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その後は魔物からこの亜空間の案内を受けた。
東屋と外通路で繋がる白い屋敷へと入り、室内を見て回る。
ダイニングキッチン、洗面所、浴室、トイレ、書斎、図書室…
(どの部屋もだいぶ広いな)
自分の家の倍はある浴室の広さにポカンとしていると、魔物が何やら自慢げに語ってきた。
「ここはお前の居住用にと私が一から作った。快適かつ不便はないはずだ。
に、っ人間風情にこれほど繊細な気遣いや気品ある住居を与えるなど、お、お前以外ではありえないからなっ」
「は、はぁ…?えっと、ありがとうございます…?」
(えぇ…?こういうのには一体、なんて答えたらいいんだ…?
それに何か言いづらそうなのは何故なんだ…?)
この白緑の魔物は絶大な力を持つゆえか、思わず傅きたくなる風格と気品を漂わせている。
そんな人物が突如誤作動を起こしたかのように、ぎこちなく話す有様は奇怪で目を引いた。
(何か後ろめたい事でもあるのか?)
時折見せるその様子に僕は不審の目を向けながら、その後ろをついて回った。
最後にお前の自室として使えと、ベッドと机、椅子が置かれた部屋に案内された。
「この亜空間にあるものは自由に使っていい。他に必要なものや困ることがあれば言え。
私は寛容だから、ぉ、お前からのもっ文句程度で腹を立てたりはしない。」
「…は、はい…」
これはたぶん「何か不便があったら遠慮せずに言え」と言いたいのだと思う。
管理を徹底するために、家畜の声にも耳を傾けてくださるのだろう。
「人間は私のことを、Lと呼んでいるんだったな」
L、聞き覚えのある名前だった。
(…って!
あの”月桂樹の魔物”の略称じゃっ?!!)
その魔物は魔界の歴史にも名を刻む、古からの湿原の支配者。
まさに伝説級の存在。
(え、う、嘘だろ……。ほ、本物、なのか?!)
月桂樹の魔物は人型もとるという事は判明している。
けれど分かっているのはそれくらいで、真偽を判断できる情報を人間はまだ掴んでいなかった。
(普通なら有名どころの名前を騙っている、と考えるべきだけど…)
だが事実なら納得のいく事もあった。
莫大な魔力、規格外の事象、それに僕が召喚したあの2体の魔物について把握していた事。
たとえ嘘でも、人智を超えた危険な魔物であることに違いはない。
僕が魔物の正体に気を取られている隙に、魔物は何か魔術を使ったらしい。
仕上げに僕の口元を白い指がなぞった。
「契約を結ぶ気になったら、その名で私を呼べ。
小声でも側にいなくともそれですぐ分かる。」
「は、はい…」
僕の返事を確認した魔物は、ふいっと目を逸らしてから不思議な内容を付け加えた。
「それ以外で呼びだしても、かっ構わないっからな!
人間風情が遠慮することはない。眠れないとか、さ、寂しいとか…」
「え…? さ、寂しい……??」
(寂しいって言ったか?)
意図の掴めない発言に、僕は戸惑いを隠せなかった。
が、魔物は少し据わり悪そうにしながらも真面目な顔で頷いた。
(………???)
言葉の意味は分かる。だが相手が言わんとしている事に辿り着けない。
コミュニケーションの難しさを、魔界に来てまで実感させられるなんて。
(…そもそも、寂しいからこの魔物を呼ぶなんていう畏れ多い発想を、人間風情がするわけないんだけども…)
「………」
うーん、えーっと、これは、つまり。
積極的に呼んでほしいのか?
何の意味があって?これも家畜管理の徹底のためか?
いや待てよ、もしかしたら単純接触効果を狙った懐柔策の一つかも…
積極的呼出しの狙いを考える僕を、魔物は腑に落ちない顔で見ていたが、
「私は大抵書斎にいる。不在にする時もあるが逃げることは不可能だ。
せいぜい何が最善の選択なのか考えるといい。ここは人間の世界と時間の流れ方が違うからな。」
と告げ立ち去っていった。
なぜかチラチラ振り返っていたけども。
「………」
とりあえず僕はベッドに腰掛け、一息つくことにした。
(この亜空間には、あの魔物以外は誰もいなかったな…)
これから自分はここで、魔物と二人で暮らすことになりそうだった。
(まあ不便はなさそうだったな…)
魔物が自慢げに言った通り、屋敷の中は住み心地良く整えられていた。
外側だけでなく電気、水道、ガスといったライフラインに、電力や魔力を原動力にした機器製品も揃っていた。
食品も主食からお茶、お菓子まであった。どうやって入手したんだとツッコみたくなったくらいだ。
あの魔物…あんなに凄い力と態度の癖に実は相当な世話好きなのか…?
(いや気を抜いちゃダメだろ)
監視、生育といった言葉。魔力を奪うため毒薬だけでなく、解毒剤まで用意していたことから考えると…
(あの魔物も、他の魔物の飼育をしているのかもな)
強い魔物には人間と似た生活様式を持つ者もいて、家畜として他の魔物を飼う話も聞いたことがあった。
だから下等生物の世話にも慣れていて、適した住処や食べ物を用意してやるのもその一環。あの魔物にとってはいつもの飼育作業の一つだったんだろう。
”に、っ人間風情にこれほど繊細な気遣いや気品ある住居を与えるなど、お、お前以外ではありえないからなっ”
(あれも…僕を信用させる演出として言っただけでは?)
それに現在進行形で高度な幻覚を見せられていて、実際は培養液に突っ込まれているだけかもしれない。
(どちらにしろ、僕が召喚契約を結ばなければいいだけだ)
思考が一旦終着したところで、僕は疲れた心身をベッドに投げ出した。
(そうだ…授業は、学校はどうなっただろう…?)
突然生徒が魔方陣に飲み込まれたか、意識を喪失して倒れたため大騒ぎになっている…
そんな光景が思い浮かんだ。
「うああぁ…」
召喚術の先生にまた迷惑をかけてしまった。
あんなに良くしてもらったのに、申し訳なさすぎる。
クラスメイト達からは「またあいつかよ」なんて言われているだろうか。
「…そういえば」
(あの魔物は、”ここは時間の流れが違う”って言ってたな…)
もしかして元の世界では、僕が消えて何年も経ってたりして…
(むしろ、その方がいいのかもな…)
そうだったら帰れない事にも家族と会えなくなる事にも、全てに諦めがつく。
でも。
”本当に脱出はできないのか?”
心の隅からそんな囁き声が聞こえた。
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