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目が覚めた先こそ、悪夢だった。
(…う”うっ。ベタベタしてて、気持ち悪い…)
引きちぎられた服の残骸を纏う体は、土や毒液が混ざり合ってドロドロに汚れていた。
そして僕は変わらず蔓に囚われていた。
花の魔物は少し離れた所で目を閉じてじっとしている。
その姿は遊び疲れた子どもが眠っているみたいだった。
(蔓も、だいぶ緩んではいるけど…)
けれども蔓を振り払って逃げる体力も気力も、もう残っていなかった。
粉雪のように降り積もる絶望に自我が覆われていく中、ぼんやりと思った。
(…もしかしたら、もっと早くこうなっていたのかもしれない)
あの白緑の魔物が僕を見張っていたから、何もなかっただけで。
今までは運が良かっただけで。
特殊な魔力を持っていても結局、平凡な力しか持たない自分。
脅威をはねのける力のない者は、虫けらのように好き勝手に弄ばれ搾取される…
それが摂理なのだろう。
自分だって魔物を殺した過去があった。
だからこれも、こんな目に遭うのも、し、仕方ない………
「…っ”っ、……ぅ………、…!!ッ」
気配を感じたのだろうか。
花の魔物がふるふると瞼を持ち上げ、あのぞっとするくらい紅い瞳をのぞかせた。
そして目を覚ました僕を見つけると、楽しそうに唇の端をつり上げて近づいてきた。
(あぁ……あの延々と溺れ続けるような時間が、また始まるのか…)
呼吸が早くなり、体が震える。
「ッ…ハッ…ハッ”…ッ”……」
(召喚契約を結んでいれば、こんな目に合わなかったのかな…)
迫りくる蹂躙に怖気づいた心は、今更後悔し始めた。
…いやダメだ。
アレは多くの人を魔物の餌にするかもしれない選択だ。
絶対に選ぶわけにはいかなかった。
だから、こうなってしまったのも仕方ないんだ…。
ああ、でも――
(……どうせ喰われるのなら、)
"お前が何か…よ、余計な事を考える必要はないのだっ "
"冷めないうちに食べろ "
"ほら、今はそう思い悩まずに眠れ。人間は睡眠が重要なのだろう? "
口ぶりは傲慢で行動は強引。
そして時々その言動もぎくしゃくし出す不審な魔物。
それでいて、こちらを気遣おうとする意思が垣間見えたり、謎の安心感をもたらす白緑色の不可解な存在。
(自称・領主様がよかったなぁ…)
目を閉じて、早く終わることを願った。
自分はもう、それくらいしかできそうにないから。
…ッザリ
「っ、全く仕方のない奴だな…!!」
木の葉のさざめきのような、耳に沁み入る低音。
巨大樹の如く堂々とした物言い。
耳に届いた彼の声になんとか顔を持ち上げると、温室に足を踏み入れた白緑色が見えた。
花の魔物は不意に現れた侵入者を見て動きを止め、様子を伺っている。
「危険だから隠していた隔離空間に、わざわざ忍び込んでいたとは…!」
しかし白緑の魔物はそれを気にも留めず、ズンズンとこちらへ近づいてきた。
が、あと数歩というところで、花の魔物が腕や蔓を広げてその行く手を遮った。
”ミて!くださイ!ワたし、大きくナっ、ナりましタ!!”
意外なことに、花の魔物は迎撃のためではない行動をとった。
うれしそうに、まるで親に褒めてもらいたそうに、ただ身体を掲げてみせている。
「そうか」
だが白緑の魔物はそれに一瞥もくれることなく、すれ違いざまに一言機械的に返しただけだった。
そしてその返答後、花の魔物が急速に萎れ始めた。
僕に絡まる蔓達も、あっという間に力を無くし干からびていく。
”?……あ、あレ?ワたし…ッ…”
身に起こる異変に狼狽える花。その可愛らしい相貌にも皺と恐怖がはびこっていく。
魔物はそれすら顧みることなく僕の側に膝をつくと、僕の身体に絡まる蔓を淡々と取り除き、抱き起こそうとした。
”ま、まっテ!ソ、ソれワたしの…!……”
獲物を奪われまいと伸ばされた蔓。
しかしそれが届く前に花は枯れ果て、動かなくなった。
(ぁ、ハーブの匂い…)
上半身を起こされた口元に、覚えのある香りがする小瓶が添えられた。
解毒剤を飲ませ終わると、魔物は僕を抱き上げ無言で歩き始めた。
自然と目に入ってきた白い顔は、いつになく険しかった。
(ぁ、そうだ…僕、すごく汚いんだった……)
土と毒液とが混ざりあいドロドロに汚れた体。
それをしっかりと抱く白い手も、灰色のローブも茶色く穢れている。
「っ、ご、ごめんなさい…
ぼ、僕汚いし、た、たぶん、歩けるので下ろし」
「うるさい」
「え、で」
「黙れ、下ろさない」
魔物にぴしゃりと言われ、僕はそれ以上何も言えなくなった。
すると項垂れるしかない僕の頭上で、ため息が一つこぼされた。
「……洗えば汚れも落ちる。あと無理な事は言うな」
「、すみま」
「お前の謝罪など、聞きたくない…」
僕の発言を遮るように被せられた言葉。
でもそれは決して、突き放した物言いではなかった。
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