あの時

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あの時

 そんな馬鹿みたいな昼休みも終わり、仕事をして家に帰ってきた。社長の車を降りて、離れまでの間にびしょ濡れになったのでお風呂を済ませた。  あったかいお茶を飲みながら、スマホとレターセットを前に頭を悩ませた。  メールで気持ちを伝えるべきか、古風に手紙を書くべきか。  ボールペンをカチカチしながら、悩み、まずは両方用意することにした。 「何を書いても恥ずかしい……もうシンプルにと思うけど、とにかく……恥ずかしい」  好きも、付き合って下さいも、どちらも言葉や文字にして相手に伝えようとすると、自分に対する攻撃力が発生する気がする。  自分の書いた、ソウンさんが好きです、という言葉が羞恥心となって体内で暴れ回る。 「ああー!」  いてもたってもいられず、頭を抱えて立ち上がった。 「ノエ」 「ひいいい!」  声を掛けられて振り向くと、すぐ後ろに天崇が立っていた。何時もと違ってニヤニヤしていない真顔が怖い。 「びっくりしたぁ! 天崇か」 「ラブレター?」  天崇が私の手紙をとりあげた。 「ちょ、だ、駄目! 返して」  取り返そうと腕を伸ばしても、天崇は腕を上げて手紙を読んでいるので届かない。 「ねぇ、ノエ」 「え?」 「どうして俺じゃ駄目なの」  天崇は、真剣な顔で私の手紙を、真っ二つに破いて聞いた。その手紙は、天崇の大きな手の中にグチャグチャに握り込まれた。 「……天崇」 「ねぇ、俺の方が色々とおすすめだよ」  私の手紙は、床に投げ捨てられた。長い腕が伸びて、天崇の手が私の首を掴むように添えられた。 「天崇は……私のものじゃないよ。私の為に生きなくて良いよ」  天崇の暗い目を見つめた。 「昔のこと、まだ怒ってる? 小さい時は、正直になれなかっただけだよ」 「怒ってないし、ずっと感謝してるよ。天崇のことは家族みたいに大事に思ってる」  首に添えられた手に、少し力入って気分的に息苦しい。 「俺は、ノエのこと女だと思ってるよ」 「私は……ソウンさんを男性として好きになってる」  私がそう言うと、天崇は私から離れ、自嘲するように笑った。 「あーあ、なんであの時、ノエから目を離しちゃったのかなぁ」  あの時、とは私が記憶をうしなったときだろうか。 「ちゃんと捕まえておけば、こんな事にならなかったのになぁ。ねぇ、ノエ……もう一回記憶を無くしてやり直さない?」  天崇が不気味に微笑んだ。私は首を振った。 「天崇が私を忘れて幸せになった方が良いよ。もう、良いよ。人間のこととか研究したりしなくても大丈夫。何があっても受け入れるから、天崇は、天崇の幸せを求めて欲しいよ」  子供の頃からずっと、何だかんだ意地悪いったり、されたりしたけれど、天崇はずっと、人間の事を調べて、私の為に色々してくれていた。  研究所にもどったのも、井塚博士の残したデータを復元する為だった。人間の寿命は、獣人に比べて短いらしい。病気も多いって聞いた。 「ノエは、勝手だよ。辞めたくても辞められない。嫌いになりたくてもなりきれない。忘れたくても忘れられない。知ってるだろ、俺がしつこくて、こだわり強くて、性格悪いの。ほーんと、人間って厄介だよ。普通さ、手近に優秀で利用価値高くて、最高級な雄がいたら、他の雌を蹴散らして、さっさと、その雄選ぶでしょ? 多分、人間って馬鹿だと思う。どうでも良い事ばっかり考えて、頭の中フワフワしてて、無防備」 「ご……ごめん」 「まぁ、いいや。多分、ノエは人間の中でも、馬鹿だから、いつか間違いを起こすよ」 「は?」  さっきから、ここぞとばかり昔みたいに悪口を言われている気がする。 「だから、コウモリらしく、じっとノエにぶら下がって、時を待つよ」 「ん?」 「狼、案外ぽっくり逝くかもしれないし」 「ちょっと! 縁起でも無いこと言わないで。というか、ここはもう山じゃ無いよ。周りにいーーーっぱい、素敵な女性いるでしょ?」 「まぁ、それもそうだね。暫くは遊んで女心? そういうの学んでみるか」  天崇はサラサラの前髪を掻き上げて、笑った。美し過ぎた。 「ね……ねぇ、死者が出るから……きっと、大変なことになるから……真剣に! ちゃんと相手と向き合ってあげて!」 「ねぇ、ノエ、恋愛詐欺師の手管を教えてよ」  ニヤニヤと笑う天崇の髪を、ぐしゃぐしゃに乱した。 「もー! なんか、天崇を凄く野暮ったく、格好悪くする方法ないかな!」 「ないよねぇ、俺、吸血コウモリだし」  ケラケラ笑う天崇のスマホが鳴り出した。病院からのようだ。 「雨なのに呼び出し面倒くさーい。ゴリラタクシー使わなきゃ」  天崇は、スマホを片手に歩き出した。 「天崇」 「なに?」 「いってらっしゃい」 「……うん、行ってくる」  ヒラヒラと手を振って、天崇が出て行った。
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