた、いくら狼獣人でも暴走しすぎでしょ、いきなり囲い込むの!?駄目よ。何する気なのよ」
「なにもしない」
「えっと……あの!すいません!ちょっと色々とお話が見えないのですが……」
目の前でバチバチと視線の火花を散らすお二人の関心をひく為に、ズバッと右手を挙げた。二人の視線が一斉に注がれた。
「……俺の部屋は、このマンションの別の階にある。君はその部屋に住むと良い。数日かけて君が住みやすいように整えたら、俺は、近くの宿舎に移る」
ソウンさんは、冗談を言っているように見えない。
「住むと良くないと思います。なぜですか?なんで」
「ねぇ、気持ち悪いわよ。さっき会ったばかりの男に部屋譲られても、ドン引きよ。しかも、いつもあんたが寝ているベッドで寝て、あんたのシャンプー使って、あんたの服でも着させる気!?きっも!怖いわよ」
白熱する更紗先生はソウンさんに歩み寄って、白衣のポケットに突っ込んだ手でソウンさんの太ももを殴っている。
(そりゃ、更紗先生も怒りますよ、ソウンさん。いくら良い人すぎるとしても、さっき拾った女を自分の部屋に住まわせるなんて、本当に駄目だと思います!)
私は、二人が自分のせいで仲違いするのではないかとハラハラしている。何か他に良い案が無いか考えるけれど、ホームレス生活は、流石にツラい。
「明日何だって買いに行けば良いだろう」
「そういう問題じゃないわ!あんた、ちょっと自重しなさいよ。段階ってものを理解しなさい。ノエ、やっぱり家に住みなさい」
更紗先生が、ポケットから手をだして私の肩を掴んだ。
「あっ…あの……」
「……行くぞ、ノエ」
ソウンさんが、更紗先生の腕をはずして、再び私を抱き上げた。一瞬で姫抱きされて、置いて行かれた私の三半規管がクルクルしている。
「ソウン!一応明日も診察するからね、私も人間を見るのは初めてだから」
「あぁ……」
ソウンさんは、更紗先生に返事をすると歩き出した。
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