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ヒモみたいな
うだうだと悩みながら、流れるテレビを見続ける怠惰な時間を過ごしたあと、部屋のインターホンが鳴った。
壁にあるパネルまで辿り着く前に、玄関から鍵が開く音がした。
「ノエー、入るわよ」
「更紗先生!」
リビングのドアを開けて玄関を見ると、沢山の紙袋とビニール袋を抱えた、更紗先生が入って来た。
(あ、合鍵?!やっぱり……お二人は……)
お付き合いしていらっしゃるのでは?と疑問を抱いて、つい先生の手に握られた鍵を見てしまった。
「あっ、コレ?朝、走って会った時に言っておいたの。診察に行くから鍵もってこいって。絶対に普段から持っている訳じゃ無いからね!アイツ私の好みの真逆だから」
ハイヒールを脱いで、よいしょと更紗先生が廊下を歩き出した。
「も、持ちます!」
何だかわからないけど、お荷物を一度預かろうとしたけれど、いいの、いいのと断られ、鍵だけを渡された。
「私、豹獣人だから、こう見えて力凄いから」
そう言って更紗先生は、私にウィンクをした。
「更紗先生……すごく素敵です!」
「そう?惚れそう?」
「はい!惚れます」
鍵を握りしめて、うんうんと頷いた。
「もー可愛い!初めて見たときから、可愛いと思ってたけど!」
両手が塞がっている更紗先生は、私の顔に頭を寄せてスリスリしてきた。良い匂いのする長い髪がくすぐったい。
「更紗先生は、初めて見たときから女神様みたいにお美しいと思ってました」
嘘偽り無い感想を述べた。
「ノエ……あの狼に嫌気が差したら家においで」
「嫌気なんてとんでもないですけど、申し訳無いです。更紗先生……あの」
「あっ、ちょっと待って。まず診察しましょ」
リビングに座り、熱が出てないか、他に昨日気がつかなかった場所が痛くないかと、確認された。そして、何枚かの紙を手渡され、テーブルを挟んで向き合って座った。
「昨日貰った髪の毛で色々分析してみたの、その結果よ」
「髪の毛で……」
何がわかるのかな?と書類に目を向けた。奇跡的に言葉が通じるように文字も読めるので助かる。更紗先生が書類を指さしながら説明をしてくれる。
(すごく……お医者さんっぽい!当たり前だけど……)
「ノエは、恐らく二十代前半の女性で、人間でいう血液型はA型。ここは重要なんだけど……ノエに輸血できる他の獣人の血は無かった」
「?」
更紗先生がやけに真剣な目で私を見た。
「だから、いざという時の為に、今から定期的に、血液を自己血貯血する必要があるわ。かなり保存方法が進化したから、三ヶ月に一回くらいでいいかしらね?でも……妊娠は計画的にして」
「じこけつ?妊娠!?」
正直、私は話しについて行けていない。
私は人間。人間は絶滅。他の獣人の方の血は輸血できない。
だから、自分のを採って保存するってこと?
「あの……妊娠とかは全く予定にありませんが……その血を採っておくのは……お高いですよね、きっと」
只でさえ頭が痛い状況に、追い打ちか来た。
「まぁ、やるのは私だから、器具の料金とラボに置いておく値段だから、大したことないわよ。大丈夫、あの男、今までずっと金が貯まる一方で全然使ってないどころか、使う暇もアテもなかったから、ジャブジャブよ。前は、平気で長期任務とかで家に居なかったし、確かその間の手当とか多いし、怪我しまくっているから保険も、その補償も出まくって……昼食現物支給だし、アイツ何が楽しくて生きて来たのかしらね!?」
「いやいや……ソウンさんに払って頂く義理もないですし」
私はブンブンと手を振った。
「人間の血を増やす食べ物はなんだ」
「ソウンさん!?」
「あんた、気配なく近寄るのやめなさいよ……」
いつの間にか現れたソウンさんが、テーブルの書類を一枚取り上げて険しい顔で見ている。
「こんなに血を採って大丈夫なのか?」
「まぁ、体質にもよるけど、日頃からもっと食べてもう少しギッシリした体になった方が良いと思うわ。獣人と変わらないメニューの脂肪分少なめがいいと思うわ、胃に負担が掛からないようにね。無駄にレバーばっかり食べさせたりしないでよ」
私の頭上でポンポンと会話が進んでいく。
「これは……俺の血でも駄目なのか?」
「残念だけど、そういう問題じゃ無いの。種族の問題だから。最悪……チンパンジー獣人とか少ないからわからないけど……近いのはその辺よ」
「……」
ソウンさんの眉間の皺が、どんどん深くなっている。
「今度、人の少ない夜勤の日に連れてきて、採血ついでに健康診断しておきましょう」
「ああ、頼む」
「あの……私、すごく元気なので、大丈夫です。怪我もしないように気をつけます!」
どこかで聞いた事有る、命の値段は平等じゃ無いって。
まさにその心境だ。命に掛けられる値段は一律じゃ無い。
まずは、医療にかかるお金よりも、日々食べるご飯やその辺りに集中しないければ。
「ノエ、血を採るのは少し気分が悪くなることもあるけど、そんなに怖い事じゃ無いわ。安心して」
「そうだ、この医者は人間的には問題があるが腕は良い」
「おい」
お二人の優しさが心に染みるけど、怖いのは医療行為じゃなくて請求される金額です。
「じゃ…じゃあ、もう少し生活が落ち着いてから……」
「ノエ、怪我や病気はいつ患うか予想できない……嫌かもしれないが、勇気をだしてほしい」
ソウンさんが、私が座る椅子の背後から私の肩に手を置いた。
(ひぃぃぃ!!後ろから抱きしめられているみたいで、お尻がムズムズします!心臓が五月蠅いです!)
「まぁ、今怪我しているし、とにかく治ってからやりましょう。それよりも!良い物もってきたの」
少し暗くなった雰囲気を晴らすように、更紗先生が満面の笑みで立ち上がった。そして、持ってきた紙袋やビニール袋をテーブルの上に置いた。
「お洋服よ!そんな暗いソウンのTシャツなんて着せられてたら、元気になれないわ!」
「……お前のじゃないのかそれ」
ソウンさんが何故か嫌な顔をしている。
「半分くらいね。でも、ちゃんとノエに合いそうなもの持ってきたわ。半分は、つい楽しくなって買ってきたの!気に入ったら着て」
「良いんですか!?」
更紗先生は、「ほら」と紙袋からワンピースやトップスを出して見せてくれた。どれも派手すぎず綺麗なセンスのいい服だった。
「こっちは買った下着とかだから、狼の居ない所で開けて」
「更紗先生!」
私は感動で目を潤ませながら、立ち上がって更紗先生に抱きついた。
「何から何までありがとうございます!」
更紗先生に抱きつくと、やわらかくて温かいおっぱいの存在がリアルに感じられて顔が赤面しそうだった。
「どういたしまして。もう、夜勤ばっかで金は貯まるけど使う暇ないし、今ヒモ君もいないから散財するストレス発散もできないのよ!」
更紗先生の発言が男前すぎて格好いい。
「せ、先生……もしよろしければ……私を先生の……」
ヒモにしてください。と言いかけた所で、腕を持ち上げられて、バンザイした形で、二歩ほど下がらせられた。まるで……ソウンさんに捕獲された宇宙人のように。
「もう良い、帰れ」
「やだぁ、嫉妬?余裕無い狼、楽しいわ!」
「ソウンさん?」
(何度目になるか分からない疑問だけど……お二人は本当に恋人じゃないの?まさか、あれ?両片思いってやつ?)
私はバンザイの格好で二人を交互に見た。素直になれない男女。お互いに微妙な距離のまま先に進めず、後にも引けない。
「まぁ、今日はもう帰るわね」
「鍵を返せ」
私を離してくれたソウンさんが先生に手を出した。
「ノエに渡したわ」
「そうか。じゃあ、それは君が持っていてくれ」
私は口をつぼめて二人を見る。
(なんだろう……今は、両親の喧嘩の間にいる子供みたいな感じ??)
とりあえず、コクコクと頷いた。
更紗先生が帰って、お洋服を紙袋に戻していると、ソウンさんが椅子に大きな黒いリュックを置いた。
何だろうとみていると、中からいくつかの紙袋が出てきて、順番にテーブルの上に並べられた。
「コレは、ノエのスマホだ。今から設定する。こっちは、防犯ブザーと小型スタンガンだ。あとは電子マネーをチャージしたカードと財布だ。それに歯ブラシなどの生活必需品だ」
ソウンさんは早口で次々と出して説明してくれたけれど、ついて行けていない私は「あっ…あ…」と圧倒されていた。最後に出てきたスーパーの袋は色々入っていそうだ。
(防犯ブザーと小型スタンガン……この辺の治安って悪いのかな!?)
「他には何が必要だ?」
「えっと……あの、アルバイト情報誌などは何処かで配られて居ますか!?」
ハイ!と手を上げて言った。
「アルバイト……ノエは、仕事がしたいタイプなのか?」
仕事、したいタイプと聞かれると微妙だけど、生きていく為には必要で。
すこし何時もより目を見開いたソウンさんが私をじっと見下ろしている。
「そ、そうですね」
こくこくと頷いた。
「そうか……それは……」
ソウンさんは困ったように目を瞑って顔を俯かせた。
「人間だし、身元が不明だと難しいですかね」
「ちょっといいか」
ソウンさんが目を開いて私を見た。
「はい」
「ノエは、金銭が欲しいのか?それとも仕事がしたいのか?金銭なら多少は……」
「働いて、お金が欲しいです」
そうじゃなければ、今までお世話になった借りが返せない。いつまでもソウンさんのボランティア精神にたかる厚かましい人間でいたくない。
「ウチの家政婦として…」
「それは、是非やらせて下さい!しばらくは家賃の一部免除でお願いします」
「あとは……君の業務として、食事相手と、話相手と……諸々を含み。家賃と生活費はいらない。別途支給する」
さっき、更紗先生のヒモに立候補しかけておいて何だけど、これって何だか。
「私、ソウンさんのヒモっぽくないですか?」
「違う!!」
冗談で言ってみたんだけど、怒られてしまって……凄く気まずい。
「……俺は、そんなつもりじゃない……俺は…」
「すいません!冗談です!冗談に決まってます!少しも思ってません」
(こんな最高級な男性が、私のような何者かも分からない人間を女として選ぶわけがないの分かってますから!なのに、そこまで否定されると……ちょっと悲しい)
あははは、と無理して笑った。ソウンさんが目の前で大きなため息をついている。
「とにかく……外出をするなとは言わないが、落ち着くまでは、ゆっくりするといい……」
「ありがとうございます」
手を合わせて頭を下げたけど、空気が重すぎて、しばらく顔を上げられなかった。
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